○天理教よふぼくの集い●

僕は、小さい頃から足が不自由で様々な神様や仏様におすがりしてきましたが、四年くらい前(2006年11月時点より)にもうない命(人生に絶望して、いつ死のうかという毎日でした)を天理教の神様に救けていただきました。その御礼をこめて、毎日のひのきしんとしてこのブログを書かせていただいています。自分自身の体験談や、お道の御教え(三原典)をもとにした日々の心づかいなどを練り合いさせていただきましょう!!(^o^)

 

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投稿者:鋼汰狼
小樽ヨリ…良い御言葉ですネOK
投稿者:鋼汰狼
小樽ヨリ…良い御言葉ですネOK
投稿者:マイケル
私が修養科第377期を卒業したのは、今から37年前の11月です。訳の分からないまま、実父の薦めで修養科に入りましたが2ヶ月目の朝の礼拝で誠に不思議な体験をしました。南礼拝場は敷島詰所のエリアですが、この朝はいつもと違った位置に座って朝勤めを始めました。長い拝の後、大太鼓の音が響いたその時です、「あしき」の一声と共に両手が異常に重く感じられ、自分の腕ではないような錯覚に落ちいました。すると頭のてっぺんから何かが祓い落ちるように両手の動きについてきました。そして「はらい」で、指の先から抜け出てしまいました。最初の一回だけですが、その時の爽快感は言葉では表せないほどでした。強いて言えばどんよりと曇った空があっと言う間に青空に変わり、太陽が差してきた感じです。自分に一体何が起きたかのか分かりませんでしたが、これが無心の勤めと言われるのでないかと思いました。以後一度も同じ体験はしていませんが、あの時の自分の状態は夢も希望も無くこの世にたった独りぼっちで置き去りにされたような感じだったと思います。それと、後で考えると、甘露台から自分が座っていた位置が生まれ年である未申の方向であったと記憶しています。多分おさずけも方位が関係するのではと思った次第です。おかきさげに書かれている通り、日々家業に励んでいますが、においがけというのは諭すことであって、薦めるものではないと思っています。理にかなう事とは自然の法則に一致することであり、正確な歯車にかみ合う事です。地球規模の考え方では理を理解することは到底無理でしょう。広大無限な宇宙は神の体であり、夫婦の形態をなしている事を理解しましょう。二つ一つが天の理という意味がこれです。

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