佐野元春が89年に発表したこの『ナポレオンフィッシュ』アルバムを
初めて聞いた時の衝撃は今も忘れることが出来ない アルバム表題曲
から「陽気に行こうぜ」へと続き さらに「雨の日のバタフライ」へと
連なっていく冒頭の三曲は まるで主人公が崩れていく瓦礫を感じながら
新しい世界へと踏み込んでいくような確かな鼓動を感じさせたものだ
抽象度を増す歌詞の一方で 打ち鳴らされるビートは以前より遥かに強靭なもの
となり 一気に視界が開けていくような開放的な響きを獲得している
そして佐野のヴォーカルは ”聖者が来ないと不満を告げているエレクト
リック ギター” のような苛立ちと ”テロリストも怖くない” という
力強さとの間で 見事な振幅を描き出していく
初期の作品に顕著だったストーリーテイラーとしての語り口の
巧さや 青春群像を提示して聞き手と共振するといった手法をいったん
白紙に戻した彼は ご存知のように訪問者としてニューヨークへと
旅立ち ボヘミアンとしてパリへ向かうことで のっぴきならない
時代と よりシンクロするような歌作りを自身に課していく
そんな緊迫感が ロンドンの優れた演奏家たちの情感豊かな
な音楽と結晶したのが
まさに『ナポレオン』アルバムである
「俺は最低」や「ブルーの見解」で見せる他人との齟齬やファン
との乖離といったテーマは この時期の佐野がどうしても
乗り越えなければならなかったハードルだったのだろう
だがその一方で このアルバムには比較的明快なラヴソング
「ジュジュ」があり 今も歌われ続けるアンセム「約束の橋」
があり その揺れ幅もまた佐野の<報告>であろう
事実ライヴの場で歌われた「ジュジュ」の ”きみがいない”
という絶叫は ラヴソングの文脈を遥かに超えて聞き手に迫った
ものだった
果たして自分が89年に何をしていたのかは はなはだ心もとない
のだが この作品は見事に時空を超えている
アルバムは穏やかな収束を見せるリーディング作品「二人の理由」
で なだらかな丘陵を追いかけながら 祈りのように終わるのだが
音楽はまだずっと鳴り響いている