既にエントリタイトルが読者諸兄の理解を拒絶する方向へ行っていますが、それはさておき。三連コンボっつーのは・・・
・鉄橋&トンネル付ローカル風レイアウト@VRM→N
↓
・ありゃりゃ@such a cool
↓
・想@日向車両mini
のこと。厳密に言うと最初のは今西氏の設計依頼に端を発しているので四連コンボ、というべきでしょうか。
どうでもいい話ですが、連鎖毎にエントリタイトルが短くなっていって最後に「想」の一文字に結実するのが、ボク的にはそこはかとなく面白いです。
このコンボの中で話題になっているのは、主に小型(デスクトップ)レイアウトのトポロジーについて、ということになりますが、突き詰めるとそれは施工者や鑑賞者の好みにしかいきつかないので、捨て置きます。
ボクが面白いと「想」うのは、こういうコンボはVRMが介在してこそではないか、ってことです。
個人差があるとは思いますが、リアル鉄道模型レイアウト作りというのは、そのサイズの大小に関わらず、なかなかどうして趣味としてはやたらと手間がかかる大層な代物です。かつ、幸運な例外を除けば、普通は極めて個人的な体験に終始します。作るのも、見るのも、楽しむのも自分独りです。
インターネットのお陰で情報発信の敷居が下がりましたから、手間を惜しまなければ他人に自作レイアウトを晒すのは容易になりました。が、こうして鉄道模型レイアウト愛好家間の横連携が取り易くなったにもかかわらず、意外と愛好家間でのレイアウトに関する議論というのはあまり深まっていないんじゃないか、と感じています。
もちろん、コミュニケーションは存在します。が、誤解を覚悟で言えばどれも「社交辞令」臭い。「いいですね」「うまいですね」「私もそんな風にしてみたいです」という言葉は、無難だが中身に欠けている。何事においても、他者に作品を晒すことの意味は、忌憚のない批評をもらって自身のスキルをもう一歩前進させることに尽きるのであって、その意識のない晒しは衆人環視の中でおこなうオナニーに過ぎないってコト。
が、社交辞令化すること自体を責めても意味がないし、そうならざるを得ないことは理解できます。これは、前述したように鉄道模型レイアウト作りが個人が手がける遊びとしては限界ギリギリの趣味であることと密接に関係しています。
つまり、鉄道模型レイアウト作りは下手をすると家庭崩壊を招きかねないほど面倒な作業である上、一度作ったらそう簡単には手直しが出来ないもの。ゆえに、作者にはそれを意識する/しないを別にして、強力な自己追認が作用します。「これで良かったんだ、これがオレの好みだ」と出来上がったレイアウトを見て思い込まざるを得ない。それが本当にそうであるかは、この際関係がありません。そうでもしないと、精神的に耐えられないって話。これは、極自然な人間の脳味噌の自己防衛機能であり、そうなっちゃう人の罪ではないです。
しかし、そうであるがゆえに、自作品を無邪気に他者に晒したとき、善意でなされた批評に対しても、この自己追認が影響してそれを自身への攻撃と認識してしまいがち、ってのは想像できます。逆に、他者の作品に対する批評も、自己追認を補完すべくおこなわれる結果、無意味に攻撃的になってしまったり。愛好家はそのことを、これまた意識する/しないは別にしてよく知っているから、他者の作品に対しては社交辞令で応じることが常態化するんだろーな、みたいな。
翻って我らがVRM。
これはリアル鉄道模型レイアウト作りを仮想化したものですけど、その副作用として、物理的制約=手間と作業スキルの個人差が見事に取り払われていることにお気づきでしょうか。結果、エッセンスとして残るのは、普遍的なトポロジーや設計センス。三連コンボで話題にのぼっているのは、まさにこの部分ですね。
VRMレイアウトは、他者からの批評を受けてもリアルと比較すれば格段に容易に改善・修正ができますし、それに要する時間も短いですから、他者の批評に耳を傾ける余裕が出てきます。同じ批評であっても、VRMレイアウトに対するそれは、リアルのそれに比べて素直に聞ける。それは、他者の批評を受け入れた際に支払うコストが格段に小さいからです。
一般に、批評はそれ自体の良し悪し(傷つけないように批評しろ、だとか、最低限の礼儀がどーこーとか)が問われる傾向が昨今強いようですが、ボクに言わせればそれは本末転倒、アンポンタンな話なのであって、精神的に余裕のある人はどんな罵詈雑言からでも前向きな教訓を引き出せるのであり、自己追認に溺れている人はどんな素晴らしい批評からも後向きの愚痴しか出てこないものです。
理屈の上では、リアル鉄道模型レイアウトを対象としても、エッセンスのみを抽出し、物理的な問題を棚上げして議論することは不可能ではないはずです。が、人間は理論のみに拠って立つものでなく、感情にも支配される存在であるからして、前述の自己追認の衝動を断ち切ってエッセンスのみを論じるのは至難。ましてや、議論するにはそういう稀有な人間が少なくとも二人必要で、しかも彼らが偶然趣味を同じくした上で、さらに偶然出会わなければならないから、あり得ない話ではないが現実には起こらない現象、ということになりましょうか。
これが、ボクが随所で訴え続けているVRM(に限らず仮想鉄道模型全般)がリアル鉄道模型に対して有しているアドバンテージの真髄なんですけど・・・きっとご理解いただけないですよね。「レイアウト論を語る」を語るので、これを称して「メタ・レイアウト論」とでもしますか。まぁ、人生に残された余暇は嫌になるほど長いみたいなので、ボチボチと研究していく所存であります。
ところで。
「自己追認」を生むのは、鉄道模型がリアル/バーチャルであることに依存するのではなく、施工者にとってそれが過負荷かつ不可逆であることに起因しているのであるから、VRMもそうだと思ってしまっている人はこういう「遊び」には参加できないし、なまじっかそういう人が情報発信の手段を手に入れてしまうと、自覚のない自己追認の炎と、自己追認を卒業したVRMユーザーの何気ない言葉の板ばさみにあって苦しんだりするのかも知れない。そんなモン、ボクちゃんの知ったことか。ご愁傷様。