母が亡くなって、アッと言う間に1週間が過ぎてしまった。
この一週間は長いようで、本当にアッと言う間に過ぎたような気がする。
20(土)の夜に父から電話で
17〜19日で母と四国へ温泉旅行へ行ったお土産と
母から私へ“アメリカ行きのお餞別”と、家の庭で採れた野菜を
送ったから、月曜に届くよ。という内容。
いつもは母に電話をかわったり、というか母からかけてきて
父にもかわるという事がほとんどだったけど、その時は別に何も思わなかった。
次の日、21(日)出勤途中に再び父から電話。
アメリカに行く前にやっぱり一回帰って来れないか?
お母さんが弱ってしまってる…と
電話口で父の声が震えているのもわかった…
でも、すぐにどうこうって感じでは無いから、
発表会が終わって落ち着いてからでいいとの事で、
早速29(月)の始発で帰省するように飛行機の手配をした。
けど、本当は土曜の電話でその事を伝えたかったのではないか、と
父の気持ちを察すると、いたたまれなくなった…
こういう風に父が電話してくるのは、ただ事ではない。
母は四国旅行の帰りに、そのまま母の実家(大分県)にて静養している。と…
日曜は仕事の最中、涙をこらえるのが必死だった。
21(日)帰宅して夜、母の携帯にメールを送信。数時間後、返事が来た。
「実家で皆さんに甘えてます。落ち着いたら電話して。お休みなさい」
一週間後に帰省する事をメールで母に伝え、ミュージックセラピーしようか?と。
22(月)昼頃、再び母からメール。
「ミュージックセラピー、ぜひともよろしく」
私は直ぐに、了解メールを返信した。
夕方から夜にかけて2回、母に電話したけど、出ない…
もう寝たのかな、、と。
でも、気になって私は眠れなかった。。
23(火)早朝、義姉からメール、
父が呼び出されて母の実家へ向かった。と
いやな予感…
2時間後、父から電話。母は旅立ってしまった。。(62才)
どうして?昨日までメールしてたのに…急すぎるよ…
慌ただしく再び飛行機の手配と、29日の飛行機はキャンセル。
私は夜9時頃実家へ到着。
母と対面。。。
本当に母なのだろうか…と受け入れられない。信じられない。
でも、悲しんでいる間もなく、お通夜と葬儀の準備が始まった。
写真を選んだり、色んな人に連絡したり、、
葬儀社の人が来て段取りの説明をうけたり、、、
夜中に、兄弟3人と父で色々と話す。
そして本当に真夜中だったけど、小さい音で母の前で演奏した♪
お線香とロウソクの火を絶やさないように、母の近くで仮眠。
24(水)
お通夜の為、昼過ぎに会場へ移動。
葬儀場へ到着すると、綺麗に飾られた祭壇、遺影に、
ぞくぞくと集まってくる親戚達に、母の死を受け入れざるを得ない状況。
お通夜に来て下さった方々にお礼と挨拶をし、
そのまま会場に宿泊。
宿泊設備は結構ちゃんとしていたけど、ほとんど寝られなかった。。
25(木)
告別式。
司会者の方との打ち合わせ、読み上げる弔電の選別。などなど。
まるで結婚式の段取りのよう。。
写真撮影の後、式は始まった。200人以上の方が会葬に訪れた。
お経の後、母の友人からの弔辞。涙が止まらなかった。
この後、私は演奏しなくてはならなかったので、
出来るだけ気持ちを落ち着けようと必死だった。
こういう状況で、こういう精神状態で演奏するのは絶対無理だと思っていたけど、
涙をこらえ、息のコントロールも厳しい状態で何とか演奏しきった。
曲は無伴奏の賛美歌〜ジャズのバラード「Violet for your furs」
『音楽家はどういう状況においても、ベストな演奏をしなければならない』
という事を、母に教えられたような気がした。私にとっては試練だった。
そして、最後に棺に沢山の花を入れて、出棺。。
火葬・収骨の後、お寺にて初七日の法要を済ませた。
そして自宅へ。
まだ信じられない。。
旅行が好きで、私たち子供が独立してからはよく留守にしていた母。
そのうち帰ってくるのではないか、と思ってしまう。
26(金)
最終便で私は東京に戻るので、それまで家の片づけを手伝った。
何年も書き続けた日記や、亡くなる2日前までのメモ書きも出てきた。
闘病記を本にしようと動き始めていたようだった。
母は13年前に乳ガンの手術(摘出&再建)をし、
その1年後に胃ガンが見つかった。
胃の方はもう手術をしたくないと言い、入院手術をキャンセルして
手術をしないで生き延びる方法を研究し始めた。
(漢方とか、自然治癒力を高める食事療法とか、生活スタイルを変えるとか)
胃ガンはとてもたちの悪いスキスル型で、宣告された時には手術しないと
余命半年という事は父にだけ知らされていたようで、この事は私は去年知った。
でも、手術も入院もせずに12年間生きることができた。
この12年、母はいろんな所に旅行に行った。
中国・シンガポール・韓国・カナダ・ハワイ・タヒチ・タイ・国内も色々と。
2005年のホノルルマラソンは私よりも1時間も早くゴールした母。
癌闘病中という事を全く感じさせない前向きな姿勢に、
逆に私が勇気づけられたり。。逆に私の夜型生活の事を心配していたり。。
ブログに夕食の写真を載せると、食事バランスが悪いとか、、
いちいちメールしてきたり。。
亡くなる数日前まで四国の温泉に旅行に行ったり、
父と最後の良い思い出を作っていたのかな、、と。
親孝行は何もできなかったけど、胃ガンでは入院も手術もせず
(定期検査は受けてましたけど)最後は痛がったりすることも無く、
眠るように実家で旅立った母は本当に自分の生きたいように生き、
人生を楽しんでいたと思う。
亡くなる前日の夜「天井から良い音楽が聞こえてくるわ」と言って
眠ったそうです。。。
ガンサバイバーとして、時々、講演もしていた母。
自分の体験が、他のガン患者の為に(励みに)なれば、と
本を書こうとしていた矢先に旅立ってしまった。。
そして、6月始めに私が母のPCに送ったメールは読んでいなかったのは残念だった。
でも、きっと伝わっているかな。。
お悔やみ、ご会葬頂きました沢山の方々に、お礼申し上げます。
ありがとうございました。

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