三、方言
東京弁で「馬鹿」といわれて腐る子に「アホかいなー」と励ましてやる
平成17『昔のむかし』前田宏章
「馬鹿」に「アホ」では追い討ちです。しかし「アホ」のニュアンスに「かいな」の疑問を添えると親の役割が果たせます。では逆の〈大阪弁で「アホ」といわれて腐る子に「馬鹿かねー」と励ましてやる〉は成立するのか、東京人に聞くほかないでしょう。
名古屋人ヌエボアンベに数人が喋りあふこゑ海猫に似て
平成19『仙波龍英歌集』仙波龍英
『わたしは可愛い三月兎』収録の一首です。二句「ヌエボアンベ」は赤坂に実在するメキシコ料理店のようです。結句「海猫に似て」は「けゃあ」「めぁあ」「ちょう」といった名古屋弁が行き交っているのでしょう。仙波龍英にかかると大阪は〈「まうかりまつか?」を真先にいひ、「社長」とよべば全員がふりかへる〉となってしまいます。
水俣の埋め立ての地に地蔵立つ もじよか顔して死んなはつたと
平成19『ハートの図像』桜川冴子
水銀ヘドロを埋め立てた水俣湾の一角に立つ地蔵です。下句は「かわいい顔で亡くなったという意味の方言」と注にあります。掲出歌は「コロス 能『不知火』」十三首の最後に置かれています、奉納公演のようですので地元の人が説明されたのでしょう。
生きまつせ生きまつせやと綴れ刺す夜のほどろの切々のこゑ
平成20『申し申し』青木昭子
『日本国語大辞典』に「ましょう」の方言として「まっせ」があり、長崎県・熊本県地方の名が挙がっています。歌集の奥書は福岡県ですが、この「まっせ」と解しました。三句は綴刺蟋蟀(つづれさせこおろぎ)に由来、「ほどろ」は「頃」また「時分」です。
大阪弁に自分と言えば君のこと溝かるがると飛び越すような
平成20『1/125秒』永田淳
二句「自分」は一人称の人代名詞であり、また反射代名詞でもあります。掲出歌は一人称の人代名詞が形を変えないで二人称の人代名詞となることをいっています。私即君が下句の表現なのです。事例があれば待遇表現の章に加えたい二種の「自分」です。
東京の偉いおがだに土淵の喜善が話(はなす)つこ教(をし)へだづも
平成22『百たびの雪』柏崎驍二
「遠野」九首の一首です。「喜善」は佐々木喜善(きぜん)(一八八六〜一九三三)、「東京の偉いおがだ」は柳田国男(一八七五〜一九六二)、「土淵」は現在の遠野市土淵町で喜善の郷里です。「遠野物語」は喜善の話が基になっているのです。したがって掲出歌は金田一京助が日本のグリムと呼んだ佐佐木喜善の作、ただし柏崎の代詠ということになります。
英語にてアナウンス聞く京都駅うちらあほらしおすとは言はず
平成23『海辺の街から』小谷博泰
結句の「ず」は現代語の打ち消しの助動詞「ぬ」の連用形です。観光都市京都の玄関口で英語は聞けても京言葉のアナウンスはないということでしょう。ほか〈うどん屋であづま男に話してゐる「めつちやわろたわ」「よう言はんわ」〉、こんなのもありました。

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