東京ローカル・ホンクの木下弦二さんから初めて電話をもらったのは もう二年ほどまえの夏だったろうか その時にどういう会話をしたのかは忘れてしまったが 僕たちのバンドを知って欲しい 聞いてみて欲しいという彼の気持ちだけはまっすぐに伝わってきた これも何かの縁(えにし)かと思いその後の僕は彼らのライヴに幾度となく足を運び またこれからも もっとライヴに行ってみようという思いは募るばかりだ 東京ローカル・ホンクの良さをどう表現すればいいのかはよく解らないのだが 今日もまた僕と同じように東京の空を眺め 同じような街並を歩き 戸惑いながらも呼吸をしていることは間違いなかった そんな風に自分の側にいるという親しみを持てるバンドに出会ったことに奇跡にも近いような感慨を抱いた まるで広告代理店が書いたような気取った歌詞や 見せかけのポーズや虚勢 あるいは英雄的な態度に終始しがちな日本の音楽シーンのなかで 彼らはいつもの商店街を行き交う人々を観察し 各駅停車の窓から流れる雲を追いかけたりしていた 彼らの織りなすサウンドスケープもまた大向こうを張るのではなく 微妙な感情や陰影そして日向の匂いをデリケートに運び込んできた ときには伊豆半島まで遠出したり草の燃える匂いを嗅ぎながら 結論を急がない心のありようみたいなものは形になりにくい でも僕は東京ローカル・ホンクの答えとか結論を求めない音楽のあり方に惹かれ続けている そうまるで池に投げられた小石のように (小尾隆 2009年6月23日:記)

2009/10/10

彼女の隣人/佐野元春  

友人から会社の倒産の報告あり

よって昨日(9日)は二人で馬鹿飲みをした
馬鹿飲み(ヤケ飲み)は実に久しぶりで 
池袋のポルカドッツで一通り話を聞いた後
新宿のupset the apple cartに移動して
激しく 激しく 音に撃たれた
(ジョン レノン「ヤー ブルーズ」など)

兆候があったとはいえ
最後まで僅かな希望を持って働いていた彼女が
不憫でならない

とても悲しい時に 
何もやる気がしない時に
ふと聞きたくなる歌というのは
いかにも悲しい曲ではなく
逆に人生応援歌とやらでも さらさらなく
ポールの「道の真ん中でやらないか?」のような
ジャンクな(僕にとっては大切な)歌だというこ
とが 改めてよく解った
父親の葬儀の時も そうだった


 道の真ん中でやらないか
 ねえ 道の真ん中でやろうぜ
 誰も見ちゃいない
 だから
 道の真ん中でやろうぜ
 (beatles「why don't we do it in the road? 」)


ブルーズの常套句を踏襲したような シンプルな歌
こんなジャンクでさえ  愛おしい
限りなく愛おしい










2009/10/18  20:39

投稿者:obin

少し話が変わりますが ディランのファン
にしても彼に関する知識ばかりを増やすよ
うなマニアックな人は増えても ディラン
の歌そのもの(歌詞も音楽も)をきちんと
受け止めようとする聞き手は驚くほど少な
いですね ディランに限った話ではありま
せん 何か知識自慢ごっこというか細か過
ぎるというか やたらオーディオ的なディ
テールに凝ったり、、、ビートルズ大学と
かも なんだか僕はとても恥ずかしいもの
に思えてなりません(苦笑)


2009/10/13  23:32

投稿者:Almost Prayed

かつて、ボブ・ディランは自分の音楽と歌詞の関係について、「音楽は大きな絵のようなものだから、そこに書いてある歌詞が伝わるかどうかは大した問題ではない」ということを語っていましたね。彼の場合、歌詞の細部まであーだこーだと解釈する人々(「ディラロノジスト」でしたっけ)の先導もあり、歌詞こそが重要な彼の特質だと認識されてきましたけど、バンド一丸となっての黒く輝くサウンドに乗ってこそ歌詞も最高に輝くという、音楽上の有機的な関係性を理解してこそ、やはり彼の音楽に対する理解も深まるという感じがしますね。

R.E.M.のピーター・バックやマイク・ミルズも、マイケル・スタイプの歌う歌詞が不明瞭でよく聞こえないという世評に対して、ボブ・ディランと同じような趣旨のことを語っていましたが、歌詞だけではなくサウンド全体としてもっと受け止めてほしい、という強い思いがあったのでしょうね。

素材としての曲、バックの演奏、それを歌う歌手の表現力、そして感情と、そういった要素が全て有機的に反応し合ってこそ、聴き手の心に響く名演・名唱が生まれてくるものだと自分は思っています。それらの関係性を理解しないまま、無味乾燥な演奏に乗せられた、上っ面だけ妙に道徳的で「前向き」な歌詞が、最近の「Jポップ」にはあふれているような気がしますが・・・ かつての歌謡曲は必ずしもそうじゃなかったのに。松田聖子の「チェリーブロッサム」なんて本当に素晴らしいです。

LKJの作品も、本人の鋭く研ぎ澄まされた言葉の威力と、デニス・ボヴェルによるサウンドの構築力があってこその、作品のあの威力だと感じています。あー、この問題をどう適切にまとめたらいいんだか、わからなくなってきました(苦笑)、申し訳ありません。

2009/10/13  8:28

投稿者:obin

打ちひしがれている彼らや 裏切られている
彼女らに 簡単に「がんばって!」って声
を掛けてしまうのは ある意味無神経という
か罪深いことですね 確かに自分もついそん
な風に言ってしまってから後悔する場合が
あります

そして多くの場合 今の世の中はいくらが
んばっても駄目という状況が 残念ながら
あるのです

「金持ちの子供であれ 貧乏人の子供であれ
夜明けに見る夢とは 案外同じものかもしれ
ない」 どっかの作家がそんなことを書いて
いました そこに人間というものの秘密が隠
されているのかもしれません

さあ社会人たちの三連休が終わって
フリーターたちの大型連休が始まる(笑)

2009/10/13  7:49

投稿者:obin

歌詞カードを読んでいるだけでは何の変哲も
ない言葉が メロディやグルーヴという翼を
得ると突然キラキラ輝き出したり それとは
逆に「いい曲だなあ〜」と思って英語の歌詞
を訳してみると 案外大したことのないリリ
ックだったりするーそんな体験は多かれ少な
かれ誰でも持っていると思います

それがまさに音楽の鍵ではないでしょうか
ロネッツの「ビー マイ ベイビー」なん
て言葉だけでは 十代の他愛ない感情と片
付けられてしまうものなのに あのフィレ
ス サウンドに乗ると崇高なものや 色彩
を帯びてくる ありていですがそういうこ
とだと思います

もう一つ 活字になった詩が「静」のまま
という状況を打ち破る試みとして ポエト
リー リーディングやスポークン ワーズ
という手法が生み出されてきましたよね
そしてダブ ポエットという斬新な方法
も記憶に新しいです(たまにリントン
クエシ ジョンソン『ベース カルチャ
ー』などを聞くと未だに刺激を受けます)

日本ではまだまだ受け入れられていると
は思えませんが 音楽を演奏しない人も
バックトラックとともにスポークン ワ
ーズで自作詩を読み上げるような機会が
増えればいいな と思います そうした
試みの先駆者である友部正人 佐野元春
あるいは「叫ぶ詩人の会」のドリアン助川
らに 僕は賞賛を惜しみません

まだまだ未熟ですが 僕もときどきレコー
ドを回しながら スポークン ワーズを
行ったりするんですよ(笑)

2009/10/11  21:58

投稿者:obin

僕も”george harrison " は大好きなアルバム
です ジェフ リン(はっきり言って彼は
ビートルズのことを全く理解していないと思
う)が大嫌いな僕にとって これが愛すべき
最後の一枚でした

肝はむろんウィークス/ニューマークによる
リズム隊です ロン ウッド〜ウィンウッド
のアルバムにも参加した彼らの繊細なリズム
感! love comes to everyone に於ける
”揺らぎ”のあるグルーヴに 一体何度泣いた
ことだろう しかもウィンウッドが温もり
のあるシンセを弾いていて いいですね

歌詞のことは もう少し考えたいので
時間をください

2009/10/11  20:54

投稿者:Almost Prayed

先日、とある中古レコード店に入ったら、そこでジョージ・ハリスンの“George Harrison”(「慈愛の輝き」)が流されていました。単に表面的に心地良いだけの空虚なものではない、優しい音に包み込まれる感じ、どう適切に表現したらいいのかわかりませんが、それを耳にして、自分はとても救われたような気持ちになりました。

「ガンバレ」とか「負けるな」とか、歌詞だけの「前向きな」歌ではなく、頑張っても報われなかったり、頑張ることに疲れ果てた多くの人々にとって、本当の意味で心に響く歌が多く登場してほしいものですね。最近、樋口了一の「手紙」という曲が支持されたのも、そういう人々からの共感を強く得たからなのでしょうね。

さて、ジョージ・ハリスンの「慈愛の輝き」にはスティーヴ・ウィンウッドがシンセサイザーで参加していますが、“Thirty Three & 1/3”→“Steve Winwood”→“George Harrison”と聴くと、あまり指摘されませんが、メロディーやアレンジのセンスとか、この両名はかなり通ずるところがある感じがしますね。

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