東京ローカル・ホンクの木下弦二さんから初めて電話をもらったのは もう二年ほどまえの夏だったろうか その時にどういう会話をしたのかは忘れてしまったが 僕たちのバンドを知って欲しい 聞いてみて欲しいという彼の気持ちだけはまっすぐに伝わってきた これも何かの縁(えにし)かと思いその後の僕は彼らのライヴに幾度となく足を運び またこれからも もっとライヴに行ってみようという思いは募るばかりだ 東京ローカル・ホンクの良さをどう表現すればいいのかはよく解らないのだが 今日もまた僕と同じように東京の空を眺め 同じような街並を歩き 戸惑いながらも呼吸をしていることは間違いなかった そんな風に自分の側にいるという親しみを持てるバンドに出会ったことに奇跡にも近いような感慨を抱いた まるで広告代理店が書いたような気取った歌詞や 見せかけのポーズや虚勢 あるいは英雄的な態度に終始しがちな日本の音楽シーンのなかで 彼らはいつもの商店街を行き交う人々を観察し 各駅停車の窓から流れる雲を追いかけたりしていた 彼らの織りなすサウンドスケープもまた大向こうを張るのではなく 微妙な感情や陰影そして日向の匂いをデリケートに運び込んできた ときには伊豆半島まで遠出したり草の燃える匂いを嗅ぎながら 結論を急がない心のありようみたいなものは形になりにくい でも僕は東京ローカル・ホンクの答えとか結論を求めない音楽のあり方に惹かれ続けている そうまるで池に投げられた小石のように (小尾隆 2009年6月23日:記)

2007/3/29

Rest In Peace〜もし天国があったとしたら  

黙祷 
また貴重な魂がこの世から消えていきました
あなたが あなたのままで ありますように

(都合により 弊blogを一週間ほど休ませて頂きます)

2007/3/27

愚かな風〜迂回することの罪  

小泉の靖国参拝に関する感想で一番解せなかったのは
この時期(終戦記念日)の参拝は考え直せ、というものだった
これ おかしいと思いません?
他の時期の参拝ならオッケーという態度は とどのつまり 隠れて行えば
目立たなければ 帝国主義的植民地史観に立っても構わないというのと同義で
ある
そうしたグレイな(留保的な)ものの考え方はつくずく日本人的な曖昧さだなあと
思うのだ
ならば 純粋右翼的に15日参拝を決行した小泉のほうが
ある意味 潔いということになる

そうしたグレイな態度というのは
イラク戦争の開戦にあたって 日本がアメリカに同調した際
「この戦争 仕方ないね」と言った態度と通底する

こういう人たちは イラクに於ける死者が増え続けても
仕方がない と言うのだろうか
スペインはとっくに撤退したが
日本政府の態度もまたグレイゾーンのままである

ミック・ジャガー(スウィート・ネオコン)や
ニール・ヤング(リヴィング ウィズ ウォー)が
本当に凄いなと思うのは
有名人という圧倒的なリスクを冒してでも
政治的な見解を示していること

考えなければいけないことは 山ほどある



2007/3/26

3月26日〜Just for a Moment〜  

朝7時起床 スティルス、トニー・ジョー、エイモスそれぞれの
アルバム評を午前中に仕上げる
昼に近所の駅で 編集青年と待ち合わせ
およそ1時間あまり 雑誌の打ち合わせを行う
喫茶店ではハンバーグ・ランチを食べる

午後は河出用の原稿を送信後
自宅のレコードを整理整頓など
聞くはディラン84年のブートやモビーのファーストを
モビーに関しては 奥山さんのログを参考に

さてさて またまた明日も原稿です
今月いっぱい 好きな読書はお預けだな

結論じみたことは まだまだ言える年齢でもあるまい
ただ 今解っていることは
人間という動物の「不完全さ」だったりする
ひとつのパズルを完成させたと思った瞬間に
別のパズルは勝手に外れていく 掌から滑り落ちていく

そういうことを解らない人たちとは
もう友だちになることもないだろう
忠誠も 永遠もなく ましてスローガンなどありはしない
ただ 馬鹿みたいな48歳がいるだけ
それだけのこと





2007/3/26

#9 Dreams  

好きな写真家は エリオット・ランディ、ヘンリー・ディルツ、ノーマン・シーフ、
ジム・マーシャル、
私はフランク・ベズ(リトル・フィートのファーストを手掛けた)のことも気に留めたい

デザイナー・イラストレイターでは 当然エド・スラッシャー、ミルトン・クレイザー、
ネオン・パーク、リック・グリフィンらが すぐ思い浮かぶ
そして英国人Koshの「過剰な」ハリウッド趣味は「ホテル・カリフォルニア」で
頂点を成す、、、

件の「Pen」誌のジャケット特集で不満だったのは
英国方面ばかりに取材が集中していたこと
恐らく編集部の意向・趣向なのだろうが
たとえば編集部は
ヒプノシスにもハンブル・パイ「サンダーボックス」のように「意外な」仕事が
あったことを 知っていたか?
もとい 音楽のことを本当に愛しているのか?

ロック音楽の特集を組むような雑誌でも
最近は広告に アルマジーニやヴィトンやグッチが並ぶようになった
セレブな差別化 
サブカルが「資本」に飲み込まれていくという現実

形から入ったものは いつか綻びを見せる

大事なことを忘れそうになったとき
マテリアルがスピリチュアルを振り切ってしまいそうなとき
僕はいつも鈴木博文の著作「9番めの夢」を読み返す
ロスト・レノン・テープの蒐集を辞めたのは「僕はジョン・レノンを失いたくなかったから」
と博文は言う
あるいは「ウッドストック」で何を見たかったのかという自問には
ずばり「人の歓喜」を見たかったとの答えがあり
ロックとは名詞ではなく「動詞」なんだ と
そんな恥ずかしいことさえ 彼はきちんと言う

人はそれをロックンロールと呼ぶ












2007/3/25

追悼イアン・ウォーレス  

怪力ドラマーとして名を馳せたイアン・ウォーレスが
2月22日 食道癌のため亡くなりました

ウォーレスといえば まずキング・クリムゾン「アースバウンド」での
壮絶なドラムスが思い浮かぶ ボズ・バレル(やはり故人)とのコンビネーションは
圧倒的でした
なんでもフリップ爺に「きみたちの演奏は下品だ」と言われたとか
俺なんかは歴代のクリムゾニストたちのなかでも
一番人間臭い奴だと思っているけどね

その後アメリカに渡ったウォーレスは
ボブ・ディラン、ウォーレン・ジヴォン、デヴィッド・リンドリーらのバックで
一躍成功し 信頼を勝ち得てきた
とくにジヴォンのハードな歌世界にはウォーレスの切れまくるドラムスが似合っていたように
思う
そしてリンドリーでは「ブラザー・ジョン」に於けるセカンドライン!
これも抑えを知らないが如くの奔放な演奏で好きだった
つまり ライ・クーダーが「名手」 ケルトナーを選んだように
もっと奔放なリンドリーは 「名手になり切れない」ウォーレスの叩きが合っていた
そういう見方を俺はするんだよね

先の「アースバウンド」は英アイランドのオリジナルを持っているほど好き
ロック表現の”振り幅”を考えるとき
僕がいつも思い起こすのは「アースバウンド」のことであったりする
そう、ビーフハートの「トラウト・マスク・レプリカ」のように
ルー・リードの「メタル・マシーン・ミュージック」のように
そしてあの「ジュジューカ」のように
これらのアルバムに冷たい視線を投げかける人のことが
僕にはよく解らない

ウォーレスさん、天国でもガンガン叩きまくってください







2007/3/25

本日はありがとうございました!  

狭山フィガロにてのDennys Small Town VOL.2
ご来場頂き ありがとうございます
ロッド話からKoshとピーター・アッシャーとの蜜月など
切り口も鮮やかな奥山さんのお話 刺激を受けました
専門のデザイナーさんに太刀打ち出来るはずもなく
私は以下をジャケットとともに解説していきました^0^

アレックス・チルトン「カム・バイ・ヒア」」
ジェシ・ウインチェスター「ビロシキ」
 同 「ミシシッピー・ユーアー・オン・マインド」
ディラン「ラヴ・マイナス・ゼロ〜ノー・リターン」
エリック・フォン・シュミット「クロウ・ジェーン」
インプレッションズ「キープ・オン・プッシュイン」
ミュージック・フロム・リル・ブラウン「ハートに火を付けて」
ディランズ・ゴスペル・シンガーズ「レイ・レディ・レイ」
 同「ミスター・タンブリンマン」
ディラン「北国の少女」
同「ライク・ア・ローリング・ストーン」
アレックス・チルトン「ノーバディーズ・フール」
同「カム・バイ・ヒア」



2007/3/24

3月23日  

終日ロニー・レイン関係の原稿を
まずはアルバム・レビューを10点ほど仕上げる
一日じゅうロニー漬け
それが終われば(たぶん)読み物記事を書くことになる

夕方 質問もあってその道の先輩Uさんにご挨拶かたがら電話
 
というわけで 忙しいといえば忙しい
暇といえば暇な小尾でした

さて 24日は狭山のフィガロで6時半から
デニー奥山氏のトーク・イヴェントです
テーマはデザイナーの立場から見るアナログ盤の考察といったものです
僕も少しだけ参加させて頂きます
みなさん それでは会場で

うう 一日液晶画面と接していると
目がさすがに疲れますね
目薬常備の日々でございます


2007/3/22

人生は短編映画のようなもの  

京橋のメディアボックスにて ロニー・レインのドキュメント映画の試写を見た
彼の音楽と同じく 淡く穏やかな流れを感じさせつつ
最後には どういう人生を自らが選び取って 学んでいくか
そんな思いが こちら側に沈殿していくような作品だった

フェイセズ時代に得た成功と名声をあっさりと捨て
トレイラー・モービルを買い 田舎の巡業に繰り出していく「パッシング・ショウ」
を実現させていくこと
自ら農園での生活を営み そこから彼自身の音楽を温めていったこと

それらが関係者のインタヴューや貴重なフィルムとともに
90分強のなかに凝縮されている
スリムチャンスを率いてのライヴ映像も幾つかあり
また病気の進行とともにオースティンに移住してからの演奏場面もある
僕はロニー関係の映像を一通り見てきたつもりだけれども
フェイシズ時代を含めて たぶん初めて世に出たものが目白押し状態だ

「人生は短編映画のようなもの」
それがロニーの口癖だったという
だからこそ ショウビズの華やかな世界を あっさりと捨てたことも
残酷なまでの病魔に襲われながらも 最後の最後まで音楽への情熱を
失わなかったことも
きちんと伝わってくる

ナショナル・ボディを抱えながら
スリムチャンスを率いながら
ロニーは歌い出す「Done This One Before」を

鳥肌が立った一瞬だった









2007/3/21

3月20日〜21日  

再度ロリー・ギャラガー原稿に取り組む
今度は全11枚に及ぶ彼のスタジオ・アルバムをすべてレビューするというもの
一日じゅうロリー漬け 全部のCDを聞く

次に控えるのがロニー・レインの特集記事
やったあ この時とばかり編集部といろいろ記事立ての相談を
明日はそのロニーのドキュメント映画の試写会に行く予定です
ちなみにこの映画 The Passing Show 〜The Life and Music of Ronnie Laneは
5月に渋谷シアターNでレイト・ショー公開とか

ところで私の職業は何なのでしょう?

 1 無職(プータロー)
 2 フリーター
 3 自由業
 4 音楽著述業
 5 文筆家
 6 読書家

4でありつつも限りなく1や2であることに私の悲劇があるのである(涙)
願望としては5や6として残りの人生を終えたいなあ

昔コンサート会場などで「この人は普段一体どういう生活して喰っているんだろう?」
と思わせる風貌の人たちがいましたが
まさか 自分がそういうわけのわからんオヤジになるとは(爆)
さっきまで今日が祭日だったことも忘れていました^0^


 
 
  




2007/3/20

3月19日  

朝6時起床
午前中にロリー・ギャラガ ーに関する原稿を2500字ほど
これは編集部に「思いのたけをぶつけてください!」との依頼が
こんな時は自然と筆も乗る

夜は池袋のポルカドッツにて 音楽関係の懇親会を
金澤寿和さん Ueさんと
お二人ともに こうして膝をつめて会話をするのは
今回が初めてのことだ
これは 一度じっくりお話したいですねということが
実現したもの

互いの音楽的バックグラウンドを語り合っていくこうした
時間は 何者にも代え難い
三人であっという間にワインを2本空けてしまう
75〜76年を境にLAの音はがらりと変わりましたね
などという話にも
意外なところから視点が投げ込まれていく

昼間 ちょうどアティチューズの2枚を聞いていたのも
何かの偶然だろうか
彼らが残したアルバムは76年と77年
彼らの音楽もまた ロックとフュージョンとの間で
揺れている

それにしてもポール・ストールワースの歌には
久しぶりに惚れ惚れとさせられた



2007/3/18

もっともらしさへの抗い〜小池真理子  文学

とある版元の方と談笑していた際
話題に上ったのが 小池真理子「恋」(95年 早川書房)のことだった
なんでも彼にとってフェイヴァリッツ小説のひとつだという

政治の季節における恋愛小説
結論から言ってしまえば そういう内容である
何しろ舞台設定が72年の冬であり
僕らの世代には あの忌まわしい浅間山荘事件と同じ時期を
作者はわざわざ選び 対比させているくらいなのだ

主人公の矢野は女子学生で
セクトに属する過激派の男と同棲しているが
ふとしたきっかけから 大学教授夫妻のブルジョワな世界に惹かれ
アルバイトとして華麗で甘美な世界に溺れていく

イデオロギッシュなものと官能的なものとの対比
そこの狭間に立ち尽くす矢野
ここがポイントだ
そして後半には戦後日本史の闇までが現出してくるという
ダイナミズムがある

「政治の季節」を懐かしがる団塊の世代は とても多い
僕はもう嫌になる位 そういう人たちに悪いお酒を
飲まされてきた
彼ら曰く「俺たちは熱かった 今のお前らは駄目だ」
彼らはいつも群れていた
だから僕は ひとりぽっちになりたかった

「誰もがみんな難しい顔をして ジョン・コルトレーンを聞いていればジャズなの?」
 (村上春樹「ノルウェイの森」より)

僕たちが学ぶべきことは たくさんある

彼らのそんな「貧困」に まったく別の視点から立ち向かった作品が
小池真理子「恋」だと思う
思想という名の袋小路のことも
理屈が奪っていく鋭利な感じ方のことも 
ここには描かれているのだ

最後になってしまったが
体裁はあくまで「犯罪サスペンス」
娯楽性もたっぷり盛り込まれていて 飽きさせない小説だ
ちなみに95年の直木賞を受賞した




2007/3/18

Endless Highway~the music of The Band  

遅ればせながら 上記の盤を3回聞いた
そう  話題になっているザ・バンドのトリビュート・アルバムのことだ
この前 国境の南@渋谷のu田野さんに聞かせて頂いたばかりだったけれど
やはり 気になったので  ザ・バンドが大好きな奥さんに買ってもらった
むろん 彼女はリック、リヴォン、リチャードそれぞれの声を
きちんと正確に聞き分けることが出来る「耳の達人」である

CDはいきなりディランとリック・ダンコの共作「火の車」で始まり
2曲めは収穫の秋を待ちわびる農夫の物語歌「キング・ハーヴェスト」
あれあれ アルバムB面の最後から2つめの曲と
別の”ブラウン・アルバム”の最後を飾る曲が 関連することなく
補完し合うことなく
頭から繋がっている
そんなことに いちいち戸惑いながらも
僕はこのアルバムを楽しんだ

音の背後にどうしてもオリジナルを追っていまうのは
僕ら年老いたロック・ファンの性に違いないが
そんなことに優劣を見出していても きっと意味はない
何しろ死は平等に訪れるだろうし
きっと同じ朝を迎えもするだろうから

救いだったのは ここに「悪意がある」歌や演奏がひとつもなかったこと

出来れば そんなに緊張せず 肩肘張らずに
マディや デルモア兄弟の歌を取り上げる気持ちの余裕(みたいなもの)が
欲しかった
あるいは とびきりのレイ・チャールズとか
僕の担当看護婦が好きだと言っていたジュニア・パーカーとかも

ザ・バンドの音楽には ザ・バンド以外の音楽が脈打っていたのだから

















2007/3/17

武士は喰わねど、高楊枝  

本日は7時30分起床
テレビで都知事候補4氏の討論番組を見たあと
さっそく原稿に取り組む

まずは昨日書いた佐野元春の原稿をもう一度チェック
それから「ザ・バンド概要」
アルバム評はバーズ「ロデオの恋人」ブリトーズ「黄金の城」
ポコ「ピッキン・アップ・ザ・ピーセス」
ザ・バンド「ビッグ・ピンク」を LPを棚から取り出しながら
順次 書き上げていく

何度同じアルバムの記事を書くんだよー という気持ちがないわけではないが
聞くたびに別の発見を楽しめるし 当然ながら 書き方や表現というものは
その時々でマイナー・チェンジしている
大好きなザ・バンドの「ブラウン・アルバム」に関しては
明日の楽しみにとっておくことにした

以降もクリーデンス原稿 バッファロー原稿
ジム・メッシーナ原稿 ロリー・ギャラガー(大好きだ!)原稿などが
控えている

あせらず 欲張らず 丁寧に
はっきり言ってこの程度では高校生のバイト代と大差ないでしょう(涙)

それでも私には
時間だけは たっぷりとある
人生を熟考する時間だけはたっぷりある

武士は喰わねど、高楊枝







2007/3/17

中野督夫ライヴ@池袋  

原稿の合間を縫って 16日は中野督夫さんのソロ・ライヴを
池袋のポルカドッツで見る

彼の生演奏に接するのはこれが3度めのこと
ジェイムス・テイラーから多くのことを学び取っただろう
卓越した もしくは自己練磨を重ねた歌とギターに
しばし酔った 
サポート・ギタリストは例によって”フェンダー・ベンダー”の成田安宏さん
終盤にはベースで ”じゃいあん”が加わる


ライヴの場での中野さんの芸人ぶり エンターティメント精神は
ファンが良く知るところだ
ギター奏法の講義から即興のカヴァー曲まで繰り広げつつ
客をしっかりと掴んでいく

挨拶代わりにいつも歌われる「おお、スザンナ」の
自作詞ヴァージョンに始まり
後半にはセンチメンタル・シティ・ロマンス時代の
「うちわもめ」や
センチの盟友である告井延隆が書いた名曲「雨はいつか」も
歌われた

センチのレコード・デビューは75年
僕が高校二年のときの話だ
あれから30年が過ぎた






2007/3/15

水性ボールペンとの旅  

久しぶりに来日するトニー・ジョー・ホワイトの紹介原稿を
午前中に
再度取り組み始めた「自由原稿」を
午後たっぷりと

その間の電話は二回

この前の日曜日 銀座の伊東屋で
水性ボールペンを 二本買い直した
そう 僕のフェイヴァリッツである
プラマンのトラディオ・シリーズのこと
規格番号はTRJM93Aと82A
残念なことに もうカタログからは消えてしまったけれども
運よく在庫が残っていた

安価なわりに 品格のあるデザイン
色違いもあるヴァリエイション
そして何よりも 書きやすさと
右手に握った時 ぴたりと収まる感触
こいつは佳き伴侶のようなものである

このプラマンと真っ白いノートを抱えれば
どこの街にも
どんな街にも
行けそうだ

そんな気がする











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