――選手、特に若手の選手たちに、キャラクター設定やファイトスタイルの面で指示することはありますか?
三沢 ないですねえ。それは各選手の判断に任せてるよ。
――選手が好き勝手にやってしまうと、試合や引いては興行全体が壊れてしまう可能性もあると思うのですが。
三沢 それは、俺らが最後に締めれば良いこと。そのぐらいの責任は取るつもりだから。というか、取るからね!
――!
俺の不躾な質問に、三沢さんはきっぱりと言い切った。
プロレスの興行は、セミファイナルやメインイベント、タイトルマッチだけが良ければOKというものではない。理想的な興行とは、第一試合からメインイベントまでがひとつの流れになっていて、その中でラフあり、コミカルあり、シリアスありといった、さまざまなファイトスタイルが積み重なっていき、メインイベントで締めくくるというものだ。
たとえばセミファイナルまでにシッチャカメッチャカな(つまり客が退屈してしまったり、逆に変に騒ぎ過ぎて疲れてしまうような)試合があると、メインイベントが盛り上がらず、興行として失敗と取られてしまう可能性がある。だから、団体としては若手や未熟な選手に、キャラクター設定やファイトスタイルを指示したほうが楽なのである。しかし三沢さんは、そんな強制はしないと言った。そのほうが選手たちがのびのびと試合ができるし、結果的には選手個人個人の成長速度が速まるのだろう。
ただそれは諸刃の剣であることも事実。自分に絶対の自信と強い責任感がなければ、選手たちに自由に試合をさせることなんて、とても怖くてできなかっただろうし、責任を「取るからね!」などと言い切ったりはできはしない。
俺は今までに2〜300人はインタビューをしていると思う。もちろんインタビューを頼む人たちはみんな、各々の世界で名を成した人であり、凄い人たちばかりである。そんな俺の経験を振り返ってみたが、三沢光晴は特に印象深い。
その印象を簡潔に言わせてもらうと「突出した責任感を、さり気なく見せてくれる懐の深い人」だ。俺は、計6回行なわれたインタビューの最中、内心唸りっぱなしだった。プロレスラーという枠を外し、ひとりの人間、ひとりの男として見ても、こんな人にはそうそう出会えるものではない。
三沢さんにインタビューしたMDは、今でも残っているフェイスロックのかけ方を直に教えてもらった感触と共に、間違いなく俺の財産である。
受身の天才と呼ばれた三沢さんが、バックドロップの受身を取り損ねたとは思わない。今回の悲劇はそんな単純なものではなく、きっと、それ以外の要素が重なり合った結果だったのだろう。
ブルーザー・ブロディが逝き、ジャイアント馬場が逝き、ジャンボ鶴田が逝き、そしてまた三沢光晴が逝った。享年46は、あまりにも早過ぎるといわざるを得ない。しかし、彼がプロレス界に築き上げた偉業は消えるものではないし、彼のプロレスに傾けた情熱は、残された選手たちが必ず受け継いでくれると信じている。
俺たちは、三沢光晴という偉大な男の存在を、いつまでも忘れることはない。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
ショックが大きく、いまだに事実を受け入れられない自分がいます。

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