東京ローカル ホンクの木下弦二さんから初めて電話をもらったのは もう三年ほどまえの夏だったろうか その時にどういう会話をしたのかは忘れてしまったが 僕たちのバンドを知って欲しい 聞いてみて欲しいという彼の気持ちだけはまっすぐに伝わってきた これも何かの縁かと思いその後の僕は彼らのライヴに幾度となく足を運び またこれからも もっとライヴに行ってみようという思いは募るばかりだ 東京ローカル ホンクの良さをどう表現すればいいのかはよく解らないのだが 今日もまた僕と同じように東京の空を眺め 同じような街並を歩き 戸惑いながらも呼吸をしていることは間違いなかった そんな風に自分の側にいるという親しみを持てるバンドに出会ったことに奇跡にも近いような感慨を抱いた まるで広告代理店が書いたような気取った歌詞や 見せかけのポーズや虚勢 あるいは英雄的な態度に終始しがちな日本の音楽シーンのなかで 彼らはいつもの商店街を行き交う人々を観察し 各駅停車の窓から流れる雲を追いかけたりしていた  彼らの織りなすサウンドスケープもまた大向こうを張るのではなく 微妙な感情や陰影そして日向の匂いをデリケートに運び込んできた ときには伊豆半島まで遠出したり 草の燃える匂い を嗅ぎながら 結論を急がない心のありようみたいなものは形になりにくい でも僕は東京ローカル ホンクの答えとか結論を求めない音楽のあり方に惹かれ続けている そう まるで池に投げられた小石のように ( 2009年6月23日:記)

2007/3/18

もっともらしさへの抗い〜小池真理子  文学

とある版元の方と談笑していた際
話題に上ったのが 小池真理子「恋」(95年 早川書房)のことだった
なんでも彼にとってフェイヴァリッツ小説のひとつだという

政治の季節における恋愛小説
結論から言ってしまえば そういう内容である
何しろ舞台設定が72年の冬であり
僕らの世代には あの忌まわしい浅間山荘事件と同じ時期を
作者はわざわざ選び 対比させているくらいなのだ

主人公の矢野は女子学生で
セクトに属する過激派の男と同棲しているが
ふとしたきっかけから 大学教授夫妻のブルジョワな世界に惹かれ
アルバイトとして華麗で甘美な世界に溺れていく

イデオロギッシュなものと官能的なものとの対比
そこの狭間に立ち尽くす矢野
ここがポイントだ
そして後半には戦後日本史の闇までが現出してくるという
ダイナミズムがある

「政治の季節」を懐かしがる団塊の世代は とても多い
僕はもう嫌になる位 そういう人たちに悪いお酒を
飲まされてきた
彼ら曰く「俺たちは熱かった 今のお前らは駄目だ」
彼らはいつも群れていた
だから僕は ひとりぽっちになりたかった

「誰もがみんな難しい顔をして ジョン・コルトレーンを聞いていればジャズなの?」
 (村上春樹「ノルウェイの森」より)

僕たちが学ぶべきことは たくさんある

彼らのそんな「貧困」に まったく別の視点から立ち向かった作品が
小池真理子「恋」だと思う
思想という名の袋小路のことも
理屈が奪っていく鋭利な感じ方のことも 
ここには描かれているのだ

最後になってしまったが
体裁はあくまで「犯罪サスペンス」
娯楽性もたっぷり盛り込まれていて 飽きさせない小説だ
ちなみに95年の直木賞を受賞した








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