2009/7/3

ミニトマト  

 昨日、今日と収穫した。既に十分熟していた。昨日、生っているのをもいで食したら、もう食べ頃であった。慌てて収穫した次第である。

 昨日は6個を味わった。丸かじりで、ミニトマト本来の味を味わった。今夜は野菜サラダに彩りとして食した。どちらも味わえる。今夜は5個であった。

 小さな庭での栽培。いたずらっ子のショコと戦いながらの収穫は格別である。庭に犬が居るので当然無農薬である。安全安心が両立できる食料である。ナスもミニトマトもまだ収穫ができる。この後、何を育てるか検討したい。素人の一坪農園の経営は楽しみだけである。

 今は二人だけの食料になれば十分である。たくさんできれば、困る。だが、数年後には、息子達夫婦にお裾分けができるようになってみたいものである。欲が深いかな?
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2009/7/2

一息  

 4月から始まった日本語の授業。突然舞い込んできた話である。相手はブラジルから来た小学生。少しはわかる兄と全くわからない弟。それだけの情報であった。

 日本に来たばかりを想定して、最初は友達になろうと少々ポルトガル語を勉強しておいた。一生懸命ポルトガル語と片言の日本語で話をする兄。シャイで無口な弟。違いは余りにも大きかった。

 兄は日本語力が随分ついた。だが、6月後半から大好きな書くことに拒否反応を示すようになった。弟は最初から、覚えよう、書いてみようとすらしない。もちろん、一緒に日本語を発音してみようとする気も皆無であった。それが二人とも随分話ができるようになった。今日は休みにプールへ行くことを一生懸命に話してくれた。友達と流水プールへ出かける喜びを伝えることができた。随分な成長である。

 毎回、興味を惹きそうなものについてカラーでプリントを用意して授業に出かけた。1週間、その準備にかかりきりであった。1学期の授業が今日で終わった。初めての経験である日本語の授業。専門の理科の授業がずっと楽である。2学期はどんな展開をするか、考えねば・・・。まずは休憩。
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2009/7/2

キンカン  自然観察

 庭にある幼木の金柑がたくさんの小さな白い花を付けている。花としての魅力はまったくない。そんな意味で、余り見向きもされない。

 黄色く色づいた金柑の実。余りにも小さいので利用方法は少ない。それでも、小さな庭に植えたり、鉢植えで育てている家庭をよく見かける。パット拡がる人気はない。それだけのインパクトは残念ながら、花にも実にも持ち合わせていない。

 小さな実であるが、一生懸命春後半まで黄色の色彩を放つキンカンがなぜか可愛い。幼い頃、風邪を引くと「咳止めだよ」と言って母親がキンカンの液を飲ませてくれた。甘く、少々酸味があった記憶がある。僕らが幼い頃は、そのような自然のものを薬として利用していた時代である。我が子にもいろいろな薬草を利用したものであった。

 幼い頃の記憶がやたらと思い出されるのは、歳のせいだろうか。自分では決してそうは思っていない。世の中人工の色彩が氾濫している。植物や鉱物に観ることができる自然が織りなす色彩。それが蛍の光でも良い。次の世代が自然の中にある豊かな色彩を感じとって欲しいと願っているからに他ならない。

 
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2009/7/1

びわの種  

 記憶は定かではない。新聞の発言欄に次のような内容の投稿記事があった。家族でびわを食べた後、母親が種を庭に捨てた。その種が、8年後の今実がなった。そのびわを家族で食べながら母を思い出していると。

 昨日、NPOの会議があった。その席で安城のびわであると頂いてきた。ふと、びわの種の投稿記事を思い出した。欲張って数多くのびわを頂いてきた。

 今朝、びわを食べた。小粒ではあるがジューシーであった。甘みも十分ある。種だけは台所に残しておいた。昼食後のデザートにと、まだ取ってある。数多くの種の中から大きい種だけより選って夕刻、庭に数箇所に分けて埋めておこうと考えている。8年、随分長い。実がなるまで健在であるか自信はない。そこまで健康に気をつけてと。

 庭には、孫にと実のなる木が植えてある。ブルーベリー、ラズベリー、ジューンベリー、金柑、柿。発芽してくれれば、さらに一品種が増える。孫が喜ぶかは定かではない。「じゃま!」と切り倒してしまうかも知れない。それでも、孫が爺や婆を思い出す微かな手がかりになればと。

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2009/6/30

後半へ  

後半へ
 1年の前半が2時間ほどで終了する。時の流れが何と速いことであろうか。最近特に過ぎゆく時間が早すぎる感じがする。本来なら悠久の時間を過ごせるはずであるが、何かこせこせしている。世の中全般がそうかも知れない。

 小学校の頃、夏休みがくるのは楽しかった。だが、後半になると、宿題は全部終え、することが無くなってくる。退屈で早く学校へ行き、友達に会いたいと待ち焦がれたものである。

 携帯、インターネット、ファックスなど通信手段が発達すれば、それだけ効率よく色々なことが早くでき、余裕のある時間ができるはずである。だが、そうではないようである。様々な通信手段に雑用が多くなってきている。案内も容易に入手できる。7月は勉強会あり、研修会あり、ボランティア、さらにはNPOの活動が予定にしっかり入ってきている。

 忙しい方が健康に良い。けじめが付くという人もある。年齢的にはぼつぼつほどほどにが良いようである。まぁ、消化できるだけ後半もやってみるか。そんな思いで明日から頑張りたい。
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2009/6/29

セクシ−?  自然観察

 私たちはミニトマトの姉妹です。一枝に連なって大きくなっています。もう1週間ほど前から膚が色づいてきました。すべすべの肌をしています。

 遠くからすぐ見つけることができます。セクシーに見えますか?もうぼつぼつ食べ頃なんですが……。

私たち箱入り娘です。プランターで大事に育てられました。乱暴はしないでね。

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2009/6/29

1通の手紙  

 全く知らない人から手書きで書かれた封書を受け取ったら、誰しも誰だろうと必死になって思い出そうとするであろう。しかも異性からであったとしたら。

 僕はアルコールは好きである。だが、歓楽街で飲み歩くことはなかった。もちろんそのようなたぐいの女性ではない。「様」ではなく「先生」となっている。教師時代に教え子を思い浮かべても思い出せない。ボーイスカウト関係の人であろうか、アマチュア無線関係であろうかと、必死に思い出そうとする。胴長短足の典型的な日本人体型だから、もてることはなかった。

 差出人の横に男性の名前が書いてある。てっきりご夫婦だと思った。頭はパニック。簡易書留便である。「わからない!」。宛名を再度確認し、僕への手紙であることを確かめ、封を切った。「息子が50歳に・・・」。思い出した。それは僕が30歳頃に教えた子である。お母さんからの手紙であった。その手紙で一気に若かりし頃にタイムスリップ。

 知らぬ名前の差出人に気味が悪かっただけに、手紙の内容は、嬉しいニュースであった。賀状をやり取りしてる教え子達の保護者から戴くハガキや手紙は、不幸な内容ばかりである。僕はこの3年ほどで住所がころころ変わった。相当探された内容も記されていた。教え子が元気で活躍してるニュースは最高に元気の出る1通の手紙であった。
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2009/6/28

百寺巡礼 第9巻  読書

 京都U 五木寛之著 講談社刊 北名古屋市西図書館蔵
 このシリーズで京都のお寺の案内は2冊目である。長い間都であったことにより、庇護を受けて栄えたので、著名なお寺が多いのは当然であろう。

 案内のお寺のほとんどが観光化されている。拝観料の収入がなければ、維持できないお寺が多いのではなかろうか。それぞれのお寺にはどれほどの檀家があるのだろう。檀家から得られる収入で維持できるのであろうか。

 我々は京都へ行けば、多くの拝観料を支払ってくる。それでも、一般に入場者にはすべてが開放されているわけでは決してない。拝観料は本来、宗教法人とは異なる収入のような気がする。京都のお寺の多くは、決して庶民の救済に貢献したお寺ではない。そう思うのは、下衆な考えしか持たぬ僕だけであろうか。

 奈良にも豪華なお寺が多い。だが、京都ほど煌びやかさはない。そういう点で寺院散策は奈良の方が僕には面白い。いつもそのように思うのだが、「東福寺」や大原にはもう一度訪れてみたい。

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2009/6/27

ジョンの家  ペット

 今朝は久し振りに野暮用も入らず、パートナーとのんびりした時間を過ごすことができた。起床してジョンの家を掃除しようと決定した。

 寒い冬の間は、夜だけ室内に入れていた。最近の気温の上昇で、室内は嫌らしく、庭で夜も過ごすようになった。ジョンの小屋でも綺麗にしておかないと、どんな感染症を拾うかと心配になる。

 小屋を蚊連草の近くに移動してやり、蚊対策も一応しておいた。懐かしい遊び道具も出てきた。日中は暑いので小屋に入ることはなかった。だが、小屋の横の地べたで涼を取って寝ていた。

 野生の習性の強い柴犬ではあるが、ジョンも10歳になり高齢犬に属するようになった。少しでも住み心地の良い環境を作ってやらねばと思っている。

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2009/6/27

ピサロ展  博物館巡り

 行こう、行こうと思えど、野暮用が入りなかなか岡崎まで足が伸びない。先回の展示会もとうとう逃してしまった。昨日午後1時まで帰宅する前提で車で出かけ、観るだけ観てトンボ返り。帰宅するまで飲まず食わず。

 印象派でピサロに焦点を当てる素晴らしさ。学芸員の目の付け所が素晴らしい。これまでに多くの作品を見てきている。この展示で、ピサロの作品が如何に精緻に描かれているかを改めて知った。実に丁寧である。見る僕も丁寧にあら探しをしてみた。

 この展示会でのメインはミサロの農婦とミレーの農婦の描き方は際だった違いを示すことであると思う。。並べての展示は素人の僕らの見学者に違いを示唆してくれる展示方法であった。ミレーの農夫の姿は実に良く観察して描かれていることがわかる。

 展示会は同じような展示であっても、学芸員の展示手法で見学者に新たな発見を導き出してくれる。一地方都市の展示ではいつも素晴らしいと感じるのは僕だけであろうか。車を1時間ほど走らせ見学し、1時間かかって帰宅したとしても、得られる情報の価値は十分にある。



岡崎市美術博物館にて7月12日まで開催
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