東京ローカル・ホンクの木下弦二さんから初めて電話をもらったのは もう二年ほどまえの夏だったろうか その時にどういう会話をしたのかは忘れてしまったが 僕たちのバンドを知って欲しい 聞いてみて欲しいという彼の気持ちだけはまっすぐに伝わってきた これも何かの縁(えにし)かと思いその後の僕は彼らのライヴに幾度となく足を運び またこれからも もっとライヴに行ってみようという思いは募るばかりだ 東京ローカル・ホンクの良さをどう表現すればいいのかはよく解らないのだが 今日もまた僕と同じように東京の空を眺め 同じような街並を歩き 戸惑いながらも呼吸をしていることは間違いなかった そんな風に自分の側にいるという親しみを持てるバンドに出会ったことに奇跡にも近いような感慨を抱いた まるで広告代理店が書いたような気取った歌詞や 見せかけのポーズや虚勢 あるいは英雄的な態度に終始しがちな日本の音楽シーンのなかで 彼らはいつもの商店街を行き交う人々を観察し 各駅停車の窓から流れる雲を追いかけたりしていた 彼らの織りなすサウンドスケープもまた大向こうを張るのではなく 微妙な感情や陰影そして日向の匂いをデリケートに運び込んできた ときには伊豆半島まで遠出したり草の燃える匂いを嗅ぎながら 結論を急がない心のありようみたいなものは形になりにくい でも僕は東京ローカル・ホンクの答えとか結論を求めない音楽のあり方に惹かれ続けている そうまるで池に投げられた小石のように (小尾隆 2009年6月23日:記)

2007/6/23

6月22日  

渋谷のスタジオ セロにて装丁に関する最終打ち合わせを
社長 編集担当 デザイナーの三人と僕で緊密に

というのも 僕のアプローチが徹底されていなかったためか
当初イメージして頂いた原案から 回を重ねる度に
かけ離れていく表紙デザインを見て とても悲しくなり
僭越ながら 意見させて頂いた次第

そして 僕が提示した案が更なるヴァージョンアップされ 無事採用された!
あの時点で もし自分の意見を表明しなかったら
僕はたぶん 一生後悔することになっただろう
僕は後から「あの時 こうすれば良かった」と思う事態だけは
絶対に避けたかったのだ

僕は経営のノウハウや 編集のことや デザインのことに
関しては まったくの素人である
だからといって それぞれがそれぞれの領域で
単なる役割分担して整然と「お仕事」をすればいいとは
まったく思っていない
だから ある程度コンセプチュアルなことにも こだわってみたし
不満があれば 口にさせて頂いてきた

幸いにしてスタジオ セロのスタッフたちは とても優秀であり
僕の意見に耳を傾けてくれた
僕のコンセプトに理解を示してくれた
表紙 判型 紙質 紙色 紙の厚さ 字体など細かい部分までが
徹底的に話尽くされていく

「距離」ばかりを気にしていては駄目だ、ということ
いざとなれば 編集者の懐に飛び込んでいくこと
共通の基盤を 互いに築き上げていくこと
僕の07年の前半は
殆ど このことに費やされたと言っても過言ではない


本を作るということは
言うまでもなく 緊密な共同作業である
むろん その困難な作業の後には
果てしない虹が待っている
僕は そんなことを信じている







2007/6/23

たった一人の戦い  Rock N Roll

有田芳生著「テレサ テン十年目の真実〜私の家は山の向こう」
(文春文庫)を読了

日本では一般的には「演歌歌手」として認知されているだけのテレサの人生が
こんなにも波乱に満ちたものだったとは
彼女の生い立ちと中国 台湾の歴史がダイナミックに折り重なり
複雑な感情や思惑そして政治的な局面を呈しながら
語られていく

クライマックスはやはり89年に起きた天安門事件
(註)に
ダイレクトに反応していったテレサの心の動きであり
それを巡る複雑過ぎる様相だ
彼女の生涯はこの事件の前と後で切り裂かれていく

まったくお恥ずかしい限りだが
こんなにも多くの煩悶 苦悩 困難をテレサが抱えていたとは
不覚にも知らなかった

有田さんのジャーナルな視点 綿密で膨大な取材
そして何よりもテレサ テンへの純粋な好奇心
(ありていに言えば愛情)が このノンフィクションを
支える 太く 逞しい幹となっている
何かを知りたいということ
埋もれてしまった歴史から何かを探り当てようとする
気持ち
ただ それだけのことからスタートしているのが解る

今度 テレサ テンのCDを買ってみようと思う


(註)天安門事件(てんあんもんじけん)

  89年6月に起きた北京での激しい闘争のこと

  中国政府内で民主化を推し進めようとした改革派の
  勢力は学生や社会人の支持を得ながら各地で一挙に
  広がりを見せたが
  それを恐れた最高権力者が軍隊を伴って
  デモ隊を制圧 そして
  「血の弾圧」は6月3日から4日にかけて強行
  された
  その死者は天安門周辺で319人
  その他の主要都市でおよそ800人と伝えられる

  ある意味 持つものと持たざるものとの関係や
  権力が重要な局面でいかに暴走するかを
  最も醜悪な形で凝縮した事件であり
  その血塗られた歴史が 忘れ去られることはない
  

  

  

  
  

 























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