東京ローカル・ホンクの木下弦二さんから初めて電話をもらったのは もう二年ほどまえの夏だったろうか その時にどういう会話をしたのかは忘れてしまったが 僕たちのバンドを知って欲しい 聞いてみて欲しいという彼の気持ちだけはまっすぐに伝わってきた これも何かの縁(えにし)かと思いその後の僕は彼らのライヴに幾度となく足を運び またこれからも もっとライヴに行ってみようという思いは募るばかりだ 東京ローカル・ホンクの良さをどう表現すればいいのかはよく解らないのだが 今日もまた僕と同じように東京の空を眺め 同じような街並を歩き 戸惑いながらも呼吸をしていることは間違いなかった そんな風に自分の側にいるという親しみを持てるバンドに出会ったことに奇跡にも近いような感慨を抱いた まるで広告代理店が書いたような気取った歌詞や 見せかけのポーズや虚勢 あるいは英雄的な態度に終始しがちな日本の音楽シーンのなかで 彼らはいつもの商店街を行き交う人々を観察し 各駅停車の窓から流れる雲を追いかけたりしていた 彼らの織りなすサウンドスケープもまた大向こうを張るのではなく 微妙な感情や陰影そして日向の匂いをデリケートに運び込んできた ときには伊豆半島まで遠出したり草の燃える匂いを嗅ぎながら 結論を急がない心のありようみたいなものは形になりにくい でも僕は東京ローカル・ホンクの答えとか結論を求めない音楽のあり方に惹かれ続けている そうまるで池に投げられた小石のように (小尾隆 2009年6月23日:記)

2010/2/19

2月19日 くもりと晴れ  文学

蓮見圭一『八月十五日の夜会』(08年 新潮社)を
読了 今年七冊め

表題が指し示すように1945年の敗戦 それも沖縄
決戦を主題にしているのだが 本島ではなくあまり
語られることのない伊是名島および伊平屋島周辺の
軍や島民の様子を描写しているのがミソ

作者も文中で仄めかしているが 大戦の体験と言って
も それは個人の体験の集積に過ぎないのだろう
中央からではなく 周縁(伊是名島)から当時を浮か
び上がらせようとする意図も まさにそこにある

無知故にスパイになってしまった島の少年を日本軍の
幹部がリンチにしていく壮絶な場面も こういう機会
でなければ語られることは あまりないのではと思う
また だいぶ時間が経ってから敗戦を知る島の戸惑い
や 漂流してきた米兵を射殺する部分も かえって
想像力を刺激する

ちなみに蓮見は1959年生まれというから ぼくとほぼ
同世代である 代表作『水曜の朝、午前三時』(言うま
でもなく著名なフォーク デュオの曲に因んでいる)が
そうであるように 自分ではなく先代が残した記憶を
もとに語り部となっていくという距離感は ごく正直な
ものに違いない

事実ここでの主人公も 死んだ祖父を辿っていくことか
ら こうした史実に直面してゆく

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