ねこちゃりDO!DO!DO!2

 
 
野良猫あがりの「キャスバル兄さん」と共同生活してるkiriです。日常のツマラナイ事書いてます。
16年間連れ添ったみけさんは2006年12月22日、虹の橋へと旅立ちました
     

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投稿者:kiri
ポテトマンさん&リアスの汽笛さんへ♪
なるほどね…そんな昔に作られたんだ…
その頃の人々の努力のお陰で今の鉄道があるんですね。ためになりましたm(__)m
投稿者:リアスの汽笛
ポテトマンさん

横レスすみません。
おそらく、それは大○渡線建設時に起こった「○作事件」のことですよね。

大○渡線の工事は一ノ関を皮切りに18の工区に分かれていて、事件当時(昭和7年頃)飯森峠を含む第11工区(上○折〜白石)・第12工区(白石〜飯森)・第13工区(飯森〜下○作)の工事が行われていました。この区間は、大○渡線の中でも大変な難区間であったため、方々から労働者が集められ日本人労働者・朝鮮人労働者による日夜苦闘の工事が進められていました。

当時、この三区間に朝鮮人労働者は600〜700人くらいいたそうで、一工区あたりで換算しても200人くらいの朝鮮人労働者がいたことになります。宮城県側から飯森トンネルを抜けたところに梅○という集落があるのですが、そこにも朝鮮人労働者の飯場(飯場とは工事・採鉱などの労働者のため現場付近に設けられた宿泊設備のこと)が集中して建てられたそうです。当時人口2700人の集落に、飯場が30戸ほど並び、日本人労働者100名と朝鮮人労働者200名が居住したため、食堂、駄菓子屋、床屋、診療所などが設けられて、鉄道建設が村に活気を呼んでいました。

この大○渡線最大の難区間を早く終わらせようとする請負業者側の労働強化が悲劇のきっかけとなったといわれています。ある資料だと、一日14時間労働で賃金は一円、その上、物価が吊り上げられて、高い値段で物を買わせる為、朝鮮人労働者達は待遇改善を求めてストライキを起こしました。雇い主は一定の要求を呑むことにしましたが、朝鮮人労働者たちの勢いにおびえた日本人労働者100名が、昭和7年5月4日夜、朝鮮人労働者達の飯場を突如襲撃するという大事件が起き、朝鮮人労働者3名が死亡、19名に重軽傷を負わせました。この事件で81名が検挙され、53名が有罪となりました。

この事件は資料も少なく、当時日本が韓国を植民地化していたこともあったためか、事件があったことを示す慰霊碑なども存在しないようです。静かな集落に昔そんな悲しい出来事があったとは、にわかには信じがたいですね。
投稿者:ポテトマン
峠の線路を作る時に悲しい出来事があったらしいですよ。知ってましたか〜?

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