東京ローカル・ホンクの木下弦二さんから初めて電話をもらったのは もう二年ほどまえの夏だったろうか その時にどういう会話をしたのかは忘れてしまったが 僕たちのバンドを知って欲しい 聞いてみて欲しいという彼の気持ちだけはまっすぐに伝わってきた これも何かの縁(えにし)かと思いその後の僕は彼らのライヴに幾度となく足を運び またこれからも もっとライヴに行ってみようという思いは募るばかりだ 東京ローカル・ホンクの良さをどう表現すればいいのかはよく解らないのだが 今日もまた僕と同じように東京の空を眺め 同じような街並を歩き 戸惑いながらも呼吸をしていることは間違いなかった そんな風に自分の側にいるという親しみを持てるバンドに出会ったことに奇跡にも近いような感慨を抱いた まるで広告代理店が書いたような気取った歌詞や 見せかけのポーズや虚勢 あるいは英雄的な態度に終始しがちな日本の音楽シーンのなかで 彼らはいつもの商店街を行き交う人々を観察し 各駅停車の窓から流れる雲を追いかけたりしていた 彼らの織りなすサウンドスケープもまた大向こうを張るのではなく 微妙な感情や陰影そして日向の匂いをデリケートに運び込んできた ときには伊豆半島まで遠出したり草の燃える匂いを嗅ぎながら 結論を急がない心のありようみたいなものは形になりにくい でも僕は東京ローカル・ホンクの答えとか結論を求めない音楽のあり方に惹かれ続けている そうまるで池に投げられた小石のように (小尾隆 2009年6月23日:記)

2007/6/27

TVドラマは簡略へと向かう  文学

先週の土曜にテレビ朝日系で放映されたドラマ
「玉瀾」(主演:常磐貴子)はご覧になられただろうか?
原作が桐野夏生 桐野フリークの私としては
当然ながら原作を読んでいたが
まあ一応チェックしておこうと思い 放送を見た

東京で仕事をし 生きることに疲れた女(常磐)が
逃避先として上海に渡り
現地で戸惑い 過去の幻影に苦しめられる様が
あぶり出されていく

ただ原作にあった襞みたいなものが
どうも希薄に感じられた
常磐の元彼である筒井道隆が
常磐と別れてから東京で作る新しい恋人のことも
思い切り省略されていたし
こういうことは時間制限のなかで
「解りやすさ」の方に向かってしまうのだろうか?
なんだか陰影が足りないのだ

昔 角川映画の謳い文句に
「読んでから観るか 観てから読むか」というものが
あり まあ今でいうメディアミックスの先駆を角川映画は
試みていたのだが
それらに殆ど関心しなかったように
このTV版「玉瀾」も
枠に閉じ込められてしまったような
窮屈を感じた

「文学とは最もアナーキーなメディアである」
と豪語したのは 村上龍である
つまり文学とは すべての表現が許されるといった意味で
そこには一切の制約がない
そこにあるのは「想像力」という自由だけなのだ

むろん映像には映像の論理や特権があり
映像ならではの価値がある
その点に自覚的だった人が
きっと巨匠と呼ばれたりしたのだろうし
好きな映画も むろん沢山ある

ただ小説は もっと身軽だ
原稿用紙と鉛筆があれば立ち向かえる自由が
そこにはあり
読み手も 時間や場所を選ばずに
本を読み
想像という翼を広げることが出来るのだから


















2007/6/28  23:17

投稿者:頑固者

「常磐」ではなく「常盤」、「関心」ではなく「感心」ですよ。生業がフリーライターでこの誤字は恥ずかしいですぞ。

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