中村とうようさんの名物コラムといえば
『ニューミュージック マガジン』に掲載の
”とうようズ トーク”
私の生き方に大きな影響を与えた75年6月号より抜粋
します
* * *
山城にしても、ぼくにしても、世の中がどうなっていて
いまどんな問題があって、これからどうなるかというこ
とは、根本的には全部わかってしまっている。そしてそ
ういう世の中で、自分が現在、そして将来、どう生きる
べきかということも、確信をもって、わかっている。
こういうわれわれのような人間にとっては、自分との戦
いはあっても、他人との競争なんてものはあり得ない。
世の中と自分との関係がわかっていない人は、自分を自
分のまわりの人びととの比較でしか捉えることが出来な
いから、どうしても人に負けまいと競争し勝負する気持
ちに追いやられる。あいつよりいい成績をとろう、あい
つより早く出世しよう、いつでもまわりの人に負けない
ように、という競争の原理が生き方の中心になり、生活
の支えになる。そういう人は競争相手がいなくなるとト
タンに勉強しなくなったり働かなくなったりしてダメに
なる。競争がクセになって、生存のためのやむを得ない
戦い以外のスポーツや遊びさえも勝った負けたの要素が
ないと一生懸命になれないのだ。このように、つねに他
人との競争関係においてしか自分を捉えることの出来な
い人、この人たちがカモメのミナサンなのだ。
もちろん、ぼくや山城はジョナサンだから、他人との競
争などに関心はない。戦うべき対象は自分自身しかない
。つまり、自分はこう生きるべきだ、と考えているその
生き方から外れない生き方をするために自分と戦うので
ある。それすらも必要なくなったら聖人であり仏であっ
て、もはや人間の境地を超えてしまっているだろう。
ちょっと誤解を避けるために申し添えておくが、ぼくは
リチャード・バックの『かもめのジョナサン』を全面的
に支持しているのではない。あの本には批判ももってい
る。それからオレはジョナサンだから他人など眼中にな
いと言ったからって、他人をバカにして見下しているわ
けではない。ただ自分は自分、他人は他人でまったく行
き方が違って当たり前だと思っているので、同じルール
を与えられて勝負をするなどという気には金輪際なれな
いと言っているだけだ。
みずからエリートぶりをひけらかすなんて鼻持ちならな
い、と反発する人もあろう。お断りしておくが、ぼくが
自分をエリートのジョナサンと考えているとしても、そ
れは生まれつきの家柄とか天賦の才能を自慢しているの
とはちょっと違う。ぼくは ”選ばれた人”なわけでは
けっしてない。ぼく自身がエリートとして生きる道を
”選んだ”のである。この選択は誰にでもできる。他人
との競争に気をとられるのをやめて、自分と世界との関
係だけを考えるようにさえすればいい。誰でもすぐにジ
ョナサンになれる。