2009/8/16
私が靖国に思うこと Rock N Roll
むろん参拝するのではなく冷静に観察するために出向
きました 何事もそうだと思いますが 頭のなかだけ
で考えていることと 実際に触れて見聞きすることは
まったく異なる体験ですからね むろん想像力という
のはまた別の問題ですが 私も50になって半年まえに
は戦中派の最も身近な存在だった父を失い ならば日
本の良くも悪くも象徴である靖国に一度行ってみよう
と思ったのがきっかけです 何しろこれだけ問題にな
っている靖国ですから(苦笑)
靖国の歴史とか成り立ちとかはここにあらためて繰り
返しませんが 戦後日本の矛盾を集約しているという
意味でも好き嫌いを超えた場所だと思います 天皇と
いう神を背景に生まれて 軍人たちの英霊を奉るため
の神社が 終戦〜マッカーサーによる統治という過程
を経て 東京裁判があって 現天皇はもう参拝しない
したくないという結果がひとつの大きな矛盾としてあ
る そこに左派右派の思想家や運動家や 時の政治家
の思惑 そして勿論戦後の象徴としての天皇制という
問題が複雑に絡んでくる 今では靖国を参拝するかどうか 肯定するか否定するかが政治家にとって試金石
になってしまう状況もありますよね ただ そうした
騒々しさと別のところで 当事者である遺族にとって
は もっと切実なものだということは理解出来るんで
す
そこら辺を逆手に取って「戦没者を悼んで何が悪いん
だ」「お前には愛国心というものがないのか?」というのが残念ながら近年の主な流れになっています 実際
若い人が口にするのもそうした感情論だったりするの
ですが 戦没者を悼む施設なら他にいくらでもありま
すよ 靖国という明治天皇以来の歴史を背負っている
ということ 一定の宗教法人に政治が介入しているこ
と そこが一番問題視されなければいけないのに そ
ういう事実には何故か目を向けない 見ようとはしな
い それは体制側にとってはものすごく利用し甲斐が
あるんです
私個人としては 特定の権力者を奉るための施設とい
うものには未だ馴染めません これはもはや自分
の皮膚感覚なり DNAに組み込まれているものなのですが 大きなものに与するものに 小さなもの 個人
というものの霊を守られたくないというのは私の基本
理念としてある 大きなものに小さなものが守られる
という発想は幻想に過ぎず 大きな力というか時の力
というのはむしろ個人を 小さいものを置き去りにして
いく 戦争とはそういうものだと思いますし 何よりも父から身をもって教えられてきたという気がしています
きました 何事もそうだと思いますが 頭のなかだけ
で考えていることと 実際に触れて見聞きすることは
まったく異なる体験ですからね むろん想像力という
のはまた別の問題ですが 私も50になって半年まえに
は戦中派の最も身近な存在だった父を失い ならば日
本の良くも悪くも象徴である靖国に一度行ってみよう
と思ったのがきっかけです 何しろこれだけ問題にな
っている靖国ですから(苦笑)
靖国の歴史とか成り立ちとかはここにあらためて繰り
返しませんが 戦後日本の矛盾を集約しているという
意味でも好き嫌いを超えた場所だと思います 天皇と
いう神を背景に生まれて 軍人たちの英霊を奉るため
の神社が 終戦〜マッカーサーによる統治という過程
を経て 東京裁判があって 現天皇はもう参拝しない
したくないという結果がひとつの大きな矛盾としてあ
る そこに左派右派の思想家や運動家や 時の政治家
の思惑 そして勿論戦後の象徴としての天皇制という
問題が複雑に絡んでくる 今では靖国を参拝するかどうか 肯定するか否定するかが政治家にとって試金石
になってしまう状況もありますよね ただ そうした
騒々しさと別のところで 当事者である遺族にとって
は もっと切実なものだということは理解出来るんで
す
そこら辺を逆手に取って「戦没者を悼んで何が悪いん
だ」「お前には愛国心というものがないのか?」というのが残念ながら近年の主な流れになっています 実際
若い人が口にするのもそうした感情論だったりするの
ですが 戦没者を悼む施設なら他にいくらでもありま
すよ 靖国という明治天皇以来の歴史を背負っている
ということ 一定の宗教法人に政治が介入しているこ
と そこが一番問題視されなければいけないのに そ
ういう事実には何故か目を向けない 見ようとはしな
い それは体制側にとってはものすごく利用し甲斐が
あるんです
私個人としては 特定の権力者を奉るための施設とい
うものには未だ馴染めません これはもはや自分
の皮膚感覚なり DNAに組み込まれているものなのですが 大きなものに与するものに 小さなもの 個人
というものの霊を守られたくないというのは私の基本
理念としてある 大きなものに小さなものが守られる
という発想は幻想に過ぎず 大きな力というか時の力
というのはむしろ個人を 小さいものを置き去りにして
いく 戦争とはそういうものだと思いますし 何よりも父から身をもって教えられてきたという気がしています