東京ローカル・ホンクの木下弦二さんから初めて電話をもらったのは もう二年ほどまえの夏だったろうか その時にどういう会話をしたのかは忘れてしまったが 僕たちのバンドを知って欲しい 聞いてみて欲しいという彼の気持ちだけはまっすぐに伝わってきた これも何かの縁(えにし)かと思いその後の僕は彼らのライヴに幾度となく足を運び またこれからも もっとライヴに行ってみようという思いは募るばかりだ 東京ローカル・ホンクの良さをどう表現すればいいのかはよく解らないのだが 今日もまた僕と同じように東京の空を眺め 同じような街並を歩き 戸惑いながらも呼吸をしていることは間違いなかった そんな風に自分の側にいるという親しみを持てるバンドに出会ったことに奇跡にも近いような感慨を抱いた まるで広告代理店が書いたような気取った歌詞や 見せかけのポーズや虚勢 あるいは英雄的な態度に終始しがちな日本の音楽シーンのなかで 彼らはいつもの商店街を行き交う人々を観察し 各駅停車の窓から流れる雲を追いかけたりしていた 彼らの織りなすサウンドスケープもまた大向こうを張るのではなく 微妙な感情や陰影そして日向の匂いをデリケートに運び込んできた ときには伊豆半島まで遠出したり草の燃える匂いを嗅ぎながら 結論を急がない心のありようみたいなものは形になりにくい でも僕は東京ローカル・ホンクの答えとか結論を求めない音楽のあり方に惹かれ続けている そうまるで池に投げられた小石のように (小尾隆 2009年6月23日:記)

2007/5/18

テレビの伝道師たち  Rock N Roll

テレビの伝道師に祈ってみれば
問題が解決するそうな
彼の講釈を聞けば
俺も350円以上のハンバーガーを食べた気分になるよ
う〜ん 素晴らしき テレビの伝道師

砂糖がないコーヒーも
あの娘が去った毎朝のハートブレイクも
俺には同じようなもの
だから テレビを見て 
ごもっともな言説に頷いてみるんだ
う〜ん 素晴らしき テレビの伝道師

あんたは教育問題について話す
あんたは殺人事件について話す
あんたは中東情勢に言及するし
まあ ご説もっともなのだが
あんたのタクシーには護衛が付いているんだってな

毎朝祈ろう テレビの伝道師たちのために
おお 毎朝祈るぜ コマーシャルなテレビのために
芸能人のゴシップに笑おう
交通事故で死んだ娘さんのために 涙を流そう
話題に事欠かない 我が素晴らしきテレビ!


あんたは美味しいラーメン屋について話す
あんたは昔の吉祥寺は良かったと話し
あんたはワールドミュージックの豊かさについて語る
あんたに出来ることは せめてそんなこと

それが共通言語だとしたら 悲しくはないか?
それで了解される世界なら 悔しくはないか?

とにかく あの娘は去ってしまったし
毎朝 ベッドで涙にくれているんだ
だから 頼りにしているぜ
テレビの伝道師さん
あんたのことを
俺は すごく頼りにしているぜ
う〜ん 素晴らしきは テレビの伝道師たち

(屑ロックの住人、アレックス チルトンのために)






















2007/5/18

5月18日  

朝6時起床
朝食後 連ドラ「どんど晴れ」〜「さくら」を見て
早速 原稿に着手
毎日しているこの午前一杯の原稿が肝で
今日も快調 はかどる はかどる
同業者は圧倒的に夜型が多いのだが
この時期の朝は とくに気持ちが良い

午後は新宿の友人宅へ
相当な読書家である彼の本棚は
経済 思想 詩集 落語 野球 映画 古典文学 現代文学
音楽 など
きちんと整理され壮観である
彼の歴史の蓄積だ


引っ越しを機に 一部を手放すというので
僕が馳せ参じた次第
辺見庸 丸山眞男 そしてバイロンの詩集など
約40冊ほど選ばせて頂いて梱包し 送料を支払う
明日には 僕の家に届くはず

彼が本に引いた
ラインマーカーや付箋を見ていると
自分の昔を思い出す

For The Rest Of My Life

残された人生のなかで
僕は なるべく読書をしていきたい
僕は 時間を買ったのだから









2007/5/18

歌う言葉  

もう何度も書いているけれども
ここ20数年のポピュラー音楽で真にムーヴメントと言えるものは
76年のパンクと80年代初頭に起こったヒップホップ
この二つだけだ

個人的な音嗜好はいろいろあるだろうが
この二つのムーヴメントが聞き手を分けたのだ
そこに断層があることは
とても悲しいことだと僕は思う

このように若者の「言語」というものは
大きく変化している
夜の池袋  公園でラップをしている彼らと接していると
自分の「音楽批評」の空しさみたいなものが よく解る

ただ 本当に自分が一般企業社会から逸脱してしまった今
彼らのヒップホップが以前よりも遥かに染みることは確かだ
この前 聞いた彼らのラップは
兵庫から出てきた二人の「東京漂流」のような日記風
題材としてはベタなんだけれど
湿っぽくならずにユーモアを交えるあたりが
自己憐憫的な70年代フォークと様相を異にする

自分のメンタリティを考えてみれば
経済大国の日本で「ワールド ミュージック」を消費するだけの人たちは
やはり どうしても好きになれない
というか その音楽の芳醇さと自分のメンタリティの貧しさの関係に
視点を向けない人たちには 人間的にほとんど興味を覚えないのだ
(単にビンボーのヒガミだったりして^0^)

それぞれの趣味という村があり
そこでのみ了解される言葉がある
そこの村に入っていけない者は はじき飛ばされる
そうした構造は もうずっと変わっていないなあ と
痛感させられる

贔屓の引き倒しみたいに思われるのは心外だが
佐野元春がやってきたことを思うと
その「ラジカルな知性」に改めて驚かされる
まだ海のものとも山のものとも解らなかったヒップホップ
その現場に飛び込んでいった勇気はむろんだが
ギャングスターを気取るのではなく 
自らを「訪問者たち」visitors と譬える その謙虚さと距離感に
佐野の人となりを 誠実さを見る思いがする

先日行われたサンボマスターとの共演もそうだが
佐野にあるのは 圧倒的な飢えの感覚だ
何も そこまで考えなくとも
少なくとも
この人は音楽を動かす力が「豊かさ」にあるのではなく
やむにやまれぬ「切実さ」にあることを
知っている











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