東京ローカル・ホンクの木下弦二さんから初めて電話をもらったのは もう二年ほどまえの夏だったろうか その時にどういう会話をしたのかは忘れてしまったが 僕たちのバンドを知って欲しい 聞いてみて欲しいという彼の気持ちだけはまっすぐに伝わってきた これも何かの縁(えにし)かと思いその後の僕は彼らのライヴに幾度となく足を運び またこれからも もっとライヴに行ってみようという思いは募るばかりだ 東京ローカル・ホンクの良さをどう表現すればいいのかはよく解らないのだが 今日もまた僕と同じように東京の空を眺め 同じような街並を歩き 戸惑いながらも呼吸をしていることは間違いなかった そんな風に自分の側にいるという親しみを持てるバンドに出会ったことに奇跡にも近いような感慨を抱いた まるで広告代理店が書いたような気取った歌詞や 見せかけのポーズや虚勢 あるいは英雄的な態度に終始しがちな日本の音楽シーンのなかで 彼らはいつもの商店街を行き交う人々を観察し 各駅停車の窓から流れる雲を追いかけたりしていた 彼らの織りなすサウンドスケープもまた大向こうを張るのではなく 微妙な感情や陰影そして日向の匂いをデリケートに運び込んできた ときには伊豆半島まで遠出したり草の燃える匂いを嗅ぎながら 結論を急がない心のありようみたいなものは形になりにくい でも僕は東京ローカル・ホンクの答えとか結論を求めない音楽のあり方に惹かれ続けている そうまるで池に投げられた小石のように (小尾隆 2009年6月23日:記)

2009/10/4

Traffic/On The Road〜デヴィッド フッド来日記念!  

ドニー フリッツ&ザ ディーコイズの興奮さめやまぬ
なか 折りにふれて聞いてるのがトラフィック73年の
ライヴアルバム『オン ザ ロード』のリマスターCD

ウィンウッドにとってマスル ショールズとの出会いは
前二作(『ロウ スパーク』と『シュート アウト』)
に溯るけれども マスルのバリー(kbd) フッド(b)
ホウキンス(ds)のリズム セクションを率いて実際のヨ
ーロッパ ツアーに出向き そのなかの西ドイツ公演を
収録したのが『オン ザ ロード』だ

思えばビートルズのビリー プレストンとの出会い
ストーンズのライ クーダーとのセッション
ジョー コッカーのレオン ラッセルとのツアーなど
60年代末から70年代にかけては英米の音楽家による
異種交配がもっとも積極的に行われた時代かもしれない
それだけの野心というか音楽的な裾野の広がりを自らの
手で手繰り寄せようとする熱意が迸っている作品は数知
れない

『オン ザ ロード』も まさにそんなスリリングな
”ミクスチュア ロック”の悠然とした記録だろう
トラフィックの長尺でインプロヴァイズしていく自由度
の高い世界を マスルの懐の深いリズム隊が包み込むよ
うにサポートしていく様が とにかく素晴らしい
とくにこの時期のトラフィックは ナイジェリア出身の
パーカッション奏者であるリーボップ クワバがメン
バーに加わっていただけに よりリズムに対して関心を
払っていたことは確信出来る

恐らく細かい約束ごとはなかったのだろう コンパクト
な決めで曲を構成していくのとはまるで逆の 自由気ま
ままにフロウしていくその音楽は マスルの柔軟なビー
トを背にして じわりじわりと 波のように押し寄せて
くる
圧巻はやはり「グラッド」〜「フリーダム ライダー」
の流れや「ロウ スパーク」だろうか

あと一枚のスタジオ アルバムを最後に解散してしまう
トラフィックだったが それからウィンウッドは感動的
な名作『スティーヴ ウィンウッド』(77年)へと
突き進んでいった

そして僕のなかで その流れはウィンウッドの大傑作
『ナイン ライヴス』(08年)へと しっかりと繋が
っていく









2009/10/6  6:43

投稿者:obin

>Brownsugarさま
いえいえ僕も根は ミーハーですから^0^
フッド氏のサインをTraffic"Shoot〜"に貰えて
良かったですね 僕はフリッツ氏のサインを
”Prone"アルバムにしてもらいました
サインはピース(古〜笑)

2009/10/6  3:33

投稿者:BROWN SUGAR

今回、David Hood氏に"Shoot Out〜"LPの裏ジャケにしっかりとサイン戴きました(嬉)
と、軽いハナシで腰を折って申し訳ありません(笑)
David Hood〜マスル・ショールズ「ネタ」から、Traffic話を書かれているので思わず嬉しくなってしまいました。
David Hoodのグルーヴを生で体験してから、ぼくも改めてTraffic'72年のサンタモニカ映像をよく観直しています〜♪

http://blogs.yahoo.co.jp/bsgrsmustang73

2009/10/5  20:53

投稿者:Almost Prayed

いまちょっと手元に「スタックス・レコード物語」の本がないので申し訳ないのですが、確かそこにはトラフィックとのツアー中に云々、と記されていたと思ったのですが、もしかするとリハーサル中と記述されていたかもしれませんね。数日中に、そこを再び確認してみますね。

UKとは異なり、まだレゲエというものがほとんど認知されていなかっただろう(ポール・サイモンの“Mother And Child Reunion”のヒットはありましたが)アメリカで、“I'll Take You There”はレゲエのビートを自分たちの表現に活用した初期の例だと思いますが、さらに後の“If You're Ready (Come Go With Me)”は、ヴォーカル&コーラスもバンドの演奏も、全てが完全に溶け合って上昇していく極上のグルーヴにシビれますね。歌と演奏の相互の強固な信頼関係がないと、ああまでの作品の実現は不可能ですよね。単にレゲエのビートを「引用」する以上のものを、マッスル・ショールズのミュージシャンは見事に成し遂げたというのが実に素晴らしいですね。

2009/10/5  18:59

投稿者:obin

少し裏を取ろうとしてやや? だったのは
I'll Take You There(72年)とフッド氏を含めた
トラフィックのツアーが73年初頭にアメリカ〜
ヨーロッパというルートで始まったという一年
の開きです ただしフッドたちがトラフィック
に迎えられたのは72年のことであり ツアー
以前のリハ段階でウェイラーズのアセテート盤
などを聞く機会があったことは レーベルメイ
トだった間柄からも大いに考えられますね
そうした72年にステイプルズの吹き込みにも
参加していたのだから フッド氏の記憶に
若干のタイムラグがあるのは致し方のないこと
かもしれません(それを責めることはしたくない)

いずれにしても
肝心なのは枝葉に固執するのではなく
I'll Take You Thereにレゲエビートがうねって
いることですから

2009/10/5  6:54

投稿者:obin

ウェイラーズの英国進出〜アイランドレーベルとの
契約〜同レーベルのトラフィックへの影響〜その時
のメンバーだったディヴィッド フッドへも影響〜
やがてウィンウッドがジュニア マーヴィンを起用
する、、、とすべてが辻褄が合う話ですね!

ステイプルズ”I'll Take You There " の跳ねるビー
ト(スタックス レーベルながらマスル録音)の
秘密を解明したような素晴らしいエピソードですね!

2009/10/4  23:39

投稿者:Almost Prayed

ソリッドで骨太でコシの強い、豊穣で広がりのあるアメリカ南部産のリズムは、やはりUKのバンドにとっては大いなる指標であり、どこかの時点で強く憧れるものなのでしょうね。ジム・キャパルディの当時のソロ作も、マッスル・ショールズで大部分が録音されたものだったでしょうか。もっとも、アメリカの本場もののような音を目指しても、(良くも悪くも)それとはやはり異なるものが出てくるというのが、UKのバンドの特徴でもあったと思うわけですが。

ロブ・ボウマン/著「スタックス・レコード物語」を読み、トラフィックとのツアーでは始終ウェイラーズの“Catch A Fire”が流されていて、耳にしてそのワイルドなリズムに驚き、後のステイプル・シンガーズの“I'll Take You There”のアレンジにそのリズムの乗りを活用した、というデイヴィッド・フッドの談話に「ほう」と思ったものですが、ロックの発展と変容の歴史というのは、ハウスやテクノなどからの影響に至るまで、いかに斬新で生きたリズムを取り込んでいくかの探求の歴史とも言えるわけで、そこに着目して聴いていくと、混交表現としてのロックのまた新たな面が見えてくるのでしょうね。

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