東京ローカル・ホンクの木下弦二さんから初めて電話をもらったのは もう二年ほどまえの夏だったろうか その時にどういう会話をしたのかは忘れてしまったが 僕たちのバンドを知って欲しい 聞いてみて欲しいという彼の気持ちだけはまっすぐに伝わってきた これも何かの縁(えにし)かと思いその後の僕は彼らのライヴに幾度となく足を運び またこれからも もっとライヴに行ってみようという思いは募るばかりだ 東京ローカル・ホンクの良さをどう表現すればいいのかはよく解らないのだが 今日もまた僕と同じように東京の空を眺め 同じような街並を歩き 戸惑いながらも呼吸をしていることは間違いなかった そんな風に自分の側にいるという親しみを持てるバンドに出会ったことに奇跡にも近いような感慨を抱いた まるで広告代理店が書いたような気取った歌詞や 見せかけのポーズや虚勢 あるいは英雄的な態度に終始しがちな日本の音楽シーンのなかで 彼らはいつもの商店街を行き交う人々を観察し 各駅停車の窓から流れる雲を追いかけたりしていた 彼らの織りなすサウンドスケープもまた大向こうを張るのではなく 微妙な感情や陰影そして日向の匂いをデリケートに運び込んできた ときには伊豆半島まで遠出したり草の燃える匂いを嗅ぎながら 結論を急がない心のありようみたいなものは形になりにくい でも僕は東京ローカル・ホンクの答えとか結論を求めない音楽のあり方に惹かれ続けている そうまるで池に投げられた小石のように (小尾隆 2009年6月23日:記)

2010/7/25

maybe baby〜ホリーからクレインショウに  Rock N Roll

デルバートもラボック出身ならホリーもまた同郷
そんな意味でテキサスは過去から現在まで音楽の
源泉なのかもしれません そう、テネシーやルイ
ジアナ州がそうであるように

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1957年の2月、3月、7月、9月のレコーディング
セッションをまとめた58年リリースのアルバム
バディ ホリーの名前を伏せ クリケッツ名義にした
ことも ホリーのバンド サウンドへの思いが滲んで
いるような気がする 多くのカヴァーを生み出した
名曲群に関してはここに記すまでもあるまいが
同郷ではダグ サームが「オー ボーイ!」をライヴ
盤で演奏していた 彼にとっては子守唄のようなもの
だったのかもしれません

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こちらは58年の3月に発売されたホリーのデビュー 
アルバム まだトレードマークとなる黒縁メガネが見当たり
ませんが 私が生まれたのと同じ58年のリリース そうした
ことに思いを馳せてしまいます 軽快なビート、コンボ編成
の風通しの良いバウンス、柔和なメロディと 早くもホリー
の才能が溢れ出しています ううん、大好き
ちなみに「悲しい便りはもう沢山」は オイリー ラグスが
下町風味たっぷりに歌っていましたね


それから約20数年、、、
突然変異のように 一人の才気ある若者がデビューしました
この衝撃は未だに忘れることが出来ません
ホリーの陽気 ギター中心のアンサンブル いささかの感傷
それらすべてを兼ね備えた新人の登場でした

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82年の2月にニューヨークのレコードプラント スタジオで
吹き込まれたマーシャル クレインショウのファースト作
何も後ろ盾がない場所から突然現れたこの青年にあったのは
無邪気なロック音楽、ウキウキするようなビートへの向こう
見ずな感情の波だった 無防備な挑戦 いささか時代遅れの
8ビートへと寄せた信頼 海の向こうから声援を送ったのは
むろん佐野元春だった ロック音楽の連続性のことを考える
時 忘れたくないアルバムがここに




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