東京ローカル・ホンクの木下弦二さんから初めて電話をもらったのは もう二年ほどまえの夏だったろうか その時にどういう会話をしたのかは忘れてしまったが 僕たちのバンドを知って欲しい 聞いてみて欲しいという彼の気持ちだけはまっすぐに伝わってきた これも何かの縁(えにし)かと思いその後の僕は彼らのライヴに幾度となく足を運び またこれからも もっとライヴに行ってみようという思いは募るばかりだ 東京ローカル・ホンクの良さをどう表現すればいいのかはよく解らないのだが 今日もまた僕と同じように東京の空を眺め 同じような街並を歩き 戸惑いながらも呼吸をしていることは間違いなかった そんな風に自分の側にいるという親しみを持てるバンドに出会ったことに奇跡にも近いような感慨を抱いた まるで広告代理店が書いたような気取った歌詞や 見せかけのポーズや虚勢 あるいは英雄的な態度に終始しがちな日本の音楽シーンのなかで 彼らはいつもの商店街を行き交う人々を観察し 各駅停車の窓から流れる雲を追いかけたりしていた 彼らの織りなすサウンドスケープもまた大向こうを張るのではなく 微妙な感情や陰影そして日向の匂いをデリケートに運び込んできた ときには伊豆半島まで遠出したり草の燃える匂いを嗅ぎながら 結論を急がない心のありようみたいなものは形になりにくい でも僕は東京ローカル・ホンクの答えとか結論を求めない音楽のあり方に惹かれ続けている そうまるで池に投げられた小石のように (小尾隆 2009年6月23日:記)

2010/8/6

知的遊戯を超えてロックは始まっていく  Rock N Roll

他の人の資質が 逆に自分をくっきりと照らし出していく

そんなことは多かれ少なかれ 誰にでもあると思う

ぼくは音楽評論の一体何に反発してきたんだろう?
何に苛立ってきたのだろう?

それはディレッタントという知的遊戯に対してだった
かもしれない

知的遊戯 これほど気持ちが悪いものはない
「マニアはろくなもんじゃない」という感想は
正しく ロック音楽のありかを指し示すものだ

ぼくはもっとロックの言語を大事にしたかった
ぼくはもっとロック音楽の本質に素直でありたかった

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カフェのざわめきとともに始まる佐野元春の86年作は
「ワイルドハーツ〜冒険者たち」の一振りで 大きな
翼を広げていった

少なくともそこに登場する「彼」や「彼女」の物語は
ぼくが共有出来るものだった














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