東京ローカル・ホンクの木下弦二さんから初めて電話をもらったのは もう二年ほどまえの夏だったろうか その時にどういう会話をしたのかは忘れてしまったが 僕たちのバンドを知って欲しい 聞いてみて欲しいという彼の気持ちだけはまっすぐに伝わってきた これも何かの縁(えにし)かと思いその後の僕は彼らのライヴに幾度となく足を運び またこれからも もっとライヴに行ってみようという思いは募るばかりだ 東京ローカル・ホンクの良さをどう表現すればいいのかはよく解らないのだが 今日もまた僕と同じように東京の空を眺め 同じような街並を歩き 戸惑いながらも呼吸をしていることは間違いなかった そんな風に自分の側にいるという親しみを持てるバンドに出会ったことに奇跡にも近いような感慨を抱いた まるで広告代理店が書いたような気取った歌詞や 見せかけのポーズや虚勢 あるいは英雄的な態度に終始しがちな日本の音楽シーンのなかで 彼らはいつもの商店街を行き交う人々を観察し 各駅停車の窓から流れる雲を追いかけたりしていた 彼らの織りなすサウンドスケープもまた大向こうを張るのではなく 微妙な感情や陰影そして日向の匂いをデリケートに運び込んできた ときには伊豆半島まで遠出したり草の燃える匂いを嗅ぎながら 結論を急がない心のありようみたいなものは形になりにくい でも僕は東京ローカル・ホンクの答えとか結論を求めない音楽のあり方に惹かれ続けている そうまるで池に投げられた小石のように (小尾隆 2009年6月23日:記)

2007/11/19

行間を読む〜哲学への道  

物が溢れる世界に暮らし 消費的な生活に慣れ切ってしまい
そのこと自体にさえ気がつかなくなると
やはり思考能力は低下するのではあるまいか

キレる大人の増加に対しては
最新ツールから取り残された中高年の疎外感といった
説明が一般マスコミの論調であるが
私には自分なりの語彙を持っていない故の
短絡が そのような事態を招くとしか思えない

よく「自分をどう会話で表現してわからない」とか
「言葉ではうまく説明できない」といった常套句が
発せられることが少なくないが
大の大人がそれでは あまりに情けない

やはり情操面での欠落や
お受験〜一流大学〜一流企業といった価値観で
育ってきた弊害が要因だろう
アフォイズム(註1)なき時代の砂漠である

そういう人に限って相手の発した言葉の上っつら
だけに過剰反応する
その言葉に至るまでには 当然ながら
その人間の自問があり 煩悶があり 逡巡があり
それらを経てからの ”結論” であるにもかかわらず
そうした相手の ”過程” には思いを馳せることが出来ない
結果のみを求めるというのは まさに
詰め込み教育 お受験制度と無関係ではないだろう

また弁証法的な思考(註2)の欠落も
気になるところである
深い部分での相互理解に向けての努力なしに
「好き」「嫌い」という色分けばかり
これもまた幼稚な大人の態度である

ネットという ”速攻型” のメディアでは
そのことが倍加する

思考に深みを持たない人間に 未来はない


(註1)アフォイズム
極めて簡素な形式のなかで ものごとの真実や人生の光明を
暗喩的に忍ばせること 訓話や寓話といった言い伝えにも
こうしたアフォイズムが多く見いだせる


(註2)弁証法的思考
異なる意見を相互に述べ合いながら 論議を進め
理解への道を探るような思考方法






コメントを書く


名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ