東京ローカル・ホンクの木下弦二さんから初めて電話をもらったのは もう二年ほどまえの夏だったろうか その時にどういう会話をしたのかは忘れてしまったが 僕たちのバンドを知って欲しい 聞いてみて欲しいという彼の気持ちだけはまっすぐに伝わってきた これも何かの縁(えにし)かと思いその後の僕は彼らのライヴに幾度となく足を運び またこれからも もっとライヴに行ってみようという思いは募るばかりだ 東京ローカル・ホンクの良さをどう表現すればいいのかはよく解らないのだが 今日もまた僕と同じように東京の空を眺め 同じような街並を歩き 戸惑いながらも呼吸をしていることは間違いなかった そんな風に自分の側にいるという親しみを持てるバンドに出会ったことに奇跡にも近いような感慨を抱いた まるで広告代理店が書いたような気取った歌詞や 見せかけのポーズや虚勢 あるいは英雄的な態度に終始しがちな日本の音楽シーンのなかで 彼らはいつもの商店街を行き交う人々を観察し 各駅停車の窓から流れる雲を追いかけたりしていた 彼らの織りなすサウンドスケープもまた大向こうを張るのではなく 微妙な感情や陰影そして日向の匂いをデリケートに運び込んできた ときには伊豆半島まで遠出したり草の燃える匂いを嗅ぎながら 結論を急がない心のありようみたいなものは形になりにくい でも僕は東京ローカル・ホンクの答えとか結論を求めない音楽のあり方に惹かれ続けている そうまるで池に投げられた小石のように (小尾隆 2009年6月23日:記)

2009/7/4

7月4日〜解き放たれていくコヨーテたち  Rock N Roll

佐野元春&コヨーテ バンドのツアー初日を赤坂ブリッ
ツで見た 手練手管とでも表現すべきホーボー キング
バンドの円熟した演奏を離れて 佐野が自分よりも一世
代若いメンバーたちと組んで臨んだこのアプローチは
改めてバンドは生き物だな と実感させられる素晴らし
いものだった バンドが若くなったからといってそのま
ま音に反映されるといった単純なものではないにしろ
リハーサル段階での音出しの緊張や探り合いといったこ
とも含めて 心持ちがおのずとフレッシュになっていく
ことは間違いないだろう やや粗めの ザクザクと切り
込んでいくサウンドが あえて選ばれた今回の小規模な
会場ともうまく作用して 爽やかな余韻が最後まで残っ
た 

もともとこの方法自体は07年春に発表された新作『コ
ヨーテ』で試され 成果を上げたものだったが あれ
からおよそ2年たって その『コヨーテ』アルバムの
全曲がライヴという場で実践されたことになる 08年
の初頭から春にかけて行われたツアーが    ホー
ボー キング バンドと連携した 聞き手との再会を
祝い 気が付けば長い歳月に亘っていたキャリアを慈し
むようなものだったとすれば 今回のライヴは佐野自身
にとっても新たなマスターピースとなった『コヨーテ』
を その価値を 聴衆の一人一人に訴えかけていくよう
な響きがあった

振り返ってみれば 21世紀を迎える前後の佐野を取り巻
く状況はとても複雑だった 初期からずっと在籍してい
たソニーミュージックとの”音楽のあり方”を巡る見解
の相違(註1)はやがて決別という形へなっていくこと
を覚えている方も少なくないだろう 佐野が危惧した
コピーコントロールCDの問題や やむにやまれない気持
で書かれた「光」をダウンロード配信したことでレコー
ド会社を激怒させたことなどが つい最近の記憶のよう
に蘇る ちなみに佐野は当時のことをこう言い表してい
る「僕が一人の音楽家として レコーディング アーテ
イストとして 本当の意味で自立したのはあの時だった
のかもしれません」

若く 向こう見ずで 勇敢な一人の音楽家が 時間
という試練を乗り越え  今また違う場所で 
苦みに満たされた一人の男の物語である『コヨーテ』
アルバムのすべての曲を 聴衆と分け合う
ひとつの曲がまた別の曲を呼び込んでいくような連鎖
簡素に削ぎ落とされた故 胸に降りてくるリリック
それらが骨っぽく風通しの良いバンド サウンドのな
かに溶け合っていく

そして僕は佐野元春という
音楽家と初めて接した頃の記憶を引っぱり出し 彼と
ともに歩んだ一人の聞き手としての歳月を思い
『コヨーテ』に描かれた主人公が これから
どこに行こうとしているのかを そっと考えている


註1: 音楽のあり方を巡る見解の相違

「ネット時代の音楽ビジネスを語る」というテーマで
佐野は以前ブロガーミーティングを行ったことがあり
ますが そのなかから一部をここに抜粋/引用させて
いただきます
「2004年、CCCDの問題が起こった。あのCCCDの問
題。ぼくは最初静観していました。ソニーがパッケー
ジ ビジネスを守るために必死だということが伝わっ
てきましたし、なによりもソフトウェアのダウンロー
ドという人類初めてのアクションに対してみんなが怖
がっていた。革新的な人々と保守的にこれまでのやり
方を守りたい人が拮抗していた。そういう気配があっ
た。しかしソニーはCCCDを実行してしまう。ぼくの
CDにも不思議な暗号が埋め込まれ、ぼくのファンた
ちにもそれが何なのかもまったく説明されない。しか
し賢いぼくのファンたちはそれがおかしいということ
に気がついた。それで批判の矛先はどこに向かったか。
レーベルではなく、ぼくに向けられたんです。<お
前には失望した><なぜお前がそれを容認したのだ>
<CCCDなんて誰が買うものか> ものすごい勢いで
ぼくは批判されました。ぼくは感情的にはならず、
冷静にネットのなかの批判を集めた。そしてそれを
ソニーミュージックの役員のところに持っていった。
<いま何が起こっているか知っていますか。ぼくの
ところにはこれだけの意見が届いている。なぜこれを
放置しておくんだ。なぜぼくがこんなに多くのファン
から非難を浴びているのに守ってくれないのか。なぜ
CCCDに関するステイトメントを発表しないのか>
彼らは口ごもった。彼らは恐らくCCCDの本質につい
て何もわかっていなかった。ぼくとレーベルとの間
には、新しい時代に起こりがちないくつかのコンフリ
クトがあった。その原因をよくよく冷静に見てみると、
旧来の構造をインターネットが開放して再構築したと
ころにあるんじゃないか、と気がついた。
ぼくはロックンロール音楽で育った。成長して作詞
や作曲ができるようになり、十代の頃に感じたあんな
ポップソングを書いてみたいと思ってメジャーから
デビューしてレコードを出した。音楽リスナーあって
のビジネスです。ぼくのフィロソフィーはすごく
簡単なんです。レコードビジネスはロックンロール
音楽に恩恵を受けている。ロックンロール音楽を愛
するリスナーにベネフィットを落としていくという
ことを最優先で考えなければならない。しかしCCCD
はどうだろうか? まるで大人向けの論理だ。音楽
を、楽しいロックンロールを売る側が、お前のことを
信じていないよ、という。その関係のなかで流通され
る音楽はクールなのだろうか、と自問して<違うな>
と思った。リスナーが喜ぶことをやらなきゃいけない。
それでぼくは自分のレーベルをスタートした。」

なお現在 ソニーをはじめ各レコード会社がCCCDを
ほぼ撤廃していることは多くの方が知るところでしょ
う 佐野の早過ぎた問題提議が こうしていい方向へ
向かっていってくれれば 僕も一人の聞き手として
嬉しいです 












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