東京ローカル・ホンクの木下弦二さんから初めて電話をもらったのは もう二年ほどまえの夏だったろうか その時にどういう会話をしたのかは忘れてしまったが 僕たちのバンドを知って欲しい 聞いてみて欲しいという彼の気持ちだけはまっすぐに伝わってきた これも何かの縁(えにし)かと思いその後の僕は彼らのライヴに幾度となく足を運び またこれからも もっとライヴに行ってみようという思いは募るばかりだ 東京ローカル・ホンクの良さをどう表現すればいいのかはよく解らないのだが 今日もまた僕と同じように東京の空を眺め 同じような街並を歩き 戸惑いながらも呼吸をしていることは間違いなかった そんな風に自分の側にいるという親しみを持てるバンドに出会ったことに奇跡にも近いような感慨を抱いた まるで広告代理店が書いたような気取った歌詞や 見せかけのポーズや虚勢 あるいは英雄的な態度に終始しがちな日本の音楽シーンのなかで 彼らはいつもの商店街を行き交う人々を観察し 各駅停車の窓から流れる雲を追いかけたりしていた 彼らの織りなすサウンドスケープもまた大向こうを張るのではなく 微妙な感情や陰影そして日向の匂いをデリケートに運び込んできた ときには伊豆半島まで遠出したり草の燃える匂いを嗅ぎながら 結論を急がない心のありようみたいなものは形になりにくい でも僕は東京ローカル・ホンクの答えとか結論を求めない音楽のあり方に惹かれ続けている そうまるで池に投げられた小石のように (小尾隆 2009年6月23日:記)

2010/9/7

9月7日  文学

今日はアルバイトの定休日なので 早朝のウォーキングを
しました 本日は11,163歩でした

新たに読み始めたのは浅田次郎の戦争小説『終わらざる夏』
(集英社 2010年)です
上下巻でおよそ900ページ以上の大作で 私はまだ序盤を
読んだに過ぎませんが 日本でたった65年前にこんなこと
が起こっていたんだと 改めて衝撃を受けています

もう明らかに勝てる見込みもない太平洋戦争の終盤に
言語統制をしながら”聖戦”というプロパガンダを唱える
軍部のありようは どう考えても狂気の沙汰です

私がとくに貧しいな、と思ったのは 一番大変なのは前線
で闘っている兵士たちなのだから 日本に残っているもの
(赤紙で根こそぎ若者男子は徴兵されたので結果的に女子
と老人が多くなり 産業の担い手も結果的に減っていく)
も 貧しさに耐えろ! という
一見もっともらしく 実は空疎なロジックのことです

大正ロマンの時代からは程遠く 貧しさがまた別の貧しさ
を生んでいくという悪循環に絡め取られていったのです
(女たちは街に出て戦争のために何と雑巾縫いをしている
という滑稽さ)

そして特攻出撃などは そんな貧しさが生み出した最たる
結果でしょう

私は「世界には飢えた子供たちがいるのだから贅沢をして
はいけない」という発想も 実は戦時下の日本が流布して
いったまやかしと同じだと思っています

哲学者サルトルは『飢えた子供のまえに文学は有効か?』
という根本的な問い掛けをしましたが
飢えている人がいるのだから 美味しいものを食べてはい
けないという紋切り型のメッセージが大嫌いです

しかし 浅田次郎が語り部として優れているのは
戦闘場面の醜さを描くのではなく 戦争に翻弄されていく
市井の人々が 時代の激流のなかでこんなにも変わってし
まうのか という部分に焦点を当てていることだと思って
います それが結果的にかえって広がりをもって”戦争”を
照らし出していくという構造になるのです

とりわけ翻訳者である片岡がやっと手にした”江戸川アパ
ートメント”(当時としてはモダンな建築物だったらしい)
が 時代の渦に呑み込まれて荒廃していく樣は この作品
に流れる暗喩にもなっているような気がします

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