東京ローカル・ホンクの木下弦二さんから初めて電話をもらったのは もう二年ほどまえの夏だったろうか その時にどういう会話をしたのかは忘れてしまったが 僕たちのバンドを知って欲しい 聞いてみて欲しいという彼の気持ちだけはまっすぐに伝わってきた これも何かの縁(えにし)かと思いその後の僕は彼らのライヴに幾度となく足を運び またこれからも もっとライヴに行ってみようという思いは募るばかりだ 東京ローカル・ホンクの良さをどう表現すればいいのかはよく解らないのだが 今日もまた僕と同じように東京の空を眺め 同じような街並を歩き 戸惑いながらも呼吸をしていることは間違いなかった そんな風に自分の側にいるという親しみを持てるバンドに出会ったことに奇跡にも近いような感慨を抱いた まるで広告代理店が書いたような気取った歌詞や 見せかけのポーズや虚勢 あるいは英雄的な態度に終始しがちな日本の音楽シーンのなかで 彼らはいつもの商店街を行き交う人々を観察し 各駅停車の窓から流れる雲を追いかけたりしていた 彼らの織りなすサウンドスケープもまた大向こうを張るのではなく 微妙な感情や陰影そして日向の匂いをデリケートに運び込んできた ときには伊豆半島まで遠出したり草の燃える匂いを嗅ぎながら 結論を急がない心のありようみたいなものは形になりにくい でも僕は東京ローカル・ホンクの答えとか結論を求めない音楽のあり方に惹かれ続けている そうまるで池に投げられた小石のように (小尾隆 2009年6月23日:記)

2007/6/4

音楽批評についてのメモ#1  Rock N Roll

ある時点から他の同業者のことを気にしなくなった
むろん僕にも 料理がそうであるように嗜好というものがあり
尊敬する先輩や同世代の批評家やライターがいる一方で
「ちょっと どうよ〜」と感じざるを得ない方も少なからずいらっしゃる
でも 結局重要なのは 自分がもっといい原稿を書くことだと思っている

グリール マーカスやポール ウィリアムスを目指して
あるいはレスター バンクスやジョニー ローガンのように
一度でいいから 彼らのような文章を書いてみたい
僕はそんなことを未だに思っているくらいだ

ロック批評は効率を競うビジネスではない
ロック批評は芸能を報告するリポーターではない
ロック批評は空疎なディレッタントであってはならない
ロック批評はレトリックの奴隷であってはいけない
ロック批評は言葉を尽くさなければいけない
そう もっともっと言葉を尽くさなければ

むろん僕の原稿にも出来不出来はあるだろう
それはいつも必ずしも美味しいご飯を炊けるわけではないことや
いつも必ずしもいいパスタを茹でることが出来るわけではないことと
似ている
僕は今日もゆる〜い焼きそばを作ってしまい反省したばかりである

それでも僕は「自分がどう感じているのか」ということを
大事にしながらワープロに向き合ってきた
データや情報を求める読者にはいささか不親切であったかもしれないが
僕は僕という印が刻まれた文章を書きたかったのだ

吉田俊一という僕の良き(恐らくは最初の)理解者は
「小尾さんのは単なる感想文だよね〜」と冷やかすけれども
これは彼特有の照れ隠しやユーモアであって
まあ当然ながら 僕の本質を屈指の編集者としてきちんと把握しているのである
彼にはキンタマを握られてしまったようなものである
そう、僕は高校生の感想文のようにロックを書くことを
何よりも どんなことよりも 大事にしたい

空疎なスモール タウン トークよりも
無駄に費やされていく同窓会よりも
夢見る瞳の女の子とカレーを食べている方がずっと素敵だ
汗臭いシャツを着た男とボブ テンチのことを語り合うほうが
ずっと素敵だ
きみは昨日何をしていた?
僕は僕の好きなギタリストと一緒にビールを飲んでいたよ

そして つまらないロック記事よりも
桐野夏生や森絵都あるいは中島京子といった現代作家による
(女ばっかりやねん ^0^)小説のほうが
ずっと魅力的だ
とても刺戟的だ

クリッシー ハインドはとても素敵だ
馬鹿みたいに黒シャドウなんか塗ったお姉さん
そんな彼女はこう歌っている
learn to the crawel
私は赤ちゃんのように はいはいを覚えたばかり、と

僕は「ロック音楽という寓話」という新しい文章を書き下ろした
その原稿はたぶん7月に活字となっているはずだ
読んでほしいと思っていた一人は
とても残念なことに亡くなってしまったけれど
僕には彼女の声が聞こえる
「大丈夫」と言う声が
遠くから夜空を澄ますように聞こえてくる

みんなが美味しい料理を作れますように















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