東京ローカル・ホンクの木下弦二さんから初めて電話をもらったのは もう二年ほどまえの夏だったろうか その時にどういう会話をしたのかは忘れてしまったが 僕たちのバンドを知って欲しい 聞いてみて欲しいという彼の気持ちだけはまっすぐに伝わってきた これも何かの縁(えにし)かと思いその後の僕は彼らのライヴに幾度となく足を運び またこれからも もっとライヴに行ってみようという思いは募るばかりだ 東京ローカル・ホンクの良さをどう表現すればいいのかはよく解らないのだが 今日もまた僕と同じように東京の空を眺め 同じような街並を歩き 戸惑いながらも呼吸をしていることは間違いなかった そんな風に自分の側にいるという親しみを持てるバンドに出会ったことに奇跡にも近いような感慨を抱いた まるで広告代理店が書いたような気取った歌詞や 見せかけのポーズや虚勢 あるいは英雄的な態度に終始しがちな日本の音楽シーンのなかで 彼らはいつもの商店街を行き交う人々を観察し 各駅停車の窓から流れる雲を追いかけたりしていた 彼らの織りなすサウンドスケープもまた大向こうを張るのではなく 微妙な感情や陰影そして日向の匂いをデリケートに運び込んできた ときには伊豆半島まで遠出したり草の燃える匂いを嗅ぎながら 結論を急がない心のありようみたいなものは形になりにくい でも僕は東京ローカル・ホンクの答えとか結論を求めない音楽のあり方に惹かれ続けている そうまるで池に投げられた小石のように (小尾隆 2009年6月23日:記)

2009/11/3

ビッグ・スター〜ギター・ロックの守られるべき聖域のこと  Rock N Roll

今ぼくの手元にはビッグ スターの写真がある
売れない音楽に情熱を注ぐという意味で あの
ジョン ピールにも劣らない英国のDJ チャー
リー ジレットが写したその写真では ややピ
ンボケ気味に 4人組がこちらを見据えている
メンフィスのローカルなフォー ピース バン
ドが 何故ジレットの目に留ったのかは定かで
はないけれども

ビッグ スターは『#1 レコード』(72年)と
『ラジオ シティ』(73年)という ほとんど
売れないアルバムをアーデント レコードから
発売し 幻と呼ばれるサード アルバムを録音
して解散したグループだ 今ならむしろ”ロウ
バジェットの帝王” とか”ロウ ファイの先駆
者” とも称えられるアレックス チルトンが
かつて在籍していたグループと言ったほうが通
りがいいかもしれない

REMからマシュー スウィート あるいはリプ
レイスメンツからティーンエイジ ファンクラブ
までが ビッグ スターへの敬意を語ってきた
人によってはザ バーズのあの輝かしいジングル
ジャングルの朝へと連れ戻してくれるフレッシュ
なサウンドであり バッドフィンガーからラズベリ
ーズへと連なるメロディ ロックの系譜を思い起こ
させるかもしれない 

いずれにしても ロック音楽のいささかぎこちない
後継者たちが この不遇なビッグ スターというグ
ループを埃のなかから救い出してきたのだ 

音楽であれ 文学であれ
完成されていないものが運び込んでくるリアルとい
うものが この世には確実に存在する
完成されたものには いっときの娯楽と満足がある
でも 後になってから自分の影のように気になって
くるのは
むしろ 片足をあらぬ方向へ踏み出してしまった彼や
いつの間にか学校に来なくなった彼女のことだったり
する 少なくとも そういう匂いがしない音楽にぼく
は けっして心動かされたりはしない

グループ名とは裏腹に短く燃え尽きたバンドだったけれ
ども あのフレイミン グルーヴィーズとともにビッグ
スターは ある種のロック フリークにとって
ギター・ロックの守られるべき聖域であり続けている

























2009/11/4  4:32

投稿者:obin

自分も”ただ上手いだけ”の演奏には 感心
しても心奪われることは一切ありません
そもそもロック音楽がどういう地点から
始まったかを考え直してみれば この”
アマチュアイズム”の尊さを思い起こすは
ずですよね むろん一定の技術は必要だ
と思うけど テクニックを競い合うが如
くの音楽や 権威に寄りかかったような
音楽に惹かれることは ぼくも一切あり
ません(笑)

本日Big Starの念願のボックスセットが
届く予定なんですが 今年のリイシュー
/未発表もののNO.1になりそうな予感
で一杯です! 

2009/11/4  0:03

投稿者:Almost Prayed

一般的には、演奏技術の上手さやプロダクションの緻密さとかといった尺度で、表現における「プロフェッショナル」性とは語られ測られるわけで、そういう価値観を尊ぶ人は「アマチュアリズム」を軽視することも多いわけですが(特にクラシックの愛好者に多い)、初期衝動の強烈な一発や、滑らかに磨かれていないゆえの荒々しさ、生々しい感情の威力を「プロ」論という一語において侮蔑するような人々は、表現において表面的な技術よりももっともっと大事なものを見落としていると、そういう気が強くしてなりません。

無論、クラシックのように演奏技術や楽理の追究が表現のレヴェルに直結するような音楽も多くあるわけですが、表面的な完全さを目指すよりも、聴き手の感情を根底から強く揺さぶるような音楽に自分はずっと惹かれます。

R.E.M.もティーンエイジ・ファンクラブもどちらも敬愛するバンドですが、両者とも表面的な技術の「向上」や「洗練」などよりも、表現においてもっと重要なことをしっかりと理解しているバンドだと思っています。今は、こうした姿勢のバンドが新しく登場しにくくなってしまった感があるのが残念ですが・・・

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