東京ローカル・ホンクの木下弦二さんから初めて電話をもらったのは もう二年ほどまえの夏だったろうか その時にどういう会話をしたのかは忘れてしまったが 僕たちのバンドを知って欲しい 聞いてみて欲しいという彼の気持ちだけはまっすぐに伝わってきた これも何かの縁(えにし)かと思いその後の僕は彼らのライヴに幾度となく足を運び またこれからも もっとライヴに行ってみようという思いは募るばかりだ 東京ローカル・ホンクの良さをどう表現すればいいのかはよく解らないのだが 今日もまた僕と同じように東京の空を眺め 同じような街並を歩き 戸惑いながらも呼吸をしていることは間違いなかった そんな風に自分の側にいるという親しみを持てるバンドに出会ったことに奇跡にも近いような感慨を抱いた まるで広告代理店が書いたような気取った歌詞や 見せかけのポーズや虚勢 あるいは英雄的な態度に終始しがちな日本の音楽シーンのなかで 彼らはいつもの商店街を行き交う人々を観察し 各駅停車の窓から流れる雲を追いかけたりしていた 彼らの織りなすサウンドスケープもまた大向こうを張るのではなく 微妙な感情や陰影そして日向の匂いをデリケートに運び込んできた ときには伊豆半島まで遠出したり草の燃える匂いを嗅ぎながら 結論を急がない心のありようみたいなものは形になりにくい でも僕は東京ローカル・ホンクの答えとか結論を求めない音楽のあり方に惹かれ続けている そうまるで池に投げられた小石のように (小尾隆 2009年6月23日:記)

2007/6/21

普通の言葉が輝き出す瞬間  Rock N Roll

「ミュージック マガジン」は読むたびに
不愉快な気分になるだけの音楽雑誌なので
ここ最近は本屋での立ち読みや図書館で読む程度にしている
その理由は 今でもこの雑誌が時代を牽引しているかのような
錯覚から抜け切っていないから
まあ 要するに「偉そう」なんである
僕は名物コラム「とうようズ トーク」を読むくらいだなあ


今月号で佐野元春のインタヴューを期待したものの
アルバム ピックアップでの小さい枠のみの扱い
これには呆れ果てた

むろん雑誌ごとのスタンスの取り方の違い
編集者の好みというのは当然あるだろうが
先月号でディランを大々的に持ち上げておきながら
広い意味でディランズ チルドレンと言うべき佐野に関して
この冷たさというのは あんまりだ
先月号のディラン特集がディランという有名ブランドに
寄りかかったもの と批判されても仕方あるまい

佐野に関しては80年代に売れすぎた音楽家だったため
未だ誤解している人も少なくないだろうが
ポップであることと平行して地下でのポエット活動
雑誌作りなど 多岐に亘るフォームで活動を行ってきた
極めてラジカルな知性の持ち主なのである
あの忌まわしい9/11事件を端に
エピック ソニーというメジャー カンパニーを離れざるを得なかった
佐野こそは まさに本物のアウトローな表現者であると思う

彼の(ポップ フィールドでの)音楽に於ける歌詞は 一見何でもない言葉の連なりであり
いささか気恥ずかしさを伴う響きもある
しかし その普通さが音楽となり 輝き出す瞬間を
絶対に見逃すべきではない

贔屓もあるだろうが
僕は佐野の音楽を
ディラン、スプリングスティーン、ルーリード、
ウォーレン ジヴォンとまったく並列に聞いてきた
その期待を佐野は一度として裏切るようなことはなかったし
日本語で 母国語で接することが出来るぶんの
幸せを僕は噛み締めてきた

音楽ジャーナリズムに関わる人間は
アーティスティックなエゴやポーズに固執するのではなく
もっと「普通の世界」に降りてきて欲しい
それが 僕の願いだ











teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ