コレの続き。
前回、
(1)鉄道模型レイアウト作りは縦展開が基本であること、
(2)VRMを含む仮想鉄道模型はその制約から自由であること、しかし
(3)VRMはその理想に達していないこと、に言及しました。
さて。以下はそれを踏まえてのボクの仮説なんですが。
上図は、
(2)VRMを含む仮想鉄道模型はその制約から自由であることを示す図です。ボクはこれを“ワードプロセッサ”の効用になぞらえて説明するのを好みます。
つまり、原稿用紙を前に(清書前提で)文章を書くと、ボクらはどうしても起承転結の順番に書かなきゃならない、と考えがちです。実際のところ、頭の中でアイデアは文章の順序とは関係なく浮かぶんですが、後で並べ替えるのが面倒なので、どうしても先頭から順に綺麗に書いていかなきゃならない、みたいな強迫観念にかられてしまうワケです。
一方で、ワードプロセッサ(ここではデジタル化されたテキストエディタすべてを含む)を使うと、コピー&ペーストで文章を並べ替えるのが楽なので、必ずしも先頭から綺麗に書かなくても、頭に浮かんだものをどんどん出していって、後から並べ替えて整えるみたいなことがやりやすくなります。
この喩えで言うところの、原稿用紙=リアル鉄道模型であり、ワードプロセッサ=仮想鉄道模型(VRM)であるのはご理解いただけますね。しかし、賢明な方は既にお気づきのことと思いますが、この両者の差異は、実は二項対立の断絶的なものではなく、程度の問題に過ぎない、という考え方もできます。
つまり、原稿用紙に向かって文章を書くにしても、ちょっとした工夫(思いつきの断片を原稿用紙1枚ごとに書き散らして、最後に並べ替えて清書する、だとか)でワードプロセッサ的な文章の書き方は可能です。逆に、ワードプロセッサが手元にあっても、適切な使い方を知らなかったり馴れていない場合は、頭から順番にしか書かない人だっているワケです。
ボクはここで不意に、士郎正宗の漫画「ドミニオン」で脳味噌まで筋肉な警部が、パッド型コンピュータに誤字入力をするたびに頭から打ち直しをして、ついにはキレてしまうエピソードを思い出しました。
リアル鉄道模型と仮想鉄道模型にも同じことが言えて、その道の達人の中には「図面なんざ引かなくてもレイアウトを作るなんてチョロいぜ」という人だっているでしょうし、逆に、VRMユーザーの中にも「縦展開プロセス以外の作り方なんて考えられない」という人がいるはずです。
“原稿用紙vsワードプロセッサの喩え”との間に差異があるとすれば、リアル鉄道模型作りの達人になるには(その人に天然の才能がある場合を除き)場数を踏むために要するコストが大き過ぎるってことでしょうか。要するに、万人が挑戦できるものではないってこと。VRMは、初期投資こそ大きいですが、試行錯誤に対する資材コストは使えば使うほど償却されるので、作業時間さえ確保できればリアル鉄道模型に比して割安にセンスを磨くことが可能になります。
閑話休題。
VRMで人並み離れた場数を踏みつつ、リアル鉄道模型レイアウトも手がけるボクとしては、自分のVRMレイアウトの製作プロセスが、意識しないうちに、自然と以下のような形に収斂してきていることを感じています。
理屈の上では
(2)VRMを含む仮想鉄道模型はその制約から自由であり、上掲緑線で示したような“レイアウトプロセッサ”的な使い方が出来るはずなんですが、現実には
(3)VRMはその理想に達していないので、場数を踏んで作業工程の最適化が進んでいくと、上図オレンジ線のようなプロセスに落ち着くんじゃないか、とか思うワケです。
つまり、この例で言うと、まず“見せ場”となる「駅」の部分にミクロ的に注目して、リアル鉄道模型的な考え方で積層して作ります、と。んで、不意に意識がレイアウト全体=マクロになって、縦展開で積み重ねる。その中で“ここにも見せ場を!(上例では「海辺」)”みたいなひらめきが起こり、再びミクロ的な積層が始まる、そんな感じです。
で、エントリタイトルに掲げた“逢魔時仮説”というのが図中の赤色網掛け部。つまり、ミクロ的な作業が一段落してマクロ的なところへ視線を移す瞬間であったり、マクロ的な作業の最中にミクロ的なところに注目が移った瞬間であったりし、何と言うか「あー、面倒臭ぇなー」的な、レイアウト作りの挫折の危険があるんじゃないか、とか思ってるワケです。
要するに、ミクロ→マクロにせよ、マクロ→ミクロにせよ、これは直前の作業にある程度の満足感というか達成感を覚えている最中に、突如として新たな課題に気付き“振り出しに戻る”瞬間なワケです。作文の喩えで言えば、起承転結に沿って書いて、読み直してみたら起と結が真逆の内容になってしまっていたことに気付いた瞬間、とでも言うべきでしょうか。
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と、仮説を放り投げて、ちょっくら湯治に出かけて来ます。6号は・・・届きましたが箱を開けるのが面倒臭いので、帰るまで放置。