東京ローカル・ホンクの木下弦二さんから初めて電話をもらったのは もう二年ほどまえの夏だったろうか その時にどういう会話をしたのかは忘れてしまったが 僕たちのバンドを知って欲しい 聞いてみて欲しいという彼の気持ちだけはまっすぐに伝わってきた これも何かの縁(えにし)かと思いその後の僕は彼らのライヴに幾度となく足を運び またこれからも もっとライヴに行ってみようという思いは募るばかりだ 東京ローカル・ホンクの良さをどう表現すればいいのかはよく解らないのだが 今日もまた僕と同じように東京の空を眺め 同じような街並を歩き 戸惑いながらも呼吸をしていることは間違いなかった そんな風に自分の側にいるという親しみを持てるバンドに出会ったことに奇跡にも近いような感慨を抱いた まるで広告代理店が書いたような気取った歌詞や 見せかけのポーズや虚勢 あるいは英雄的な態度に終始しがちな日本の音楽シーンのなかで 彼らはいつもの商店街を行き交う人々を観察し 各駅停車の窓から流れる雲を追いかけたりしていた 彼らの織りなすサウンドスケープもまた大向こうを張るのではなく 微妙な感情や陰影そして日向の匂いをデリケートに運び込んできた ときには伊豆半島まで遠出したり草の燃える匂いを嗅ぎながら 結論を急がない心のありようみたいなものは形になりにくい でも僕は東京ローカル・ホンクの答えとか結論を求めない音楽のあり方に惹かれ続けている そうまるで池に投げられた小石のように (小尾隆 2009年6月23日:記)

2009/2/8

2月7日(昼の部)  文学

近頃はもの思いに沈むことも多いので
読書といっても途中で文面とは別のことを考えていたり
また文面に於いても引っ掛かる部分を反芻したりと
とかく集中力に欠けてしまうのだが
小川洋子の新刊『猫を抱いて象と泳ぐ』を読了
いつもながら静謐な世界を味わった

例えば人間以外は生き物ではないという見方をする人と
猫や象も同じように生きているという見方をする人とで
は おのずから世界の成り立ちが違ってみえると思う
小川さんがどちらの種類(註1)に属するのかは
自明であるにしても
声のないもの 沈黙するものにこれだけ心血を注ぐ作家
というのも珍しい

「おじいちゃんが無口なのは 死んだ人と話しているから
なんだ」といった感じ方にも
小川洋子の人となりが 端的に言い表されていると思う



註1 「どちらの種類」
より正確には 常日頃から絶えずそういう感じ方をして
いるか 身に処しているかどうかの違いだろう





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