東京ローカル・ホンクの木下弦二さんから初めて電話をもらったのは もう二年ほどまえの夏だったろうか その時にどういう会話をしたのかは忘れてしまったが 僕たちのバンドを知って欲しい 聞いてみて欲しいという彼の気持ちだけはまっすぐに伝わってきた これも何かの縁(えにし)かと思いその後の僕は彼らのライヴに幾度となく足を運び またこれからも もっとライヴに行ってみようという思いは募るばかりだ 東京ローカル・ホンクの良さをどう表現すればいいのかはよく解らないのだが 今日もまた僕と同じように東京の空を眺め 同じような街並を歩き 戸惑いながらも呼吸をしていることは間違いなかった そんな風に自分の側にいるという親しみを持てるバンドに出会ったことに奇跡にも近いような感慨を抱いた まるで広告代理店が書いたような気取った歌詞や 見せかけのポーズや虚勢 あるいは英雄的な態度に終始しがちな日本の音楽シーンのなかで 彼らはいつもの商店街を行き交う人々を観察し 各駅停車の窓から流れる雲を追いかけたりしていた 彼らの織りなすサウンドスケープもまた大向こうを張るのではなく 微妙な感情や陰影そして日向の匂いをデリケートに運び込んできた ときには伊豆半島まで遠出したり草の燃える匂いを嗅ぎながら 結論を急がない心のありようみたいなものは形になりにくい でも僕は東京ローカル・ホンクの答えとか結論を求めない音楽のあり方に惹かれ続けている そうまるで池に投げられた小石のように (小尾隆 2009年6月23日:記)

2009/2/26

2月26日  文学

昨日から読み始めたのが 天童荒太『悼む人』
著者が作品に向かうまでの動機や過程などは
下記ページに書かれている

http://bunshun.jp/itamuhito/index.html





2009/3/15  1:11

投稿者:obin

ちーくん、マイドです
梅澤くんから 近況を何となくお聞き致しました
でも、落ち込まないでくださいね!

極めて無責任な言葉遊びとか
揚げ足取りとか
無力感に襲われたりすることも しばしばですが
僕らが初めて洋楽とかロックに接した時のドキドキ
を失いたくないものであります

良い ”気” を発している人には
いい ”気” が不思議と生じてきます

mind games

青臭い感情は 実は最高の武器だったり
するのです






2009/3/14  22:05

投稿者:ちーくん

obinさん

ご無沙汰です。

ネットの中に負のパワーが蔓延しています。
本当の自由を謳歌するためにはとても高度な自制心と理性が必要なはずです。それがない。

それはネット社会だけではありませんね。

社会そのものに負のパワーがはびこっている。
やはり、自分の生活の中で実感できないものは他人事なんですね。無責任な言葉遊びばかりです。

悲しくなりますが、ただ悲しんでばかりもいられません。休みつつでも前に進まなければ。

私も音楽はバッチリ聴いています。


2009/3/14  4:00

投稿者:obin

先日テレビで『象の背中』という日本映画を見ました

肺ガンで余命わずかと告知された中年男が 残された
日々を家族(または愛人や近親者や同僚など)と過ごす様子が淡々と映し出されていました

息子との会話のなかで
確か「人に嫌われることを恐れるな 協調性も悪く
ないが 自分らしく生きろ」(あくまで大意ですが)
と父親が言うシーンがとりわけ印象に残っています

ちなみに映画のタイトルは 象が最期にあたってひ
っそりと死に場所を探すことから付けられたそうで




2009/3/4  21:59

投稿者:路傍の石

人間は己の視野のなかににあるものにしか感心を持たないし、愛情も示さない。明らかに視野の範囲にあるものですら平気で無関心でいることもできる。実は人の死なんて何とも思っていなかったり、ひどい場合は笑ってしまったりもする残酷な生き物です。でもそれが普通なんでしょう。死を悲しむというのも、もしかしたら本当に悲しいからではなく、人の教育の中で植えつけられた道徳的もしくは慣習的な観念がそうさせるだけなのかもしれません。

『悼む人』――今日寄った書店で平積みされていて、久しぶりに文芸書が読みたくなりました。

2009/3/4  19:44

投稿者:coba

「忘れる」ことを、人間は“生きていくための術”とする一方で、
「忘れたくない」ことに、人間は“必死になる”ときも、ありますね。
できれば、すべてを、忘れたくないです。今は。

2009/3/1  20:01

投稿者:obin

読了

あらゆる死に軽重や差異はないと頭で理解しつつも
近親者の死を深く受け止める一方で 遠い国で意味
なく殺戮されていく人々に対しては いつまでも覚
えているわけではない そのような矛盾やエゴを抱
えているのが普通の人々であるならば 主人公であ
る静人が<あらゆる死を分け隔てなく悼む>ために
全国を歩き回っているという行動が いかに異端で
あるかが解るだろう そんな静人に違和感を覚えつ
つも 彼の周辺にいる人々の心根が次第に変化して
いくことに 大きな意味があると思った

極悪非道だった人間にでさえ<誰かを愛し 誰かか
ら愛され 誰かから感謝されていた>そんな時間が
あったのではないかと洞察する静人の姿は 案外シ
ンプルな響きを持っている それは赤の他人である
死を背負うことが不可能であるならば せめてその
人が生前に持ち得た温かい時間に自分を近ずけ 思
いを馳せてみようという心の動きだ そこでは決し
て死に至らしめた理由や原因は問われることはなく
事故や事件の場合であっても 犯人探しは一切なさ
れない ジャーナルな視点からもまったく外れてい


そんな意味では 静人という主人公の寓話性はいた
って強い 無為な死体の山だけが築かれていくのが
現実ならば それらを対とするような いわば鏡の
ような人となりなのだ

俗な喩えで申し訳ないのだが 人は二度死ぬという
一度目は肉体的な死 二度目は人々から忘れられた
時に訪れる死 たとえ骨壷が土に眠っていたとして
も 二度めの死の後というものはないだろう 時の
流れによるそうした残酷な光景が避けられないもの
だとしたら この『悼む人』は 忘れることに対す
る静かな抵抗であり また この世界を覆い尽くし
ている圧倒的な無関心への挑戦なのだろう

優れた表現というものは それが視覚であれ聴覚で
あれ それを体験する者の空間を移動させる 旅を
させる 自分自身のことを振り向かせる力がある

私はこの本を読んで 私が知らない場所で死んで
いく多くの死体のことを思った


コメントを書く


名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ