東京ローカル・ホンクの木下弦二さんから初めて電話をもらったのは もう二年ほどまえの夏だったろうか その時にどういう会話をしたのかは忘れてしまったが 僕たちのバンドを知って欲しい 聞いてみて欲しいという彼の気持ちだけはまっすぐに伝わってきた これも何かの縁(えにし)かと思いその後の僕は彼らのライヴに幾度となく足を運び またこれからも もっとライヴに行ってみようという思いは募るばかりだ 東京ローカル・ホンクの良さをどう表現すればいいのかはよく解らないのだが 今日もまた僕と同じように東京の空を眺め 同じような街並を歩き 戸惑いながらも呼吸をしていることは間違いなかった そんな風に自分の側にいるという親しみを持てるバンドに出会ったことに奇跡にも近いような感慨を抱いた まるで広告代理店が書いたような気取った歌詞や 見せかけのポーズや虚勢 あるいは英雄的な態度に終始しがちな日本の音楽シーンのなかで 彼らはいつもの商店街を行き交う人々を観察し 各駅停車の窓から流れる雲を追いかけたりしていた 彼らの織りなすサウンドスケープもまた大向こうを張るのではなく 微妙な感情や陰影そして日向の匂いをデリケートに運び込んできた ときには伊豆半島まで遠出したり草の燃える匂いを嗅ぎながら 結論を急がない心のありようみたいなものは形になりにくい でも僕は東京ローカル・ホンクの答えとか結論を求めない音楽のあり方に惹かれ続けている そうまるで池に投げられた小石のように (小尾隆 2009年6月23日:記)

2010/2/28

2月28日 雲と雨そして晴れ  文学

沢木耕太郎『血の味』(00年 新潮社)を
読了 今年10冊め

ノンフィクション作家として著名な沢木が
フィクショナルな純文学を書いたという意味
でも意欲作だろう 結果 主題にされたもの
は生に関する抽象性である 生きながらもは
や死んでいる生というものがあるとすれば
それを冷徹なまでに追い求めた小説かもしれ
ない

虚無的に造形される主人公は15歳の中学生
であり 過去を語らない父の存在に怯える
一方 元ボクサーだったという男と言葉を交わ
すことで 世界というものを知っていくが
意外な顛末が、、、

あとがきで沢木は これを書いて楽になった
旨を記しているが 偽らざる心境だろう
もともとは15年ほど前に一端書かれてから
封印され 00年に『無名』に取り組む際 
突然思い起こし それからは一気に最後まで
書き上げられていった作品だとも 語っている

人生の暗い側面や深遠な淵を覗いてしまった
ような 恐ろしい小説だ

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