「議論を呈す体で実は自爆するという毎度御馴染みのお家芸(サイト乗っ取り厨編)」
電波ゆんゆん
VRMとは直接は関係ない話。例によって、小難しい話(っぽく見えるもの)をした後、自爆するいつものヤツ。読みたい人だけ続きをどうぞ。
コレについて。面白いので時間があれば目を通していただきたいと思うんですが、大まかに要約すると・・・
・“サイト乗っ取り厨”と俗称される行為がある。
・サイト乗っ取り厨は、いろいろな手段を用いてあるサイトの所有者に成りすまし、その人のコミュニケーション上の地位の奪取を図る。
・weblogやSNSの一般化に伴い、この現象は今後より多く見られるようになることが予想される。
というお話です。
「へぇ、そんなことがあるんだ」と驚かれる方もおられるでしょうし、インターネット歴の長い方であれば「大なり小なり昔からあるよね」とお感じの筋もおいででしょう。ボクはこの文章を目にしたとき、あるひねくれた感想を持ちました。で、ブックマークが伸びそうな雰囲気だったので、ボクと同じ感想を抱く人がいるか、を継続観察すべく、このURLをブックマークしておくことにしました。
本稿執筆時点でこの記事は
60ブックマークを得ており、うち22件にコメントが添えられています。その内容は概ね「なぜ、そんなことをするのか理解できない」と「それに備えて本人証明の手段が必要である」に集約されるようです。いずれも、自分がそういう事案に巻き込まれることに対する漠然とした不安が背景にあるように思えます。読者諸兄におかれても、同様にお感じになる方が多いのではないでしょうか。
さて。先にボクは「ひねくれた感想を持った」と書きました。ボクの感想は“なぜ、多くの人がこれを不安に思うかがわからない”に尽きます。原文の主旨にそえば“サイト乗っ取り厨”は、自分自身そのままで他者とコミュニケーションする必要性を感じておらず、他人が構築した「型」に自らをはめることでコミュニケーション上の地位を確保しようとしている、ということが出来るかと思いますが、それを言ったら、この現象に不安を感じる人も同じなんじゃないか、と思うからです。
原文筆者が、この現象の多発地帯として紹介している“イラストサイト”と総称される領域を例に考えると、そういうwebサイトをいくつか歴訪してみるとすぐに気付くのですが、webサイトの構成に、まるで法規制でも布かれているかのような共通点を見出すことが出来ます。そして、そこを拠点として交わされるコミュニケーションの形態も、極めて似通っています。つまり“サイト乗っ取り厨”の被害者候補である人たちも、他人が構築した「型」に自らをはめることでコミュニケーション上の地位を確保しようとしている、という点では同じだ、ということです。
ボクが言いたいのは“イラストサイトをやっている人たちが無個性だ”ということではありません。ミクロに見た場合、そこで交わされる会話、コミュニケーションを媒介するイラスト(広義に考えればやりとりされる情報すべて)は個性的です。が、その方法論・様式という点では無個性です。銘々に自覚があるか否かはともかく、ボクには、この人たちがその界隈におけるコミュニケーションに参加すべく、不文律的に先達たちによって形成された“型”へ自分を嵌め込むことを受容しているように見えます。むしろ、そういう受容が無意識的におこなわれ疑問にも感じられないほど浸透した延長線上に“サイト乗っ取り厨”と呼ばれる、他者によって構築されたwebサイトごと受容してしまう現象が起きるのではないか、と思うワケです。
こう考えると、サイト乗っ取り厨に目をつけられる、ということは、その人が先達から受容し洗練させた“型”の価値が高いことの証明であり、むしろ誇るべきではないか、とすら思います。その人がその人で足り得るもの、アイデンティティは、その“型”や型によって形成されるコミュニケーションに拠るのではなく、まさにその人にしか出来ない、サイト乗っ取り厨には真似の出来ない部分にあるはずです。ですから、サイト乗っ取りが成功するということは、そもそもそのサイトには、その人のアイデンティティがなかったということに他なりません。原文の筆者の言葉を借りれば「自分の身の回りの人々が、ある日突然自分以外の人を自分と認識するようになった」という状況想定がそもそも間違っているのであって、元々「身の回りの人」はそこに「自分」を認識していなかったんです。“型”が運営され続けるのであれば、中の人は誰でも良かった、ってこと。
そしてそれは、その人が無個性であったことを意味するのではなく、その人が少なくともそのwebサイトにおいては、自身のアイデンティティを故意に放棄し、型の如くある自分を受容していたってことだとボクには思えます。そして、そうであるとすれば、それを奪われることに不安を感じる理由がボクには見出せません。要するに、自分を騙る他者=サイト乗っ取り厨があらわれたとしても、彼とは“型”を共有しているのですから、そのまま共存共栄すればいいんです。それが受け入れ難いと感じるのは、自分自身もかつて不特定の他者から移入したに過ぎない型を、自らのアイデンティティと誤認していることに拠るのであって、それは“サイト乗っ取り厨”という現象の問題ではありません。むしろ、そのように感じるということは、本当は受け入れ難いことを自分が受容してしまっていることに、無自覚である証拠であるとも言えるでしょう。
ボクが言いたいのは、型の受容、より噛み砕けば“ある界隈のコミュニケーションに参加するために、そこに不文律的に形成されていた型の如く振舞うことを受け入れる”ことの是非ではありません。それは、単なる選択問題で、受け入れるも受け入れないも、その人の自由です。違和感を感じるのは、そういう選択を自分がおこなったことに対する無自覚、についてです。そしてそれは、言うまでもないことですが、単にイラストサイト界隈に留まる話ではなく、あらゆるネット上のコミュニケーションに通じるのは、原文筆者の指摘される通りですし、そもそもネット上のコミュニケーションに限った話ではない、とすら思います。
そして、どちらを選択したにせよ、本当は受け入れ難いことを無自覚に受容している場合(受け入れ難いことであっても、自覚した上で敢えてやっているのであれば問題はないはずで、それは最早“芸”と呼ぶべきです)それは早晩どこかで破綻します。そして破綻した時点で、その型=自分のアイデンティティと誤認したままでいれば、破綻したのは型ではなく、まさに自分自身であるということになってしまいます。ボクはサイト乗っ取り厨よりも、むしろそちらの方に恐怖を覚えます。
さて。これは遠い未知の世界のお話でしょうか。あるいは身近な、ひょっとするとあなた自身にも当てはまる話かも知れませんよ。
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以上は、有り体に言えばオチの前振りです。
実は、ここに書いたことは、数日前にこの話題について妻と議論した内容を元にしています。そして、ボクはひとつの実例として、
コレの話を妻にしました。必ずしも“サイト乗っ取り厨”に当てはまるケースではないと思いますし、未だ実は“ボット”である疑惑も晴れてはいませんが、仮に中に人がいるとして、型の受容に際しての特殊事例、と解釈すると意外に根が共通しているのではないか、とボクが考えているからです。真相は定かではありませんが。
ところが、ここで妻から予期せぬツッコミが。
じゃ、まず最初に。
ソレが、純真なVRMユーザーをからかうためにやってる“アナタのイタズラ”じゃないってことを証明して見せてよ。 ・
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工エエェェ(´д`)ェェエエ工 なんでそーなるの?