東京ローカル・ホンクの木下弦二さんから初めて電話をもらったのは もう二年ほどまえの夏だったろうか その時にどういう会話をしたのかは忘れてしまったが 僕たちのバンドを知って欲しい 聞いてみて欲しいという彼の気持ちだけはまっすぐに伝わってきた これも何かの縁(えにし)かと思いその後の僕は彼らのライヴに幾度となく足を運び またこれからも もっとライヴに行ってみようという思いは募るばかりだ 東京ローカル・ホンクの良さをどう表現すればいいのかはよく解らないのだが 今日もまた僕と同じように東京の空を眺め 同じような街並を歩き 戸惑いながらも呼吸をしていることは間違いなかった そんな風に自分の側にいるという親しみを持てるバンドに出会ったことに奇跡にも近いような感慨を抱いた まるで広告代理店が書いたような気取った歌詞や 見せかけのポーズや虚勢 あるいは英雄的な態度に終始しがちな日本の音楽シーンのなかで 彼らはいつもの商店街を行き交う人々を観察し 各駅停車の窓から流れる雲を追いかけたりしていた 彼らの織りなすサウンドスケープもまた大向こうを張るのではなく 微妙な感情や陰影そして日向の匂いをデリケートに運び込んできた ときには伊豆半島まで遠出したり草の燃える匂いを嗅ぎながら 結論を急がない心のありようみたいなものは形になりにくい でも僕は東京ローカル・ホンクの答えとか結論を求めない音楽のあり方に惹かれ続けている そうまるで池に投げられた小石のように (小尾隆 2009年6月23日:記)

2008/2/21

2月20日〜Bムービー  

究極の登校拒否中学生に比べればまだまだ自分の引き蘢りなどツメが甘いものだろう
あるいは徹底的に駄目状態だった一時のブライアン ウィルソンに比べればという話である
昨日も近所のレコ屋おやじとアリソン クラウスの音は綺麗過ぎるというまったくもって
納得の行く話をしていたのだった

音の質感というのは正直なもので
私にはヴァン モリソン自ら吹くサックスや自ら弾くギターに
感じ入ることのほうがよほど多い

それはオーティス レディングという横綱よりも
エディ フロイドやドン コヴェイという小結級に
共感してしまう感性の表れかもしれない
ピケット先生などは さしずめ大関の爆発であるし
デルバート マクリントンのちょっとまえの新作は
感動的だった

音楽というものはただ英雄伝説をなぞっても意味がないということであり
ますます歌がへたになってきたヘンリー マックローにも
音楽の神は宿っている

とにかく日本の辺境でジェイムズ カーが最高!などと言う人間を
私は信用していない

このような感性はブリンズリーやエッグス オーヴァー イージーを
呆れるほど聴いた結果の審美眼でもあろう
というわけで私のB級人生もこれからであり
何もしない時間が苦痛でなくなるまで
まだまだ修行は続く

どんどん駄目になっていくロン ウッドにも
私は愛おしいものを感じるのだ







コメントを書く


名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ