月ならで雲のうへまてすみのほるこれはいかなるゆゑんなるらん
油煙斎貞柳(『家つと』)
掲出歌は題詞に「南都松井和泉といへる油煙所の大形の墨上つかたにも御上覧のよし風聞ありけれは」とある。「上つかた」は二句「雲のうへ」の人、三句「すみ」は「澄み」に「墨」を掛け、結句「ゆゑん」は「由縁」に「油煙」を掛ける。この歌のあと題詞「是はいかなるゆゑんなるらんと読(め)るうたを京童の風聞さまさまあると聞(き)て」で二首続く。内一首〈油煙斎と世にうたはるるころもきぬ心をすみにそめまほしさよ〉、三句は油煙斎という「衣着ぬ」だろう、享保十一(一七二六)年だから貞柳は七十三歳だった。
ありま山いなといへともささひとつあがれあがれと湯女か一ふし
夜船にて苫(とま)よりのそく男山月のおかほのちよつとほの字て
范蠡(はんれい)とさかさまなれや鯊釣(り)に小船漕出(て)て喰ふはれいはん
かほりさへよし野たはこの夕けふりはなのあたりを立(ち)のほるかな
一首目の題詞は「有馬にて」。有馬山は歌枕、途次にある猪名野も歌枕、笹の名所であった。同音を利用して二句「いな(否)」(初句「あり(有)」と対句)、三句「ささ」は「酒」に人を促すときの「ささ」、また囃す口調として結句「一ふし」に掛かる。二首目の題詞は「上京の折に」。船は天井を苫で覆った三十石船だろう。「苫」は菅や茅で編むが目が粗い。そこから覗く男山に対して空の月を女性に見立てた。三首目は題詞「我(が)身七十に及ふまて何の功もなくいたつらにあかしくらしなにはの事もいさしら浪の舟遊ひに行(き)て」。初句「范蠡」は別名を陶朱。中国は春秋時代、越の功臣にして金満家。結句「れいはん」は「冷飯」となる。四首目の題詞は「和州よりたばこをもらひて礼状の奥に」。「和州」は「大和」の異称、定番の「吉野」に「良し」を、「花」に「鼻」を掛けた挨拶である。
音にのみ聞(く)胡鬼(の)子をつくつくとめの正月をけふこそはすれ
あづさ弓ひくではないが此(の)しばゐめつたまとりにあたりこそすれ
身を捨(て)てよしやみかんのかわ衣六君子(りつくんし)にも交はらぬかも
一首目の題詞は「甲州の人胡鬼(こき)の子を持参ありて歌をとあるに」。「胡鬼の子」は「羽子」また「ツクバネの異名またその実」、この歌の場合は後者である。果実が羽子に似ているのだ。三句は「つくづく」また羽子を「つくつく」、四句は「目(女)の正月」と解した。二首目は題詞「いづもの掾浄瑠璃芝居を見て」。「いづもの掾」とは竹田出雲のことだろう。初句は「ひく」に掛かる枕詞、四句「めつたまとり」は賭的の「滅多的」と見事な鳥「真鳥」の合成語と思われる。ぞっこんなのだ。三首目の題詞は「医者隠居せしに」。二句の「よしや」までは隠居を指し、今一つは「みかん」以下に係る。中国宋代の六君子と交わらぬ、とは六君子湯の世話にならないこと。蜜柑の皮は組成成分の一つである。