明日(7/13)放送の「篤姫」第28話「ふたつの遺言」では篤姫にとってかけがえのない人物2人の死が描かれます。
1人は篤姫の夫にして徳川幕府第13代将軍・家定。
そしてもう1人は篤姫が御台所として江戸城に上がるきっかけを作った薩摩藩第27代当主・島津斉彬。
ドラマでも描かれていた様に、斉彬が今和泉島津家の姫君だった於一こと篤姫を養女としたのは、次期将軍として水戸家の一橋慶喜擁立工作の一環として家定の御台所に彼女を推挙するためでした。
結果的には大奥の圧倒的な水戸嫌いのために斉彬の努力は無に帰するわけですが、篤姫が家定亡き後天璋院として大奥に残ったからこそ幕末から明治維新に掛けての動乱期に徳川家は存続できたのではないでしょうか。
さて、篤姫を介した慶喜擁立に失敗した斉彬は次期将軍継嗣問題の最大のライバルで、大老に任ぜられ強権を振るう井伊直弼に抗議するべく兵を率いて上洛することを決意します。
しかし、炎天下で軍事演習を強行したのが祟って体調を崩し、帰らぬ人となってしまいます。
一説では斉彬が島津家当主になった際に対立した異母弟・久光とその支持者の陰謀とも言われてますが、真実の程は定かではありません。
その軍事演習の際に斉彬が利用していた陣屋ですが、現在では鹿児島市内の天保山中学校の一画に当時を偲ぶ碑が建てられています。
斉彬が藩主の座にいたのは僅か7年余りでしたが、集成館事業に象徴されるように藩の近代化を進め、西郷隆盛、大久保利通、小松帯刀といった人材を登用するなど、その功績は大きいものがあります。
こちらは陣屋跡から歩いて10数分のところにある天保山公園内にある砲台跡。
元々は斉彬の父で第26代当主・斉興が作ったものですが、その後斉彬が集成館事業で製造させた大砲が設置され、斉彬の死後に勃発した薩英戦争でも使用されました。