2009/4/12
リズムと理由
一般にロック史に於ける8ビートの確立は
エディ コクランの59年曲「サムシング エルス」が
最初と言われています
4〜シャッフルで刻まれるロカビリーやR&Bに対して
初めて ”ビートの均等割り” を開拓したのが
このコクラン曲で叩くアール パーマーのdsであったと
(ボンゾ氏は「ロックンロール」でそれを忠実に再現)
しかし当時斬新だった8という概念も
次第に新鮮さを失っていき リズムやビートに意識的
な音楽家たちは 16打ちもさることながら
ポリリズムの援用(チャーリー ワッツ&オーリーE
ブラウンなど)などに活路を見出してきました
あるいはYMOのような頭脳派集団になると
機械と人力を同期させるという方法論に打って出ました
高橋ユキヒロ氏がアル ジャクソンのそれを尊敬して
いることは広く知られていますね
むろんデイヴ エドモンズのようなロックンロールの
優れた後継者は 4と8の噛み合わせや
頭と尾っぽのどちらにビートの着地を求めるのか
といったニュアンスを醸し出し続け
「おお、解っていらっしゃる!」という信頼を
勝ち得たことは 言うまでもありません
定形化したビートはやがて鮮度を失ってしまう
私が先のウィンウッドの書き込みで言いたかった
ことも もともとはそれが発端でした
私より年下でいらっしゃるalmost prayedさんが
的確な反応をしてくださったのも
嬉しかったですね
機械ビートとヒューマン ビートの超克
この一見矛盾するテーマを自らに課したのも
また ウィンウッドでした
ことさら評価が芳しくない82年作『バック イン
ザ ナイト』でも 彼はレイ チャールズのような
”揺らぎ感”を機械ビートとともに「アンド アイ
ゴー」のなかで 実践しています
リズムを主体に音楽を聞くアティチュードは
かなりの喜びをもたらしてくれます
歌詞の重要さを機会ごとに言っているような
私でさえ リズムがもたらす悦楽のまえでは
サレンダーしてしまうといったような
それにしても ”言葉の人” ではない(と思う)
ウィンウッドが リズムやビートを軸として
今までとは異なる視界を見せてくれたという
意味でも
『ナイン ライヴス』のアルバムは
多くのことを示唆していると
思っています
エディ コクランの59年曲「サムシング エルス」が
最初と言われています
4〜シャッフルで刻まれるロカビリーやR&Bに対して
初めて ”ビートの均等割り” を開拓したのが
このコクラン曲で叩くアール パーマーのdsであったと
(ボンゾ氏は「ロックンロール」でそれを忠実に再現)
しかし当時斬新だった8という概念も
次第に新鮮さを失っていき リズムやビートに意識的
な音楽家たちは 16打ちもさることながら
ポリリズムの援用(チャーリー ワッツ&オーリーE
ブラウンなど)などに活路を見出してきました
あるいはYMOのような頭脳派集団になると
機械と人力を同期させるという方法論に打って出ました
高橋ユキヒロ氏がアル ジャクソンのそれを尊敬して
いることは広く知られていますね
むろんデイヴ エドモンズのようなロックンロールの
優れた後継者は 4と8の噛み合わせや
頭と尾っぽのどちらにビートの着地を求めるのか
といったニュアンスを醸し出し続け
「おお、解っていらっしゃる!」という信頼を
勝ち得たことは 言うまでもありません
定形化したビートはやがて鮮度を失ってしまう
私が先のウィンウッドの書き込みで言いたかった
ことも もともとはそれが発端でした
私より年下でいらっしゃるalmost prayedさんが
的確な反応をしてくださったのも
嬉しかったですね
機械ビートとヒューマン ビートの超克
この一見矛盾するテーマを自らに課したのも
また ウィンウッドでした
ことさら評価が芳しくない82年作『バック イン
ザ ナイト』でも 彼はレイ チャールズのような
”揺らぎ感”を機械ビートとともに「アンド アイ
ゴー」のなかで 実践しています
リズムを主体に音楽を聞くアティチュードは
かなりの喜びをもたらしてくれます
歌詞の重要さを機会ごとに言っているような
私でさえ リズムがもたらす悦楽のまえでは
サレンダーしてしまうといったような
それにしても ”言葉の人” ではない(と思う)
ウィンウッドが リズムやビートを軸として
今までとは異なる視界を見せてくれたという
意味でも
『ナイン ライヴス』のアルバムは
多くのことを示唆していると
思っています
2009/4/15 7:23
投稿者:obin
2009/4/15 0:18
投稿者:Almost Prayed
少なくとも日本においては、まず確実にストーン・ローゼズの最初のアルバム(1989年発表)以降、「シャカシャカした16ビート」≒「グルーヴィー」というようなイメージがある意味で広まってしまったなぁ、という感を個人的には持っているのですが、その後に登場した(ストーン・ローゼズに影響されたと思しき)ほとんどのバンドが、結局はストーン・ローゼズのようなバンド一丸のグルーヴを体現できずに、ビートの表面的な形式の踏襲に終わってしまったことを考えると、やはりグルーヴというものは当然ながら表面的な形式のみで規定/体現できるような性質のものではない、という思いが強くいたします。
4や8や16といったビートの形式的な差異ではなく、生演奏と打ち込みとの差異でもなく、要はリズムの中にどれだけ生き生きとした躍動感を吹き込むことができるか、そして理屈抜きで身体を動かさずにはいられないようなリズムの強靭なうねりを体現することができるか。それがグルーヴというものの「肝」だと感じています(ロバート・ペットウェイの“Catfish Blues”なんて、ギター1本で猛烈なグルーヴですよね)。
例えば、リズム・ボックスの簡素なビートを軸にしてあまりに独自なグルーヴを体現した、ヤング・マーブル・ジャイアンツの“Colossal Youth”(素晴らしい!)のようなアイデアもあるのですから、近年の多くのロック・バンドには、もっとリズムに対して意欲的に大胆に挑んでいってほしい、そしてもっともっと意識的になってほしいというのが、自分の偽らざる正直な気持ちですかね。なぜって、あまりに多くのバンドの作品が、どれも同じように無味乾燥な8ビートで埋め尽くされているのにうんざりしていて・・・(苦笑)
4や8や16といったビートの形式的な差異ではなく、生演奏と打ち込みとの差異でもなく、要はリズムの中にどれだけ生き生きとした躍動感を吹き込むことができるか、そして理屈抜きで身体を動かさずにはいられないようなリズムの強靭なうねりを体現することができるか。それがグルーヴというものの「肝」だと感じています(ロバート・ペットウェイの“Catfish Blues”なんて、ギター1本で猛烈なグルーヴですよね)。
例えば、リズム・ボックスの簡素なビートを軸にしてあまりに独自なグルーヴを体現した、ヤング・マーブル・ジャイアンツの“Colossal Youth”(素晴らしい!)のようなアイデアもあるのですから、近年の多くのロック・バンドには、もっとリズムに対して意欲的に大胆に挑んでいってほしい、そしてもっともっと意識的になってほしいというのが、自分の偽らざる正直な気持ちですかね。なぜって、あまりに多くのバンドの作品が、どれも同じように無味乾燥な8ビートで埋め尽くされているのにうんざりしていて・・・(苦笑)
おっしゃることよく解ります(笑)
少しジャンルは異なりますが いわゆるアメリカーナ
と呼ばれるオルタナ以降のルーツロック派でもリズム
面での面白さ、コクを感じさせてくれるものはあまり
ないことが いまいち僕が関心を持てない理由なんですね 「それっぽい音」「アメリカらしい音」だけで
満足することは僕は出来ません
ウィンウッドに鍛えられた耳は お互いこだわりを
持ちますね(笑)