東京ローカル・ホンクの木下弦二さんから初めて電話をもらったのは もう二年ほどまえの夏だったろうか その時にどういう会話をしたのかは忘れてしまったが 僕たちのバンドを知って欲しい 聞いてみて欲しいという彼の気持ちだけはまっすぐに伝わってきた これも何かの縁(えにし)かと思いその後の僕は彼らのライヴに幾度となく足を運び またこれからも もっとライヴに行ってみようという思いは募るばかりだ 東京ローカル・ホンクの良さをどう表現すればいいのかはよく解らないのだが 今日もまた僕と同じように東京の空を眺め 同じような街並を歩き 戸惑いながらも呼吸をしていることは間違いなかった そんな風に自分の側にいるという親しみを持てるバンドに出会ったことに奇跡にも近いような感慨を抱いた まるで広告代理店が書いたような気取った歌詞や 見せかけのポーズや虚勢 あるいは英雄的な態度に終始しがちな日本の音楽シーンのなかで 彼らはいつもの商店街を行き交う人々を観察し 各駅停車の窓から流れる雲を追いかけたりしていた 彼らの織りなすサウンドスケープもまた大向こうを張るのではなく 微妙な感情や陰影そして日向の匂いをデリケートに運び込んできた ときには伊豆半島まで遠出したり草の燃える匂いを嗅ぎながら 結論を急がない心のありようみたいなものは形になりにくい でも僕は東京ローカル・ホンクの答えとか結論を求めない音楽のあり方に惹かれ続けている そうまるで池に投げられた小石のように (小尾隆 2009年6月23日:記)

2007/10/31

ストーンズという容器  

しかしストーンズ ファンのHPというのは
もう圧倒的に面白く
仕事に差し支えるどうしよう〜という感じである
これくらいビッグなグループともなると
受け止める側の妄想も さまざまだ(笑)

ライターとして一般に認知されている私の
ストーンズ見解というのは
かもんみねこさんとその夫君が指摘するように

”ロニー ウッドやフェイシズの側からストーンズを語る
珍しいおっちゃん” というものらしい

私の理想とするストーンズ像として
私が思い描く理想のサウンドスケープとして
75年の北アメリカ ツアーや
76年のヨーロッパ ツアーがあることは
ほぼ間違いない
アルバムとしても当時の「ブラック&ブルー」や
「ラヴ ユー ライヴ」がalways一番好きである

そういう確固たる座標軸があるから
近年の彼らにはコクがなくなったな〜と嘆いてみたり
しかし「ビッゲスト バン」の映像なんかを見ると 
やっぱ ええのう〜と感心したりする
ただ 気を付けなければいけないのは
映像がいいというのは 音だけだと辛いという
思いの裏返し的な表現だということ

60年代のデッカ エラに関しては
私は小学生だったので
むしろ何の迷いもなく楽しめるのだが、、、

今のところ最新作である「ビガーズ バン」アルバム
にしても 悪くはない いやむしろ「バビロン」に比べれば
ずっといいという気持ちはあるが
一方で「あんたら本気だせば こんなもんじゃないでしょ」
という思いが残る

ある意味 ストーンズ ファンには
本当に耳が鍛えられた連中が多い
なんとも手強い相手なのだ(笑)
不思議なもので たとえ最初は「形から入った」人たちも
時間とともに
このバンドの生命体とか 
メンバー間に生まれるケミカルな反応に
感想を寄せている

それもまたストーンズとともに歩いてきた
歳月なのである
ストーンズという容器の大きさなのである

しかし80年代半ばに
チャーリーがキックを曲の途中で出来なくなり
”黒子”がチャーリーのスネアとハットに同期させたという話には
驚かされたと同時に
さもありなん という感想も抱いた

現在のストーンズが
”腐っても鯛” だとは思わないけどね


















2007/10/31

第17回  Rock N Roll

☆ファンキー キングス(ジュールズ シアー)/ソー イージー トウ ビギン ☆


結論から言うと 恋愛に於ける時間の経過を映し出した歌である

誰かを好きになると その人のことを考えて夜も眠れなくなるというのが

恋愛における初期症状の眩いばかりの興奮

しかし 時を経て  幾多のトラブルとか誤認を経て

いざ別れ話になると 自問や煩悶を繰り返すという

ありがちな物語について考察した歌なのかもしれない

まさに「始めるのは容易く 終わるには困難」という歌なのだ

話は飛躍するが

私は私自身が経験したことでしか 恋愛を語ることができない

あるいは

もっともっと激しく燃え盛るような そんなこともあるだろう

まあ それはいい

問題となるのは 時間の経過である

とくに理由があるわけでもないのに

何となく疎遠になってしまうクラスメイトのことや

互いの成長に伴って

それぞれの資質の違いを 思い知らされるような

そんなことが ある日突然訪れる

それは 残酷なくらいに

結論の出ない迷宮であり

砂浜のなかに  過ぎていった時間を

探し求める行為なのかもしれない






そして今日もまた

波は岸に打ち寄せ

そっと引く 

それだけだ

そんな時間のなかに

僕も きみも 生きている

昨日があったように

生きている












2007/10/30

それから  

会社を辞めたのが今年3月のことだった

会社に最後の事務手続きに行った帰りに
お茶の水のディスクユニオンで
”せめて最後だけはカッコ付けさせてくれよ”とばかりに
買ったのが
ディラン「追憶のハイウェイ61」のUKオリジナル盤だった

再就職する気は さらさらなかった
歳が歳であったし
仮に再就職出来たとしても
労働環境や条件が劣悪になることは明らかだった
私は残りの人生をそんなことで無駄使いしたくはなかった

捨てる神あれば 拾う神あるとは よくぞ言ったもので
音楽ライター歴15年としての私の実績を見て頂いていた方がいて
その方の出版社が 拙書「Songs」が絶版になっていることに
心を痛めておられて ぜひウチで、、、というお話になったのが
今年の2月のことだった

私も 目先のお金(再就職)よりも
ものを書くことの方が遥かに自分が好きなことだったので
そっちの船に乗り込むことにした
偶然という神に感謝である

まあ貧乏でも贅沢さえしなければいいやという
覚悟(クレジットカードは退社の日に捨てた)はしていたし
それよりも たっぷりと自由な空気を吸いたかった
一日中 原稿に没頭出来る環境は 切実だった

私の場合 サラリーをこなしながらの音楽ライターだったので
(二足の草蛙はキツいものがあった)
レコード会社とのパイプは殆どなく
とてもとても業界的に認知されているとは言えなかった
あまたの音楽雑誌に書く記事だけでは とても喰えていけない

実際 私がもしも独身生活であったなら 状況はもっとシビアであったであろう
理解ある伴侶に恵まれたことは
まさに”灯台、もと暗し”の喩えがあるように
こればっかりは 金銭に還元出来ることではあるまい

とりあえずの着地点が そんなこと
後先など解らない岬が そんなこと
ただ 私が理解していることがあるといえば
”自分の出来ることでベストを尽くす”
そのことだけであった

何となく つげ義春ではないけれども
無能の人になってみたかった という思いはある
そう 外房なり内房なりの なだらかな丘陵を
意外と強面な海岸線を
毎日 同じ時間 無為に歩いてみるような
夕暮れ時に ふと足を止めるような

たぶんキース リチャーズも
たぶんロニー ウッドも
ギターを弾けなければ 単なる”ろくでなし”であっただろう

そのことを無理矢理 私のことに喩えるつもりはない
ただ もしも私に 言えることが
あるとしたら
「人生、そんなにイキリ立つなよ」とか
「素敵なことは素敵だと言える心が好きさ」
(こちらは お馴染みの佐野元春) とか

そんなこと

きっと そんなことだけだろう





















2007/10/29

思えば  

私が24年間勤めた会社を辞める前兆のようなものは
2〜3年以前から現れていたように思う

本社に戻ったと思った喜びも つかの間
非常にハードで休日出勤も当然というセクションであった
平日も夜9時10時までの残業が当たり前だった
私はやがて体を壊してしまった

1年後の人事異動ではなんと「出向」命令が出た
その仕事は少なくともバイトでも出来るものであり
中間管理職であった私を傷つけるには十分だった

そんなある日 私は作業中の倉庫で足を滑らせ
左腕を骨折
日大光が丘病院に入院することになった
見舞いに来てくれたのは友達たちだけで
結局 会社の人たちは来なかった
まるで 私なんか知らないというように

退院の際 会社に挨拶に行ったが
私は そんな自分を卑屈に感じた

その2年後 私は「出向解除」となり
元の仕事に戻ったが
そこにはすでに私のまえに課長がいた
要するに お前の仕事はないということ
それに等しかった
こうした状況もまた
私を 少なからず傷付けた 

まあ それはそれだ
これはあくまで私から見た物語であり
彼らには また別の見解がきっとあるのだろう
物事とは そういう風に出来ている

ただ 私が退職するとき
真っ先に反応してくれたのは バイトの女の子であり
支社のパートさんたちだったことは
今でも 私のささやかな誇りである

私は通勤時 むさぼるように読書をするようになった
山崎豊子の「沈まぬ太陽」を読破した
森絵都の「永遠の出口」に心弾ませた
自己発見への旅が開始されていった
私以前にリストラされていった先輩は
やはり「沈まぬ太陽」を読んでいた
私はやっと彼のことが理解出来た

どうやら本を読むことや
音楽を聞くことは
自分に向き合う時間を与えてくれるらしい

私は今 朝6時に目覚め
8時から午前までに原稿を書き
昼食後は 図書館に行ったり
夜は少しばかり飲みに行ったり
そんな生活をしている

それが私という49歳の
着地点である

私は今でも思い出すことが出来る
邪心なしに私たち新人たちが
テーブルを囲み
ランチを腹一杯に食べていた頃のことを















2007/10/29

第16回〜ヴェルベット アンダーグラウンド「あなたの鏡になりたい」  Rock N Roll

今50代前半くらいの世代の方々と話すのは
本当に面白い
俺よりちょっとだけ上の男たちだが
その3年くらいの違いは
67〜70年くらいにおける”政治の季節”のなかで
やはり圧倒的である

今回登場する とある氏は
ほとんど平日の茶飲み友達状態と化しているが
そんな政治の季節の受難者のひとりである
俺はそういう人と何故か出会ってしまうのだ(笑)

大学に入学しても
学園闘争でバリケード封鎖され
授業が受けられなく
進学や卒業を諦めたといった
ジェネレーションである

歩いているだけで革マルとレッテルを貼られ
逆に(右翼の)赤尾敏の演説を聞いていると
「お前のように髪が長い奴は帰れ!」と
赤尾さん自身のマイクで怒られてしまう
まあ そんな時代があったのである

そういうことを生身で体験した氏の
政治なるものへの屈折はなかなか凄いものがある
しかし 彼に脈打っているものは
徒党を組んで声高な連中を信用してはいけない、
というその一点だと俺は思っている

イデオロギーに絡めとられた者たちの末路は
浅間山荘事件を持ち出すまでもなく
明らかでしょう ちなみに
柴田翔の「されど我らが日々」もあの時代への
苦悶に満ちたオマージュ小説のひとつ

俺の高校時代(74〜76年)でさえ
日比谷の野音に行けば
クリエイションや四人囃子の演奏に混じって
内田裕也氏が「フォークの連中みたいに喋ってばっかりするのは
よそうぜ!」と聴衆に向かって激を飛ばすような時代
だった
二者択一みたいな発想が音楽の世界でも跋扈していた
(今の若い人には信じられないだろうが)
そういうアジを真に受けてしまった高校生は怖い
俺のなかにもそういう遺伝子が どこかにあるのかもしれない

その茶飲みの彼と俺に共通する哲学があるとすれば

1 誰にも従わない〜リーダーって何なんだ?

1 徒党を組まない〜一人ぽっちを恐れない

1 思想や宗教への懐疑〜優れた才能はそこからはみだしていくという
  確信

こんなところだろう

俺がたとえどんなに馬鹿にされようが
森絵都や恩田陸や村山由佳を読み続けるのは
とどのつまり
俺が俺でいたいため
俺が俺でい続けたいためなのだ

ニコの歌はとにかくへたっぴだが
「私はあなたの鏡でありたい」という思いだけは
静寂とともに
しっかりと 届く





















2007/10/28

connection from cresent city  

件の「ニューオーリンズ ミュージック ガイド ブック」を
折りに触れ読んでいる
こういうガイド本の場合
自分の関心がある章から何となく読み進めていくのが
自然な接し方だと思うのだが

僕の場合はコラム記事で
高地明氏が
ニューオーリンズR&Bがジャマイカ音楽に与えた影響について
書かれていたのが
僕個人の興味と合致していて 面白かった

とくにファッツ ドミノがジャマイカで英雄並に扱われていたこと
そうした種類のアルバムが残されていたことに
ファッツの意外な浸透力を感じた

僕自身もフランキー フォード「シークルーズ」の裏拍は
そのままスカ ビートに直結すると感じていたし
何人かと語り合ったりしてきたのだが
こうした波及効果について考えてみることも
まさに音楽を聞く醍醐味だと思う

ある音楽がその土地だけで純粋培養されたものではないこと
むしろ幾つもの影響下において形成されていくものだということ
考えてみれば当たり前の話だが(笑)
「ジャンル」という意識が必要以上に分化されている昨今では
こういう風穴というか
風通しの良い発想自体がより求められているのではないだろうか

ものすごく解り易い例でいえば
ビートルズは偉大だという言うのは簡単だが
「ビートルズは俺らの音楽を盗んだんだぜ!」という
リトル リチャードの立場になって考えてみたり
同じスキッフル上がりの英国バンド、ダウンライナーズ セクトのことを
考えたりすると
また違う側面が浮かび上がってくる

そういうことを常に感じつつ聞く鍛錬をしていないと
「ビートルズ=20世紀で最も偉大なグループ」みたいな
判で押したような認識に終始してしまう
あるいは 名盤伝説の上塗りのような
そう 彼らが自分たちだけで独自の創造的な音楽を作って
きたような 錯覚である

今や常識となりつつあるが
「サン キング」がフリートウッド マック「あほう鳥」の
パロディ(歌詞は別問題だが)であることはすっかり知れている
そして「グッドデイ サンシャイン」に
僕はラヴィン スプーンフルの匂いを感じ取る


ジャマイカ音楽の話に戻せば
あの通俗的な「オブラ ディ オブラ ダ」の2ビート
をぜひもう一度聞いてほしい
まさにスカ ビートの ”ンチャ ンチャ” なのである


歌詞に出てくるデズモンドとは
言わずもがな レゲエ歌手として「イスラエルちゃん」で
お馴染みのデズモンド デッカーだ

相互影響のなかから音楽が生まれてくる瞬間は
まさに高揚感に溢れている
「ジャンル」というスタイルをなぞっているだけの音楽には
僕はあまり魅力を感じない










2007/10/28

へえ  

こんな人もいるんだね   面白い

音楽を生業としないとこんな発想で書けるんだな とか

このくらいの隙間がいいな とか

そんなことを思った

ある意味 俺が逆立ちしても書けないことを

書いてる

どっかの飲み屋で会ったことがあるのかもしれないし

そうでないかもしれない

人には この店で飲みたいとか

あの店だけにはもう二度と行きたくないとかの

選択があるし

単なる慣習もあろう

まあ それはとくに関係あるまい

way to go→http://blog.livedoor.jp/mickbanzai/


俺のblogもそろそろ

方向転換を迫られているのかもしれない

というか 求められていることと

俺が発信したいこととの間に 

齟齬が出始めている

まあ俺は俺でしかないのだが(笑)

賢明なりし諸氏の

知恵を拝借したい


2007/10/28

10月27日  

朝7時起床   
ストーンズ記事1280字と
スティーヴ マリオット記事400字に取り組む

昼食後の
読書は森絵都「カラフル」
音楽はエミルーハリス「レッキングボール」と
クラフトワークのリミックス盤
そしてジャック ケラワックへのスポークンワーズ集

夕方に脱稿 それから夕食を食べ
新宿のupset the apple-cartにて
一人飲む




2007/10/27

10月26日  

6時起床
8時より原稿書き
昨日のモッズ コラムを推敲してから書き始めたのが
デラニーブラムレットのコロンビア時代の2in1
スティーヴ マリオット88年の未発表ライヴ音源
などを手書き原稿で
最近は気分転換のために手書き原稿を送ったりしているので
S誌編集部のF女子も さぞかし驚かれていることだろう

昼食は前日の残りの焼きそばで済ませ
銀行に行き振込確認をすると
今月もそれなりの振込があった
まあサラリー時代と比べるとトホホな額ではあるけれど
小さな喜びで生きているのである

ところでF嬢から伝え聞いたところでは
来日していたリッキー リー ジョーンズに
僕が取材する案も(僕がロンドンに行っていなければ)
あったらしいが
例によってリッキーは極めて気まぐれ〜機嫌が悪く
取材自体が流れたのだという

そりゃそうだよな
母国アメリカの醜悪な政治を一貫して批判し続けている
ビートニクの子供たちであるリッキーにとって
消費的な態度の聴衆が歯がゆく映ったとしても
何ら不思議ではない

過去の取材でも音楽家から政治的な見解も聞き出してきた
僕としては トライしてみたい人ではあったけれど
残念でした













 

2007/10/26

dad loves his work  

原稿が順調にはかどっています

前述のミック ジャガー、ロニー ウッド、ロニーレインの記事を
編集部に送ったあと 本日取り組んだのは
橋本徹監修の<ポール ウェラー&モッド コネクション>9タイトルの
コラム記事 ちょうど他誌で<モッズが愛した音楽>というテーマが設けられ
20枚ほどの選盤と記事を書いていたところなので ナイスなタイミングである
そこの編集部にはジャケットも20枚提供していたくらいなのだ

橋本氏の仕事には敬意を払う部分とツメが甘いところを両方感じているオビンですが
ほとんど言いがかり的に<小尾はハシモト嫌い>なんていう旨をこのイタで書かれると
(削除しましたけど)もう本当に故意な営業妨害であり 心外であり 悪意の現れとしか
映らない

現に過去ログで アリス クラークを紹介した時も 僕は
<彼女の音楽を埃のなかから探し出してきたのは ソウル純血主義者たちではなく
一見ひ弱そうに見えるフリーソウルと呼ばれる世代だったのである>との旨を
きちんと書いているのだ
<ソウル村>も<フォーク村>も その他も自分                                     たち の知っていることだけには鼻が高くて
自分が知らないことを違う角度から少しでも突かれると とたんに非寛容になる
そういう悪癖にうんざりしている  近頃のオビンであります

手書きで原稿用紙の升目を埋めていったのは
懐かしきファンキー キングスとジャック テンプチン
それぞれのアリスタ盤のCD評
気分を高めるためにオビンは棚からしっかりとLP盤を取り出してきて
から取り組んでみた

「手書き」で思い出したのは
先日の誕生日に男子からイタリア製ペンをいただき
女子から質感のある便箋セットをいただいたこと
偶然とはいえ
この見事な補完関係! シャレがある!
同じく銀座はイトウヤ発!
いやはや 改めてありがとうございます

思いをきちんと持って 原稿を書きなさい
周囲に惑うことなく 書きなさい
そんな無言のメッセージが
しっかりと届いてきた








2007/10/25

第15回  Rock N Roll

☆ サンボマスター「歌声よ おこれ」☆

ある者は俺のブログを見て

人生の意味を見いだす

ある者は俺のブログを見て

こんなインチキはないと怒りだす

ある者は俺のブログを見て

こんな奴がまだいたんだ と心を清め

ある者は俺のブログを見て

こんな奴と関わったら人生を誤ってしまうと感じる

ある者は俺のブログを見て

高見の見物を決め込み

ある者は俺のブログを見て

自らの享楽的人生を顧みる

ある者は俺のブログを見て

お願いだから一度病院に行ってと懇願し

ある者は俺のブログを見て

今度一緒に酒を飲もうと誘い出す


サンボマスターを初めて聴いたとき

俺はこんな奴らがまだいたんだと雷に打たれ

嬉し涙が出て来た

ロック音楽の優れた側面のひとつに

「お前の考えていることは間違いじゃないよ」

という激励がある

「昨日見た夢が嘘ならば 僕ら哀れな影法師」(月に咲く花のようになるの)

という思いを抱えながら



山口隆のところに

ファンの母親から抗議の投書があったという

「うちの息子があなたたちの音楽でおかしくなってしまった」と

悪いけれど その母親は間違っている

その子は目覚めたのだ

世の中には目に見えることより大きなことがあることに



「あなたは何で生きているのですか?」

「アナタハドウシテイキテイルノデスカ?」

即答出来ないところに人間の悲しさと奥ゆかしさがある

歌声よ おこれ










2007/10/25

第14回  Rock N Roll

ニール ヤング「ヘイヘイ、マイマイ」

最高のロック曲だ
世間一般的には「錆びるより燃え尽きたい」というフレーズが
取り沙汰され
カート コバーンの自殺遺書に引用されたことで
迂回され 増幅されてしまったが

むしろ俺にとって重要なのは 続くフレーズである
「目に見えることより確かなものが  そこ(ロック)にはあるんだぜ」
という永遠の一絞りが 開示される

世間一般に見えるもの(消費的生活 享楽的人生 妥協的人間関係)を
超えて
己と世界との間に<約束の橋>を築いてみようよ、と
促す歌でもある
あるいは僕ときみとの関係に 虹を描くような

「王様は崩れ去ったけれど ジョニーロットンの物語は続く」
これは寓話性への  圧倒的な信頼だろう
現実のライドン氏ではなく ロットンという虚構に
ニール ヤングは賭けたのである

ロックは死んだとか死んでいないとか
そんな空疎な論議は もううんざりだ
あるいはロック以外にも素晴らしい音楽はたくさんある
といった見解も
都市生活者としての消費的側面を 補完するだけだ
それはやがて あなたを撃つだろう

俺はニール ヤングを聴くと
もっともっとロック音楽が好きになる

丘の上のマンションでは 空気のななに
サイケデリック ミュージックが鳴り響いているぜ!
(「マンション オン ザ ヒル」)

2007/10/25

11月24日  

午前6時起床
8時より前日に書いたミック ジャガー記事を推敲                                                      
これはミックのソロ キャリアを振り返るという内容で
一言でいえば ミックにとって80年代とは ダンス ミュージックとギターロックの
折衷であった

次にDVD評を2本書き上げる
ロニーレイン「ロニー〜モッズとロックが愛した男〜」
ファースト バーバリアンズ「ライヴ フロム キルバーン」
前者は今春一部で劇場公開された映画
後者は74年のロン ウッドであり 彼の初ソロ「俺と仲間」が
完成したばかりのお披露目公演を捉えたもの
ウィークス&ニューマークのリズム コンビ(世界で一番だ!)
の勇姿を生きているうちにやっと拝めることが出来た
ウッディの脇を固めるのは むろんキースやマックであり
ロッドも合流してくるという豪華なものであり
思わず感動してしまう

以上を午前中に書き上げるという相変わらずの<朝型>なのでした

圧倒的に<夜型>が多いライター諸氏だが
上手がいらっしゃった 先日さる方にお話を伺ったところ
氏は何と<夜明け型>!
その時間帯でなければ集中出来ないとおっしゃるのだった
なるほど、、、
僕はと言えば 夜9時になると
もう眠くなってしまうのだった、、、








2007/10/24

江古田の夜は更けて  

先週の土曜は 俺より一回り若い男二人が自宅へと遊びに来た
これは俺の家で貴重なレコードを聞かせてやるから
おまえらワイン1本ずつ持ってこい! という
トンデモ企画で わいわい楽しく終了しました

一人はストーンズ狂 もう一人はディラン フリーク
よってお皿回し係の俺はストーンズとディランを交互に
回しつつ 最後はレイチャールズになったり ヤードバーズになったり

しかし デッカのシングル盤の迫力ある音には
彼らもさすがに驚いていた
CD世代の彼らにしてみれば レコード自体に慣れていない様子だったが
がんがんと前に飛び出してくるモノラル サウンドを前に
「ビル ワイマンのベースラインってやっぱり謎ですね」とか
「”寂しき四番街”を初めてシングル盤で聞きました」なんて話している

それでも音楽体験談になって
「クラッシュ<ロンドン コーリング>(79年)が最初の頃の洋楽体験です」
「ストーンズ <アンダーカヴァー>(83年)は中学生の時でした」
なんて話を聞くと 軽い目眩が、、、
それだけ俺はいつの間にか ジジイになってしまったのである

しかし日本経済の主翼を担いつつあるのは
今後はもう彼らの世代であろう
二人ともそれほど過酷な労働で苦しんでいる風には見受けられないが
これだけ企業倫理がいびつになっている昨今のこと
彼らには彼らの悩みが きっとあるのだろう
そんなことを 俺も自分のサラリー時代を振り返りながら思っていたら
眠ってしまった

今後もこういう会を 機会を見てやっていこうと思っている

「おう若いの、レコード聞かせてやっ から ワイン持ってこい!^0^」






2007/10/21

sweet soul , blue beat  Rock N Roll

前述記事は

way to go →http://www.moto.co.jp/coyote/contest/Announcement/



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