東京ローカル・ホンクの木下弦二さんから初めて電話をもらったのは もう二年ほどまえの夏だったろうか その時にどういう会話をしたのかは忘れてしまったが 僕たちのバンドを知って欲しい 聞いてみて欲しいという彼の気持ちだけはまっすぐに伝わってきた これも何かの縁(えにし)かと思いその後の僕は彼らのライヴに幾度となく足を運び またこれからも もっとライヴに行ってみようという思いは募るばかりだ 東京ローカル・ホンクの良さをどう表現すればいいのかはよく解らないのだが 今日もまた僕と同じように東京の空を眺め 同じような街並を歩き 戸惑いながらも呼吸をしていることは間違いなかった そんな風に自分の側にいるという親しみを持てるバンドに出会ったことに奇跡にも近いような感慨を抱いた まるで広告代理店が書いたような気取った歌詞や 見せかけのポーズや虚勢 あるいは英雄的な態度に終始しがちな日本の音楽シーンのなかで 彼らはいつもの商店街を行き交う人々を観察し 各駅停車の窓から流れる雲を追いかけたりしていた 彼らの織りなすサウンドスケープもまた大向こうを張るのではなく 微妙な感情や陰影そして日向の匂いをデリケートに運び込んできた ときには伊豆半島まで遠出したり草の燃える匂いを嗅ぎながら 結論を急がない心のありようみたいなものは形になりにくい でも僕は東京ローカル・ホンクの答えとか結論を求めない音楽のあり方に惹かれ続けている そうまるで池に投げられた小石のように (小尾隆 2009年6月23日:記)

2007/2/26

彼女の海、僕の砂漠  Rock N Roll

退職届とは別に
地方の営業所で働かれている先輩や後輩のために
社内メールの一斉送信で その旨を伝えた

もう見ることは出来ないのだが
先週の時点で幾人かの方々から 労いの言葉を頂いた
なかには電話をくれた後輩もいた

一番最初にレスをくれたのは 僕が以前いた部著で働く
アルバイトの女の子だった
ここに転載しても むろん問題はあるまい

「長い間 大変お疲れ様でした
私がアルバイトの面接に来た時、小尾さんは店売にいらっしゃいました
それが 私が小尾さんと初めてお会いした日でした」

何もつけ加えることはない
僕は彼女とお茶すらしたことはないし
彼女がいう「その日」のことなど 残酷なことにまったく覚えてはいなかった

他人のなかに自分が生きている ということは以前も書いたけれども
つまり そういうことだ
彼女の海に 僕という乾ききってしまった魚が 生かされていたのだ

温かい思いだけが残り 
オフィスの床に木霊していた

彼女がいつまでも
そんな記憶の持ち主でありますように







2007/2/26

サブタレニアン 一人ぽっち  

朝が来て 目を覚ませば 単なるプータロー

そんな気持ちで 退職(正式には3月末だが有給消化のため)してからの初日を迎えた
起きなくてもいいのに 早起きして 民放のニュースを見てしまう
まだ期日がある定期券を 名残惜しそうに手にしてしまう
さすがに地下鉄の駅までは 行かなかったけれど

書く原稿はスティーヴ ウィンウッド「アイランド ボックス」
「ミュールスキナー」「ザ セクション」 「ベアズヴィル レーベル ストーリー」
「ボビー チャールズ」「ニコル ウィルス」「ベターデイズ」「イッツ オール カム バック」
ジョージィ フェイムのパイ時代の3作品 
ヴェンダースの映画「ミュージック クバーナ」のDVD評など
うう、これらの原稿料だけでは とても食べていけんよなあ(涙)

それでも 思う
月曜日の朝から こんなにも沢山の自由な時間がある
読むべき新聞と本があり 書く原稿は一気にはかどり 送信することが出来る
そうした当たり前の営為を 噛みしめることが出来る

このまえ 近所のスーパーで買ったクモマ草の小鉢に 水を与えた
二週間まえに比べて 花も枝も みるみるうちに伸びてきた
このクモマ草は ヨーロッパの高山地帯に咲く ユキノシタ科の植物なのだという

東京のこんな狭いところまで持ってきてしまって 
ごめんなさい






2007/2/26

小川洋子〜言葉の復権  文学

「小川洋子対談集」(幻冬舎)を読んでいる
リーアン、江夏豊、佐野元春、清水哲男、五木寛之などとのダイアローグを
纏めた本なのだが とても楽しめる内容になっている

台湾の作家リーアンと小川は 即興で「海」をテーマにした短編を書き上げるという
ことまでしているのだが
海というイメージにどうしても政治的なものが入ってきてしまうリーアンと
そうではなく スピリチュアルな暗喩として海を捉える小川
その間に台湾と日本の違い あるいは育った時代の違いが浮かび上がる
そんな具合だ

五木との対話も興味深かった
五木はしきりに言葉の復権を訴える
言葉に溜まってしまった垢を洗い落として本来の輝きを
取り戻すことが作家の仕事なんじゃないか、と

携帯電話を常に手離すことがない人のことにも
ありきたりの批判をするのではなく
それだけ会話や他者との繋がりに対する飢餓があるんじゃないか、という
見方をする

ちょっと話は飛躍してしまうのだが
言葉がメロディに乗り リズムを孕み出すと
一見変哲もない言葉が輝き出す
これは音楽に与えられた特権じゃないかな と僕は思う

佐野元春の歌詞にしても
ただの言葉として並べてみると 普通の言葉の連なりであったり
いささか気恥ずかしさを伴うものだったりする場合があるのだけれど
それが佐野独特の声や歌い方も含めて彼の音楽になる時
俄然 力強いものとなり 輝き出す

そんなことも考えながら
「小川洋子対談集」を読んでいる







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