「自明のようで自明でない、VRM動画の時空間連続性について」
電波ゆんゆん
ここしばらく
fox-hobby-gardenの新作動画がすごい勢いでリリースされていて、さらにどの作品もクオリティが高い。まぁ、それは喜ばしい限りなんだけれども、見てて、不意に気づいたことがあって、それを要約すると表題に掲げた「自明のようで自明でない、VRM動画の時空間連続性について」になるんだけれども、きっと意味不明なので不本意ながら展開する。
以前にも少し書いたことがあるのだが、fox氏のVRM動画作品は、極めてハイレベルであることは認めつつも、有り体に言うとボクの好みではない。で、ボクはこれを、氏のレイアウト作風によるものだと思っていた。
fox氏は自他とも認める「立体交差フェチ」なワケだが、とにかく、現実の鉄道風景としては到底ありえない複雑な路線の交錯を得意とする。で、これはこれで面白いと思うんだけれども、少なくともボクの作りたい=見てみたい風景ではない。だから、好みではない、と言うのが、つい最近までのボクの中での理屈だったワケ。
これに「おや?」と疑問符が付いたのが、先だっての
VRM4 Movie 5daysの後半に登場した「Limelight」と題された連作を見たトキ。これ、すごくイイ、ボク的には。ツボを突かれた。
無論、この作品群は従来のfox氏の作品とは若干毛色の異なるものなので、それでだ、と言ってしまえばそれまでなのだが、元来ディープソート好きなボクちゃんは、なぜ、Limelightに限って心を奪われたのか、その理由を自己分析してみた。で、気づいたのが・・・
Limelightを見ると、その動画が撮影されたであろう時間的な流れ、立体的な空間、が頭の中に鮮明に浮かぶと言うこと。
つまり、VRM動画ってのは本来、その題材となったVRMレイアウトを自分のPC環境で見るのと比べて、時間的・空間的に制約されていて、動画作者が許可したアングル、カットからしかその世界を覗かせてくれない。
にもかかわらず、Limelightに限っては、その時空間が鮮明に把握出来た(厳密には、ような気がした)ワケ。で、この瞬間に、動画という時間的に一方向で空間的広がりを持たない媒介を通じて、立体感や現実感を伴った仮想世界を自分の脳内にインストールされたような、そんな快感があったのね。これが「おー、これってばオレ好み!」と感じた理由であろうと。
で、こういう知見を得たとき、ボクは必ず自分自身がどうであるかを問うんだけれども、それまでほとんど意識していなかったのに、改めて自分のVRM動画作品を振り返ってみると、時間的・空間的連続性に、すごく気を使っている、っつーか、悪く言うと縛られているのに気づいたワケ。
つまり、基本的に、カットの切替はあっても、空間的・時間的な連続性の維持が不文律になっていて、現実の風景を複数のカメラで同時撮影して、タイムコードが重複しないように編集したような構造になっているのがほとんどで。空間的な飛躍を伴うモノも中にはあるんだけれども、その場合であっても、大抵は最初のカットの別アングルに回帰していたりするワケよ。そうやって、無自覚のうちに時空連続性を主張していたのさ、時には1つの動画のために3つも4つもレイアウトを作ってるのに、動画はさも1つの世界であるかのように編集されてる!
と言うことは、きっとボクは大前提としてVRM動画には時空間的連続性が必要だと思っていて、fox氏の従来の作品にはそれがなかった・・・いや、待て。本当にないのか。違うぞ、と。ボクがfox氏の作品から、それを読み取れなかっただけじゃねーのか。
fox氏の作品は、立体構造が極めて複雑で、空間的な連続性を感じるには、見る側に少なくともfox氏と同等の空間把握能力が要求されるはずで、
VRM→Nでも繰り返し言及しているように、VRMによる事前シミュレーション抜きにはリアル鉄道模型レイアウト作りに着手できないボクには、到底fox氏の作品の立体構成を初見で把握できるほどの空間把握能力がないのは明白なワケ。
でも、無意識のうちにボクはその把握を動画を見ながら自分自身に要求していたから、fox氏の従来の動画を見ると、何かジグソーパズルの最後の一マスが埋まらないような不快感を覚えていたんじゃないか、と。
と考えたとき、こりゃ、エラいところに気がいってしまった、ということに気づいた。考えてみれば、ボクの動画だって同じことで。作った本人=ボクちゃんはビュワーでそのレイアウトを見てるワケだし、そもそもボクの脳内にあったものを吐き出しているワケだから、その抽出物たる動画から遡ってそこにある時空間連続性を見出せるのは当たり前なのね。だから、自分で見て心地がいい。少なくともボクが求めているモノはそこにあるんだから。そのために作ってるんだし。
しかし、ボクがfox氏の過去の動画作品からその世界を脳内に再構築することが出来なかったように、ボクの動画に対してそれが出来ない人ってのは、空間把握能力の良し悪しはともかく、ボクがボクの脳内補完で自作動画に満足可能であるがゆえになされた表現技術上の妥協によって、当然おられたんじゃないか、いや、確実におられたに違いない、と言うべきじゃん、イタタ。
で、実験的に
拙第79作では、基本的に時間連続性を保ちつつ、故意にその連続性を壊してしまうような「はしょり」をかましてみたんですが、諸兄はお気づきでしょうか。気持ち悪く感じるところがあれば、まさにそれがそうなんですけれども、上に書いたような「仮説」の検証のため、偽らざるご見解を賜りたいところではありますが、ここまで読み至る我慢強い御仁はさほどはおられますまい、っつー独り言です、ありがとうございました。