先週あたりから革靴の底がなんか変な感じで、歩くとキュッ、キュッ、キュッと音がする。
靴を新調すれば済む話ではあるのだが、本人にはその気がないにも関わらず何かと威圧感を与えるキャラクターとして周囲に認知されてしまっているボクとしては、こういう間抜けな要素を1つ放置しておくのも面白かろうと、ここしばらくそのままにしている。ケチだからじゃないぞ、念のため。いや、それもあるか。
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吉川英治の手になる「三国志」末巻後半は、そのほとんどが軍師諸葛孔明の人物評に当てられているが、その中に「孔明は傑出していたが、凡人を逸脱する完璧主義であったがゆえに、周囲の者がついていけず、遂には志を半ばに挫折した(趣意)」というものがある。
たとえば、孔明の家の庭は常に真っ白な玉石が一糸乱れず整然と敷き詰められていたとか。それは彼にとっては、自らの清廉潔白と何よりも礼節秩序を重んじる姿勢を表明すべくおこなわれた演出だったのであろうが、返ってそのことが、臣下をして気軽に彼の門を叩き、ちょっとした相談や報告をすることを憚らせていたのではないか。そうするうちに、彼と周囲の人々の間の溝は、架橋不可能なほどに広がっていったのではないか、云々。
同じようなコトを、織田信長の暗殺とその後の豊臣秀吉の興隆について指摘した文章(出所失念)で読んだ覚えがある。明智光秀を謀殺に逸らせたのは信長の苛烈なまでの存在感・威圧感であり、その信長の旧臣が秀吉の下に短期に集結され得たのは、無論その火急の必要性があったからなのだろうけれども、加えて、秀吉のどこか開け放したような気安さがあればこそではないか、という内容だ。
ボクは適当に面白おかしく生きれればそれでいいと思っているしょーもない人間であるからして、乱世の英雄に学ばにゃならんことは特段ないのだが、やはり人間たるもの、完璧を期すのも良いが、どこかに間の抜けた突っ込みどころを残しておいて「あぁ、この人も同じ人間なんだ」と思ってもらえるような要素を担保しておくべきではないか、とか常々思っている。
で。
今日、職場の同僚に突然、
オバQみたいですよ。
いやだなぁ、足音でまでボケちゃ。
と真顔で言われた。
威圧感を与えているというのは、ボクの誤解だったらしい。