東京ローカル・ホンクの木下弦二さんから初めて電話をもらったのは もう二年ほどまえの夏だったろうか その時にどういう会話をしたのかは忘れてしまったが 僕たちのバンドを知って欲しい 聞いてみて欲しいという彼の気持ちだけはまっすぐに伝わってきた これも何かの縁(えにし)かと思いその後の僕は彼らのライヴに幾度となく足を運び またこれからも もっとライヴに行ってみようという思いは募るばかりだ 東京ローカル・ホンクの良さをどう表現すればいいのかはよく解らないのだが 今日もまた僕と同じように東京の空を眺め 同じような街並を歩き 戸惑いながらも呼吸をしていることは間違いなかった そんな風に自分の側にいるという親しみを持てるバンドに出会ったことに奇跡にも近いような感慨を抱いた まるで広告代理店が書いたような気取った歌詞や 見せかけのポーズや虚勢 あるいは英雄的な態度に終始しがちな日本の音楽シーンのなかで 彼らはいつもの商店街を行き交う人々を観察し 各駅停車の窓から流れる雲を追いかけたりしていた 彼らの織りなすサウンドスケープもまた大向こうを張るのではなく 微妙な感情や陰影そして日向の匂いをデリケートに運び込んできた ときには伊豆半島まで遠出したり草の燃える匂いを嗅ぎながら 結論を急がない心のありようみたいなものは形になりにくい でも僕は東京ローカル・ホンクの答えとか結論を求めない音楽のあり方に惹かれ続けている そうまるで池に投げられた小石のように (小尾隆 2009年6月23日:記)

2009/7/19

守られるべき孤軍〜『メタル マシーン ミュージック』  Rock N Roll

75年8月に発売されたルー リードの『メタル マシ
ーン ミュージック』は ローリングストーン誌によ
って「もっとも聞くに値しないアルバム」とされたり
我が国でもニューミュージックマガジン誌で「私は子
を持つ母親です」というレヴューで0点を付けられる
など酷評され さまざまな問題を投げかけた

しかし日頃ジャンク/ノイズ系をほとんど聞かない私
でさえ このアルバムのイマジネイティヴな音は十分
に伝わってくるし これをバックにスポークンワーズ
を行ったことさえ 私にはあるのだ

大鷹俊一氏の情熱的なライナーが私の気持ちを代弁
しているので
以下に一部を抜粋/引用する


「ここには通常の言葉で言うところの音楽は入って
いない。楽音はもちろんのこと、音を楽しむといっ
たことも不可能と言ってもいいかもしれない。現代
音楽のようなものであるのなら、別段珍しくはない
のだが、あくまでもマス・マーケットを対象とした
ポップスの世界に登場したことによって、とりわけ
特異なものとなっている。
少なくとも彼は、万人に愛されるために本作を作
ったとは思えないし、また通常の価値体系によって
評価を受けようと思っているとは、考えられない。
本作に付けられたルー自身の言葉で、最初に彼は
<リアリズム>がキーワードなのだ、と述べている。
結局それがスタートであり、ゴールである。我々は
ヴェルベッツの「シスター・レイ」での狂おしいま
でのシンプルなビートとノイズが作り出す17分のカ
オスを体験することによって、ロックの枠組みを砕
く快感を体験したわけだが、それをさらに推し進め
たのが本作である。
この作品が袋叩きに遇い、あらゆるロック的な文脈か
ら抹殺されかかった数年後、思わぬところからの動きに
よって、事態は大きく展開をとげる。スロッピング・グ
リッスルが提唱し、ある意味パンク熱以上に世界中の地
下シーンに衝撃を与えたインダストリアル・サウンドが
それである。<高度に工業化された社会における人間の
ためのインダストリアル・ミュージック>と定義された
音は、まさに『メタル・マシーン・ミュージック』の
嫡子にふさわしく、狂暴なノイズやサウンド・エフェク
ツが混在したものだった。まるでその音の正統性を証明
するかのように、今日でも世界各地に、そうしたインダ
ストリアル・ノイズ、エクスぺリメンタル・ミュージッ
クをクリエイトし続けるアーティストたちがいる。また
現在のアメリカ各地のグランジ、ジャンク系のバンドた
ちでもソニック・ユースを先頭に、激しいフィードバッ
クノイズの彼方に未来の閃光を確認しようとする連中の
どこかにこのアルバムの根底にある視線と同じものを感
じることはしばしばだ。さらにあのニール・ヤングが発
表した『arc』は、ノイズとテープ・コラージュ、ダブ処
理したものだが、多くの人がニール流『メタル・マシー
ン・ミュージック』と呼んで絶賛した。そうした一つ一
つが、本作に付けられた冤罪の数々を叩き落としていっ
っているのである。
大きな音量でかければ、爪をむきだしにした獰猛な猛禽
類や、狂暴な牙を持つ肉食獣が中耳器官をのり超えて、
ストレートに大脳へ襲いかかるような恐怖感を味わうこ
とも可能だろうし、微量な音でかければ、近代都市社会
で摩減し丸くなってしまった神経細胞を、細いナイフで
少しずつささくれだたすかのような効用が得られるはず
だ。そういう意味では、非常に優れた、本来的な意味で
の環境音楽なのである。
これを体験し、聞いた人間一人一人の固有の反応や意識
が、すべてなのだ。
もちろん全面的に否定する人もあるだろうし、聞くに耐
えないと止めてしまう人もあるかもしれない。いっぽう
で、ある種の自分なりのリアリズムを感じる人もあるか
もしれない。いずれにしても、こういう作品なのだか
ら極端すぎるほどの反応が、ふさわしいことは間違いない。
最後にどうしても書いておきたいのは、本人も失敗作と
認めたとか、冗談だったという白痴的な風評を、とにか
くこの機会に徹底的に一掃しておきたいということだ
(もちろん祖末な聞き手としての批評家が、どう思おう
が勝手だがそれがあたかも事実のように書かれるのは大
問題だ)。いちばん明解なのはルー自身の言葉だろう。
「僕がちゃんと説明すれば、きっと『メタル〜』をもっ
とよく理解してもらえると思うよ。僕はあのアルバムが
好きだ。受け入れられ方によってさまざまな方向性を持
つ作品だった。単なるジェスチャーじゃなかったんだ。
僕は本当に素晴らしいエレクトロニック・ミュージック
だと思っていたし、新たな分野に興味を持たせてくれた
作品だった」と語っている。
たぶん時代が、このアルバムに追いついたということな
のだろう。それも黙っていて、ただ時間が経ったからと
いうのじゃなく、多くの嫡子たちや仲間たちの行為が、
その暗闇を少しずつ明るくし、道筋を付けていったとい
うことなのだ。事実、ぼく自身も体験する年代、環境、
心理状況によって、さまざまに変化していくことを、
いまも体験している。古くなったり、ただの思い出にな
るのじゃなく、真の意味で時代や時間の枠を飛び越えて
旅をし得るアルバムが、これだ。
初めてこれを体験される方。
驚かれたかもしれない。しかし一度の体験で耳や脳を閉
ざすのじゃなく、時間をおいて幾度か体験を重ねていっ
て欲しい。きっと、今度こそ本当に驚かれるはずだ。
まさに、それこそが、このロック史上最高の問題作の
真の醍醐味なのだ。」(1992年7月15日 大鷹俊一)






2009/7/20  7:12

投稿者:obin

単調で無機的な電子音の連続ではなく
あくまでルー自身が弾くエレクトリック
ギターのノイズを幾多にも重ねたアルバム
ということにも意味があるような気がしま

イメージとしては光の粒子が彼方で鳴り
続けているような印象です そんな意味
では「鑑賞」ではなく まさに「体験」
かもしれませんね
このような勇気ある異端を排斥するよう
な社会の側に加担してはいけないと自分
を戒めることさえ僕にはあります
「こんなもんは音楽じゃない」という
のは簡単ですが その人たちは本当に
このアルバムを聞いたのでしょうか
それにしてもサーストン ムーアなんか
相当インスパイアされたんでしょうね
これを音楽じゃないなんていう奴らは
永遠に信じません(笑)

2009/7/20  0:26

投稿者:Almost Prayed

キャバレー・ヴォルテール(初期の作品が大好きです)やスロッビング・グリッスルあたりの先駆的な存在として、現在はこの作品も認識される機会も多くなってきたようですね。自分もたまに思い出したように引っ張り出してきてこれを聴きます(というか流しっぱなしにします:笑)。

例えばジャズ畑でも、オーネット・コールマンの“Free Jazz”とか、ジョン・コルトレーンの“Ascension”とか、従来の音楽的イディオムからあまりにも逸脱した(一般的には「難解」とかとみなされる)作品が存在するものですが、その試みが全て結実したものとは言えなくとも、そうした道に挑んだ人々へは、聴き手として敬意を払いたくなりますね。物事を変革していくのはいつの世でも「異端」な存在と言えますし。本作も、そういったいつまでも「異端」を保ち続ける作品の1つだと自分は捉えています。

しかし、「私は子を持つ母親です」という評は、 こういうのは子どもの情操教育に甚だしくよろしくない、ということなのでしょうかねぇ(苦笑)。むしろ、こういう音は頭が軟らかいうちに触れたほうがいいと思うんですけどねぇ。

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