表題は
言及先のパロディです。
「作成したいスクリプトがあって、それに適したレイアウト」を作るのか、「作成したレイアウトがあって、それに合いそうなスクリプト」を作るのか…。
(中略)
前者の場合ならスムーズにレイアウトとスクリプトの作成が進んでいきそうな気がする。しかし、レイアウト作成に「無意識な制限」を自身で設けてしまいそうで一長一短という感じも…。
VRMの仕様制約だけから考えると「残念ながら」前者の方針でいかないとしんどいでしょうな。@原理的に直値が廃しきれない=直値しか受けない命令の存在とオブジェクト参照の限界、A部品はマクロ視点で配置変更できるがスクリプトの修正は常にミクロ視点になる=レイアウターI/Fの限界、がその理由です。
それはさておき。
表題をパロディにしたのは「レイアウト×スクリプト」という対立構造(と敢えて言う)に違和感を覚えたから。スクリプトがVRMを構成する要素の中で最も特殊な位置にいるのは間違いないが、レイアウトと対置して考えるのはいかがなものか、と思う。
「〜があって、それに適したレイアウト」を作るのか、「作成したレイアウトがあってそれに合いそうな〜」を作るのか、という対立構造は、何もVRM4スクリプトの登場で始まったワケではない。〜に「編成」をあてはめてみてはどうか。あるいは「鉄橋」でもいい。実車編成にこだわれば必然的にレイアウトの構造(ホーム有効長など)に影響するし、トラックプラン中に崖で分断された部分がある場合に配置できる鉄橋はそこまでに作られた周囲の情景でほぼ自動的に決まるだろう。
で。
本当の対立軸はそこではなく、その結果作られるレイアウトが「自分で楽しむ」ためのそれなのか「人に見せる」ためのそれなのか、ではないかと申し上げておく。先の例で言えば、自分だけで楽しむのであれば実車再現した編成を収める駅を用意するのは必須ではない。それを意識せざるを得ないのは、そのレイアウトを見るであろう第三者の視線が気になるからだ。
スクリプトも同様。いわゆる「きれいなコード」を書こうと思わなければ、何も配慮せずに作ったレイアウトにスクリプトを後付けするのはさして困難ではない。スマートで汎用的でクレバーに「第三者から見える」スクリプトを書こう、という意識が「レイアウト×スクリプト」という対立軸を生むのではあるまいか。
fox氏はスーパーバイザーの立場上、そのような意識を常に持たざるを得ないので、それはそれで良い。が「レイアウト×スクリプト」という対立軸を他のVRMユーザーに問うとなると話は別だ。それは必ずしも自明ではないし、むしろスクリプトムーブメントに混じれないことに関して複雑な負のエネルギーを溜めている一部のユーザーを無闇に刺激することにはなるまいか。え、オマエが言うな?、切腹。
ちなみに。
本当に「人に見せる」レイアウトを作るのだとして。「作成したいスクリプトがあって、それに適したレイアウト」を作るというアプローチは大いに結構だが、それが見た人間にバレバレにならないように留意したいものである。これは先だって
ホーム氏に申し上げたことに通じるやも知れぬ。
手前味噌ながら、
拙作動画の近作三本(Fly Northward 〜 Vermilion Wing)は、すべて自律型完全自動運転を組み込んだレイアウトで撮影したものだったりする(
連載のために試作したもの)。どれだけスマートなスクリプトが書けても、「理想の鉄道風景」を体現せぬレイアウトは、たとえ配布するつもりがないにせよ拙者の美学が許さぬゆえ也。格好つけ過ぎですか、そうですか。
電波ゆんゆんですよ、念のため。