東京ローカル・ホンクの木下弦二さんから初めて電話をもらったのは もう二年ほどまえの夏だったろうか その時にどういう会話をしたのかは忘れてしまったが 僕たちのバンドを知って欲しい 聞いてみて欲しいという彼の気持ちだけはまっすぐに伝わってきた これも何かの縁(えにし)かと思いその後の僕は彼らのライヴに幾度となく足を運び またこれからも もっとライヴに行ってみようという思いは募るばかりだ 東京ローカル・ホンクの良さをどう表現すればいいのかはよく解らないのだが 今日もまた僕と同じように東京の空を眺め 同じような街並を歩き 戸惑いながらも呼吸をしていることは間違いなかった そんな風に自分の側にいるという親しみを持てるバンドに出会ったことに奇跡にも近いような感慨を抱いた まるで広告代理店が書いたような気取った歌詞や 見せかけのポーズや虚勢 あるいは英雄的な態度に終始しがちな日本の音楽シーンのなかで 彼らはいつもの商店街を行き交う人々を観察し 各駅停車の窓から流れる雲を追いかけたりしていた 彼らの織りなすサウンドスケープもまた大向こうを張るのではなく 微妙な感情や陰影そして日向の匂いをデリケートに運び込んできた ときには伊豆半島まで遠出したり草の燃える匂いを嗅ぎながら 結論を急がない心のありようみたいなものは形になりにくい でも僕は東京ローカル・ホンクの答えとか結論を求めない音楽のあり方に惹かれ続けている そうまるで池に投げられた小石のように (小尾隆 2009年6月23日:記)

2010/2/24

2月24日 晴れ  文学

保坂和志『残響』(97年 中公文庫)を読了
今年9冊めの読書でした

人と人の関係は 言うまでもなく流動的で
その時その時で 濃淡があり
むろん出会いや別れ さらには断絶や死別が
含まれます

逆にいえば「ずっと」や「永遠に」は
絵空事ということですし
固定された人との関係というのは
少なくとも私には 気味が悪く映ります
all things must passと歌った人も
いましたね

そうした人の営為を”記憶”という糸口によって
重層的に語っていくのが この小説です
例えば中古の一軒家に引っ越してきた若い夫婦
が その家の片隅に以前暮らしていた夫婦の
痕跡を見つけ 想像を巡らせる

想像を巡らせられた以前の主(あるじ)たち
は 別離してそれぞれの暮らしを見つめなが
ら 過去に出会った人なども思い またその
人が主役となる場面転換が随所に盛り込まれ
ていきますが  登場人物たちの記憶の糸は
残念ながら結びついていくことなく
現実のなかで埋没していきます

毎日4日に掲載された三輪太郎さんの随筆に
よれば「やわらかな日本語で日常の隙間を描
き 魂や死という言葉を使わずに魂や死を問
う 稀有な小説」ということになりますが
なるほど ミニマムな積み重ねがやがて壮大
なうねりを生み出していくところに 作者の
力量を感じました それは宇宙と言い換えて
も構わない

記憶すると同時に忘れていく
それが人間の残酷さであり 運命でもあります
現に私が自分のことを振り返ってみても
一体どれだけのことを置き忘れてきてしまっ
たことでしょう

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「たとえばいまあたしが桜の花を散らすのが風や
雨だけじゃなくて鳥も花を落としているんだと知
って これからは桜の花が地面に散っているのを
見るとそういう鳥のことも考えるようになる」
(保坂和志『残響』より)




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