『技術のレベルには平行線はない。それは、上がるか下がるかのどちらかである。』辻美徳
『評論家であるだけではいけない。それでは森を語って木を知らずということだ。』 辻美徳
自慢するわけではないが、母方の祖父は日本で最初にレインコートを手がけた人だ。
考案した端までメモリのある定規は(メモリの始まりが定規の始まりでないと意味がないと生前語っていた。)あらゆるアパレル業や専門学校において現在も使われている。
祖父は明治生まれの恵比寿っ子。
丁稚奉公に出た為、学歴は小学校卒。
しかし、職人として頭角を現した青年期に培った技術は活きた。
米軍の捕虜になった戦時中。
太って帰ってくるほど優遇されていたそうだ。
米将校の穴の空いた軍服をいとも容易く跡形もなく修繕したことが功を奏したようだ。
戦後、某大手アパレルメーカーの技術部を任された。
その後、武蔵野にある美大の講師になった。(この時期、連れて行かれた学祭のLiveでFREEJAZZを聴いたのが俺の小学生でのJazz初体験であった。)
小学校卒であったコンプレックスを克服するため、様々な勉強をした祖父は家族の誰よりも物知りであった。
そう、今思えば好奇心の塊であった。
祖父の大学での講義は脱線の連続であったらしいが、出席率が異様に高かったらしい。
異色の講師であったのは間違いない。
その後、某楽器メーカーのスポーツウエアー部門の顧問となり、83歳で天命を全うするまで生涯現役であり続けた祖父。
祖父の著書には(専門書、言わば服の設計過程の図面と解説)頑張れよ技術者諸君!と書かれている。
某大手メーカー時代に重役連中の主張するコストダウン製作をコートの質を落とすわけには絶対に行かないと激怒!
『バカ野郎!金はそっちのモンでも腕はこっちのモンだっ!!』と役員会議中に発言。数ヶ月の謹慎を食らった(苦笑)。
あるときは、国営放送のアナウンサーの背広の仕立てが最悪だと激怒し、抗議の電話をして『アレではボロ雑巾』と批判。
こんな祖父であったから金儲けは下手であった。しかし、確固たる信念に基づき生涯最高の衣服を作ろうとし続けた。
祖父が最後に手がけていた立体裁断という技術。アルゴリズムに乗っ取ったものだったそうである。
ここ数年、立体裁断の衣服が出回っているのを目にする度、『おじいちゃん!15年早すぎたね!』と心の中で思う。
他の分野においてもそのまま当てはまると思う、冒頭に挙げた二つの格言は今なお俺の中で確実に生きている。
祖父に感謝してこの文を締めくくりたい。
明治45年1月10日が祖父の誕生日。
恐らくこの日記は祖父に書かされたものだと思う。

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