その日は、昼の仕事のミスで、母親とRYOは、夜食抜き。風呂にも入れさせてもらえなかった。
「ママ、お腹減ったよ」
母親の苦しさもなんとなくわかっているが、RYOは身体が汚いのと、空腹に耐えかね、寝られずにいた。
母親は父親の元へいく。
自分はいいから、せめてRYOに食事と風呂を入れさせてほしい、と。
しかし、父親はこう言ったのだ。
「うちのばあちゃんがダメって言ったらダメって、お前も知ってるだろ。だいたいRYOだって、子供が汚いのは当たり前だしな。1日2日食べんでも死なんだろ」
眠いから、これぐらいにしろよ、と父親は、大きなあくびをしながら、自室の戸を閉めようとした。
この現実の差はなんだ! 母親は愕然とした。
一方ではヌクヌクと豪華な広い部屋で大あくびで寝ようとしている。一方では、風呂にも入れず、食事もできず、子供と母親が二人でひもじさにあえいでいる。
母親は、自分の手を見つめる。
かつては、爪まで装飾をし、手入れが怠らなかったおかげで、すべすべで柔らかく自慢の手だった。
それがいつしか、擦り傷や赤ぎれ、打撲の繰り返しでお手入れもできず、ゴワゴワになった指。かたい作業服を手もみするために硬く厚くなった爪。太くなった関節・・。かつてのおもかげはどこにもない。
誰のおかげでこうなったのか・・。
ドアが閉め切られた父親の部屋の前。
母親は、どれぐらい手をじっと見て立ち尽くしていたのだろう。
あるとき、ついに母親の中で、何かが弾けた。
「あああああああああああ!」
心の奥底にある怒りなのか、悲しみなのか、悔しさなのか。いろいろな思いが、勝手に口から飛び出していた。
母親は絶叫していた。
言葉にならない感情があふれてくる。
母親の足は、父親の部屋の前から、違う方向へ向かっていた。
目が完全に異常をきたし、釣りあがっている。
「あああああああああああああ!」
弾きとんだ理性のまま、母親は、自分を散々に痛めつけてくれた姑の部屋に入り込んだのだ。
ドンとすごい力で開けられる扉。
姑が驚いて飛び起きる。
「な、なんですか!」
しかし、ふだんならたじろぐ姑の声も、今の母親には聞こえていない。
母親はまっすぐに姑に向かって足を進めていく。
「ひ・ひいいい」
一人で寝るには豪勢すぎるベッドの上で、後ずさる姑。
その後進する姑の分だけ、母親が前に進む。
狂気に蝕まれた母親は、ゴツゴツと変わってしまった両手を姑の首に伸ばす。
「やめ・・やめっ・・!」
何か言おうとする姑の首はもう母親の両手で覆われていた。そして、その手に力が加わる。
「きゅ・・ぐえぐええええ」
姑に、狂気の炎に燃えた、母親の目が近寄ってくる。
「ヨ・ク・モ・・・・!」
母親のざらついた声とともに、さらに姑の首が絞められる。
そのとき、母親の背後から強烈な力が加わり、姑と母親が引き離された。
「馬鹿! 何やってんだ!」
父親だった。
姑の絶叫があまりに突飛で常軌を逸しておかしかったらしく、慌てて部屋を飛び出してきたのだ。
「どけ! ばあちゃん、大丈夫か!」
父親は、母親を突き飛ばし、姑を心配そうに抱きかかえ、介抱した。
母親は立ち尽くした。
なんだろう、この人は?
私を突き飛ばして、母親を心配するこの人は、私の旦那さん。
今までこの人のためにやってきたことは、いったい、なんだったんだろう?
夫婦ってなんだろう。オトコってなんだろう・・。
姑は、父親に抱えられながら、ゆっくり目を開けようとしているところだった。
「なんで、こんなことするんだ!」
父親が母親を振り返り、厳しい口調で問う。
なんで? なんで、このヒトは、そんなこというんだろう。
私と子供が味わってきた屈辱を思えば、こんなの・・。
父親に大事そうに抱きかかえられた姑。
二人を見てるうちに、再び、母親の心の奥底から、熱いマグマが吹き上がってくる。グググっと、母親の両手がかたく握られる。爪が、手のひらの肉をやぶり、血が滲み出していた。
しかし今度は叫ばない。
奥歯をかみ締めたまま、二人を憎悪で濁った瞳でにらんだ。このまま呪い殺してしまえればいいのに・・母親は本気でそう思った。だが現実にはできない。
母親の狂気に、父親と姑はひるんでいる。まるで狂犬を前にしたようだ。
では、どうしたらいい?
母親は怒りに溶けた脳を回転させ、答えをだした。
母親は口からこぼれ出そうになる絶叫を押さえ込み、父親たち二人の前からきびすを返した。
RYOが待つ部屋に帰る。
母親は、空腹と身体の気持ち悪さでまだ寝付けないRYOを起こす。
「どうしたの、ママ?」
幼いRYOも、母親の異常に気づく。
母親は黙って、服などをボストンバックにつめている。
最小限の荷物だけまとめると、母親はRYOを連れて、父親の家を出て行ったのだ。
父親は、その背中をただ見ているだけだったという。
「・・そんな・・RYO・・」
RYOがチャットで明かした幼い頃のできごとは、あまりに壮絶で、あたしは言葉をなくした。

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