なかなか秀逸な比喩にて、誉め殺し申し上げ候。
レイアウトをつくる際にポピュラー音楽の考え方を持ち込むのが1つの手法になり得るのであります。つまりイントロ→ヴァース→ブリッジ→コーラス→アウトロという流れを、レイアウトの中につくることです。
かく申す拙者、下手の横好きで作曲も手がけるので、45-50s氏の引用の指摘には大いに思い当たる節があるので御座る。拙者の流儀に訳して考えると、たとえば・・・
(1) 最初に主題だけ(サビとは限らない)が思い浮かんで製作に着手する=着想段階
(2) ベース・リズムのみでとりあえず1ループ作ってみる=着想部にこだわらず、とりあえずエンドレスにレールを敷く
(3) 主題の部分にメロディをのせてみる=見せ場を構築する
(4) メロディに合わせて和声をのせていく=見せ場を肉付けする
(5) 自然につながるように前後へ広げていく=見せ場以外を埋めていく
(6) 通して聴いてみて細部を修正する=仕上げ
といった流れは、少なくとも拙者にとっては作曲とVRMレイアウト作りの双方にストンと当て嵌まるので御座る。作り方がそうであるゆえに、氏が指摘しているように完成品(楽曲とVRMレイアウト)の構造に相似構造が見出せるのもさもありなん。
さらに、蛇足覚悟で申し上げるならば、
−必ずしもその作品の時間的・空間的な流れ(音楽であればイントロからアウトロへ、VRMであれば始発駅から終着駅へ)に沿って作られるわけではないこと。
−必ずしも着想は、完成品とイコールではなく、製作過程の断片(音楽であれば1フレーズ、VRMであれば製作途中のビュワー画像)が着想にフィードバックされてそのイメージを洗練していくこと。
−作り込まれた「部分」はその「周辺」の構造にある種の制約を課し(音楽であればコード進行、VRMであれば鉄道システムとしての必然性等)ある時点から作者の作業が「創作」から「選択」にシフトすること。
などにも類似を見出すことが出来申す。
で、ふと思ったこと。
作曲のデジタルツール化の歴史は古いので御座る。よくよく考えてみるとMIDIなんてのは8ビットパソコン全盛期から存在している規格だったりする(細部は進化変遷してますが)のは驚くべきかな。これは、上に書いたような「製作プロセス」をデジタル化することでその作業負荷が軽減でき、より創作の本質にエネルギーをかけられるようになることが自明だったからだと思う次第。VRMも同じような流れに、遅れ馳せながら乗っていると言っても嘘にはなるまい(これには功罪があるが、雑多になるので捨ておく)。
ところで、このデジタルツールには大きく分けて2つの潮流があり申す。作曲に関して言うと「シーケンサー」と呼ばれる一音一要素に至るまでユーザーが精密に選択出来るタイプのものと、「コンポーザー」と呼ばれる音楽的な必然から示される選択肢の中からユーザーが好みのものを選べば結果的に楽曲が出来上がるタイプのものにて御座候(シーケンサー/コンポーザーの語の定義はいささか恣意的にて、他所では用いられぬが宜しかろう)。この差異は、実のところある瞬間にユーザーに示される選択肢の数が多いか少ないかの差に過ぎないのだが、その差が使い手に与える印象が大きく異なることはご理解いただけるのではなかろうか。
VRMを既にお使いになったことのある諸兄におかれては、VRMがどちらかと問われれば「シーケンサー」に属するツールであることはご理解いただけるであろう。が、まだVRMを使ったことのない方が、VRMに何を期待して購入するだろうか、と想像すると、存外「コンポーザー」が期待されている場合が多いのではないか、という気がするので御座る。大抵の場合、そのような期待は初めてレイアウターを起動した時点で打ち崩されるのではないか、と想像するのだが、中にはこの「ズレ」を自覚せぬまま茨の道を驀進する猛者もおられるよし、善々哉々。
途中から脱線(VRM界では禁句で御座る!!)してしまったが、45-50s氏はエントリタイトルを「VRMレイアウトの方法論(1)」としておられるように、今後も論考を上梓される模様にて、祝着至極。
どうか、ご自身のお考えを卑下されることなく、論陣を張っていっていただきたく。仮に稚拙なものであっても(45-50s氏のそれは稚拙ではありません、念のため)、明らかな誤謬を含んでいようとも(同左)、公開網に投げられた1つの論は必ずや何らかの波紋を生じさせるものにて、それだけで価値が御座候わずや。かく申す拙者も、氏のエントリがなければ考えもしなかったであろうことを一筆奉呈申し上げた次第。他ネットVRMユーザー諸兄にもまたかく恐々謹言。