おもろい事いうなあ、と思いつつ。
http://potthi.blog107.fc2.com/blog-entry-424.html
『広島の原爆、
即死者数は14万人といわれているが、実はそんなに死んでないのじゃなあい?』
(これの魚拓)
http://s01.megalodon.jp/2008-0817-1654-31/potthi.blog107.fc2.com/blog-entry-424.html
http://www.47news.jp/CN/200710/CN2007102201000710.htmlより
『45年の広島への原爆投下では、
同年12月末までに人口約35万人のうち約14万人が死亡した。』
原爆投下がたしか8月6日(8月9日が長崎だよね?)。
それから約四ヶ月で後遺症なりなんなりで14万人。
14万人の即死者数というのは間違いだろう。訂正してもらいたいもんだ。
となると今度は、では何人が即死したんだろうと思うことになるが。
これは「原爆 死傷者」でgoogle検索した結果の一つ。
気になって調べてみたらこんな事だった。
けど、即死の死亡者は今のところはっきりとしない。
出所の怪しさで信憑性が下がるウィキペディアによると、
「爆心地から500メートル以内での被爆者では、即死および即日死の死亡率が約90パーセントを越え、500メートルから1キロメートル以内での被爆者では、即死および即日死の死亡率が約60から70パーセントに及んだ。さらに生き残った者も6日目までに約半数が死亡、次の6日間でさらに25パーセントが死亡していった。
11月までの集計では、爆心地から500メートル以内での被爆者は98から99パーセントが死亡し、500メートルから1キロメートル以内での被爆者では、約90パーセントが死亡した。1945年の8月から12月の間の被爆死亡者は、9万人ないし12万人と推定されている。」
死亡率の高さは書いてあるが、即死というのははっきりとしない。
この死亡率が何を元にしてるのかもハッキリしないのが残念だ。
とりあえず、「被爆に関わって死亡したと思われる者」がおおよそ14万人というのだけが分かるだけ。
なんで「即死」というのか理解できない。
なんらかの資料によるのでしょうか? もしそうならば参考にした資料を提示してもらいたいものだ。
ついでに言えば「ホロコーストがあった」という確たる証拠をさっさとだしてもらいたい。正確には、「ガス室による虐殺があった」という資料だが。
歴史修正主義者はこれだから困る。
その他にも、
「広島と長崎における遺体処理はどのように行われたのか」
というのも知りたいところ。
四ヶ月で14万人(広島だけ)というのはやはり尋常ではない。臨時で火葬場を作ったというが、それで間に合ったのかも疑わしい。
この辺りの資料もないのがつらいところ。
誰か知ってたら教えて。
というか
『死体処理係の人数とその方法と14万人という死者数だけで考えると・・その処理日数は膨大なものとなり、とても1.2ヶ月で跡形もなく処理しきれるものではない・・・あやしいねえ・・実は14万人も亡くなっていないんじゃないの??
などというアホは日本には多分いない・・・・・・』
というなら死体処理のやり方をさっさと示してもらいたいものだ。
そんな事も知らないの−、とか言って決して資料を示そうともしない荒らしでないならば。
あと、日本には多分いない、ってねえ。嘘吐くな。俺が参考にしたサイトの方も含めて何人もいると思うが。思いつきで言ってるのだろうかこの人。
しっかし、賛成・反対はともかく、全くコメントもトラックバックもこないというのは結構驚いてる。みんなはこの問題について無関心なのかねえ?
とりあえず関連すると思える資料を、ネットで拾ってみた。
参考になるかな?
「キッズ平和ステーション・ヒロシマ」
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/kids/KPSH_J/frame/hirotop11.html
『1945(昭和20)年8月6日午前8時15分、広島に投下された原子爆弾(ばくだん)は、地上600mの上空でさくれつしました。
原爆(げんばく)によって亡(な)くなった人の数は
正確(せいかく)にはわかりませんが、1945(昭和20)年
12月末までに約14万人(±1万人)が亡(な)くなったと推定(すいてい)されています』
平和記念資料館より
「熱線による人的被害(じんてきひがい)」
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/VirtualMuseum_j/visit/vist_fr.html
『人が身にうけていた衣服は、強烈(きょうれつ)な熱線によって焼け焦(こ)げました。
多くの人たちが、血みどろになったボロボロの衣服を、わずかに身にまとい、瓦礫(がれき)の街を逃(に)げ惑(まど)ったのです。
被爆(ひばく)当日、約35万人の人たちが直接(ちょくせつ)被爆(ひばく)したと推定(すいてい)され、約14万人の人たちが、その年のうちに亡(な)くなったとみられています。』
「害(ひがい)の状況(じょうきょう」
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/VirtualMuseum_j/visit/vist_fr.html
(画像ですので、直接リンク先にとんで確認して下さい。
建物の全壊・全焼は爆心地から1.5キロ以内がもっとも被害甚大なようです)
「死体を荼毘(だび)に付す 」
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/VirtualMuseum_j/visit/vist_fr.html
『暑いさなか、腐敗(ふはい)が進み異臭(いしゅう)が漂(ただよ)い、膨大(ぼうだい)な数にのぼる遺体(いたい)の処理(しょり)は困難(こんなん)をきわめました。市内各所に臨時(りんじ)の火葬場(かそうば)が作られ、つぎつぎと運ばれてくる死体が荼毘(だび)に付されました。』
「裕の原爆関連慰霊碑など巡り」
http://yutaka901.web.infoseek.co.jp/page2b.html
(原爆関連の慰霊碑などをめぐっております。その中に埋葬者の数が散見されます)
「広島原爆 似島(にのしま)」
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/kusyu-ninoshima.htm
『昭和15年、陸軍運輸部馬匹検疫所(軍用馬の検疫所)が作られた。
この検疫所の目的は、外地から帰還した軍馬の検疫で、病死した軍馬の焼却炉が自然の家に移設されている。
原爆投下後は、亡くなった被爆者の方の火葬にも使われた。』
『混乱のなかとはいえ一部は仮埋葬のままでこの地に眠り悲しくも20有余6年の歳月が過ぎた
昭和46年 はからずもこの地から遺骨が発見され推定517柱を発掘し原爆供養塔の合祀した』
『8月7日早朝、なんとか市街の消火を終えたが、私たちには広島市の中心部で救援と遺体処理にあたる命令が発せられ、徒歩でさらに北上することになる。』
http://www.hiroshima9.com/arasuji/arasuji.htm
引用記事全文
原爆の死傷者27万人想定 国民保護計画で広島市
http://www.47news.jp/CN/200710/CN2007102201000710.html
国民保護計画をつくるため、核兵器で攻撃された場合の被害想定を検討している広島市の国民保護協議会専門部会は22日までに、1945年と同規模の原爆が広島市に投下された場合、約27万人の死傷者が出るとの報告案をまとめた。 個人や行政が最善の対策をとっても被害はほとんど軽減できないとし「市民を守るには核兵器の使用禁止と廃絶しかない」と結論付けている。 報告案は、広島原爆と同じ威力(16キロトン)の原爆が8月の晴天の昼間に投下され、当時と同様に市中心部の上空600メートルで爆発した場合、死者はコンクリート製建物の防護効果などで約7万人と45年に比べ大幅に減少するものの、負傷者は20万人を超えると予想。さらに負傷者の多くが死亡する可能性も指摘した。
45年の広島への原爆投下では、同年12月末までに人口約35万人のうち約14万人が死亡した。
2007/10/22 11:55 【共同通信】

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