東京ローカル・ホンクの木下弦二さんから初めて電話をもらったのは もう二年ほどまえの夏だったろうか その時にどういう会話をしたのかは忘れてしまったが 僕たちのバンドを知って欲しい 聞いてみて欲しいという彼の気持ちだけはまっすぐに伝わってきた これも何かの縁(えにし)かと思いその後の僕は彼らのライヴに幾度となく足を運び またこれからも もっとライヴに行ってみようという思いは募るばかりだ 東京ローカル・ホンクの良さをどう表現すればいいのかはよく解らないのだが 今日もまた僕と同じように東京の空を眺め 同じような街並を歩き 戸惑いながらも呼吸をしていることは間違いなかった そんな風に自分の側にいるという親しみを持てるバンドに出会ったことに奇跡にも近いような感慨を抱いた まるで広告代理店が書いたような気取った歌詞や 見せかけのポーズや虚勢 あるいは英雄的な態度に終始しがちな日本の音楽シーンのなかで 彼らはいつもの商店街を行き交う人々を観察し 各駅停車の窓から流れる雲を追いかけたりしていた 彼らの織りなすサウンドスケープもまた大向こうを張るのではなく 微妙な感情や陰影そして日向の匂いをデリケートに運び込んできた ときには伊豆半島まで遠出したり草の燃える匂いを嗅ぎながら 結論を急がない心のありようみたいなものは形になりにくい でも僕は東京ローカル・ホンクの答えとか結論を求めない音楽のあり方に惹かれ続けている そうまるで池に投げられた小石のように (小尾隆 2009年6月23日:記)

2007/2/26

小川洋子〜言葉の復権  文学

「小川洋子対談集」(幻冬舎)を読んでいる
リーアン、江夏豊、佐野元春、清水哲男、五木寛之などとのダイアローグを
纏めた本なのだが とても楽しめる内容になっている

台湾の作家リーアンと小川は 即興で「海」をテーマにした短編を書き上げるという
ことまでしているのだが
海というイメージにどうしても政治的なものが入ってきてしまうリーアンと
そうではなく スピリチュアルな暗喩として海を捉える小川
その間に台湾と日本の違い あるいは育った時代の違いが浮かび上がる
そんな具合だ

五木との対話も興味深かった
五木はしきりに言葉の復権を訴える
言葉に溜まってしまった垢を洗い落として本来の輝きを
取り戻すことが作家の仕事なんじゃないか、と

携帯電話を常に手離すことがない人のことにも
ありきたりの批判をするのではなく
それだけ会話や他者との繋がりに対する飢餓があるんじゃないか、という
見方をする

ちょっと話は飛躍してしまうのだが
言葉がメロディに乗り リズムを孕み出すと
一見変哲もない言葉が輝き出す
これは音楽に与えられた特権じゃないかな と僕は思う

佐野元春の歌詞にしても
ただの言葉として並べてみると 普通の言葉の連なりであったり
いささか気恥ずかしさを伴うものだったりする場合があるのだけれど
それが佐野独特の声や歌い方も含めて彼の音楽になる時
俄然 力強いものとなり 輝き出す

そんなことも考えながら
「小川洋子対談集」を読んでいる







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