チベットが、ひいてはチベットに不当な弾圧・抑圧を行い、その尊厳・生命を蹂躙している中国は、今や大問題になってる。
その中で国内問題に目を向けるのもいかがなものか、と思いはするのだが、俺はあえてこっちに目を向けたい。
おいおいチベット、ひいては中国
独裁国家、ならびに中国
毒菜国家についても述べていきたいが、まずは足下から。
何より、他のブログなどがその方面について述べている。言いたいことはすでに他で言われてしまってるので、現段階では気持ちを手短に述べるにとどめたい。
「さっさと潰れろ中華人民共和国!!」
というところで、どこか忘れられた感のある国内問題をほんの少しばかりとりあげたい。
国内問題と言っても様々なのだが、一時騒がれて、今は静かになってしまったことが幾つかある。
中でも特に大きいのが、
・皇統問題
・格差社会(平等社会)
ではないだろうか。
皇統問題についてはまた別の記事を上げるとして、今回は格差について。
まず、俺は格差社会を求めている。
なぜならば、
格差のない社会というのは共産主義国家でしかないからだ。
富裕層を排除し、全員を平等にした国家は、共産主義国家だけである。
よくある「資産の分配を!」という言葉は、共産主義者・社会主義者などがほざいてた戯言である。
その結果どうなったか?
ソビエト連邦は崩壊した。
中国は共産主義経済を放棄した。
北朝鮮は極貧国である。
これらの事実をつきつければ結果は自ずと明かである。
格差のない社会には
破滅しかない
格差で問題とされている「貧富の拡大」であるが。
逆に聞きたいものである。
「富裕層のいるアメリカや日本の底辺はそれほど悲惨なのか?」と。
富裕層のいない国、富裕層を排除した国の底辺は、
・住むところもなく、
・就労の機会もなく、
・飢え死にするのを待つばかり
である。
逆に日本の底辺はどうなのか?
アルバイト情報が無料のフリーペーパーで溢れている。
時給900円のバイトなら吐き捨てるほどある。それをやってれば、生活は苦しいが一人暮らしすら可能だ。
それどころか、バイトであるのに月給20万以上を稼ぐ事もできる。独身ならば結構余裕のある生活ができる。
さて。
こんな国の何処に「貧者」がいるのだろうか?
「貧富の拡大が問題だ」とほざいてる連中(俺は
森永卓郎と和田秀樹、副島隆彦、三浦展、雨宮処凛くらいしかしらないが)は何を問題視しているのだろうか?
「貧富の格差」という言葉にも問題がある。
実際の所「貧しい」者などほとんどいない。
いるとすれば、働かずに自ら苦況に落ち込んでいってる連中くらいだろう。
そういうのは「自業自得」という。
貧富の格差がついてるのではない。
底辺の生活レベル・生活状態はさして変わってない。悪くもなってない。良くもなってないが、生きていくことすら不可能ではない。むしろ多少は余裕のある暮らしをしている。
単に
富者がより豊かになっただけだ。それも底辺の生活を脅かすことなく。
実に理想的な社会ではないか。
豊かになる者があれば、その影に貧しくなった者がいる。
そんな思いこみの大きいバカが世の中には多いのだろう。
現実にはそんな事無く、日本は相変わらず底辺の人間すら豊かに生きている。
もしそんな底辺から抜け出そうと思ったら、それこそ努力が必要だろう。
大学卒業が当たり前と言える現在、そんなものなんのセールスポイントにもならない。
単純労働以上の高収入だが能力を要求される仕事につくには、それ以上の何かが必要となる。
それを持たないくせに「もっと収入を!」と叫ぶのは馬鹿げている。
底辺(という程ではないかもしれないが)にいる俺ですら、「虫のいいこと言ってんじゃねえ」と思う。
結局は、能力なのだ。
会社は常に使える人間を求めている。
求人は溢れている。
それでも就職できないのは、たんに「あんたに能力が無いからだよ」というだけの話しだ。
いやなら能力を磨け。
出来ないなんて言ってるんじゃねえ。
嫌だなんて言うんじゃねえ。
毎月何十万も稼ぐというのはそういう事だ。
「いや、俺はやりたい事をやるんだ」というなら、楽に出来るが低収入の仕事に甘んじていろ。
日本には格差がある。
それは事実だ。
しかし格差は問題ではない。
格差が問題だと思ってるのは、人間は平等でなければいけないと思ってる連中だ。
そしてそういうヤツラが求めてるのは、結局共産主義国家である。
共産主義国家には富裕層はいない。
全員が同じ所にいる。
全員が同じ貧乏人である。
不思議なもので、そうなると新たな格差が発生する。
物資を好きなように分配できる共産党と、共産党の意向を伺う貧乏人の群だ。
結局格差社会を問題視している連中は、もっと酷い格差社会を求めているだけである。
そこに気付かないんだから「ばーか」と言っておくしかない。