東京ローカル・ホンクの木下弦二さんから初めて電話をもらったのは もう二年ほどまえの夏だったろうか その時にどういう会話をしたのかは忘れてしまったが 僕たちのバンドを知って欲しい 聞いてみて欲しいという彼の気持ちだけはまっすぐに伝わってきた これも何かの縁(えにし)かと思いその後の僕は彼らのライヴに幾度となく足を運び またこれからも もっとライヴに行ってみようという思いは募るばかりだ 東京ローカル・ホンクの良さをどう表現すればいいのかはよく解らないのだが 今日もまた僕と同じように東京の空を眺め 同じような街並を歩き 戸惑いながらも呼吸をしていることは間違いなかった そんな風に自分の側にいるという親しみを持てるバンドに出会ったことに奇跡にも近いような感慨を抱いた まるで広告代理店が書いたような気取った歌詞や 見せかけのポーズや虚勢 あるいは英雄的な態度に終始しがちな日本の音楽シーンのなかで 彼らはいつもの商店街を行き交う人々を観察し 各駅停車の窓から流れる雲を追いかけたりしていた 彼らの織りなすサウンドスケープもまた大向こうを張るのではなく 微妙な感情や陰影そして日向の匂いをデリケートに運び込んできた ときには伊豆半島まで遠出したり草の燃える匂いを嗅ぎながら 結論を急がない心のありようみたいなものは形になりにくい でも僕は東京ローカル・ホンクの答えとか結論を求めない音楽のあり方に惹かれ続けている そうまるで池に投げられた小石のように (小尾隆 2009年6月23日:記)

2007/11/12

第24回〜「僕はきみの道を愛している」  Rock N Roll

中古レコード店に勤める青年の日々を描いた
ニック ホーンヴィの
「ハイ フィディリティ」は優れた小説であり
読まれた方も少なくないだろう
レコ屋をしていた宮本くんに言わせると「そんな悠長なもんじゃないっすよ〜」
ということだが
それはそれとして(笑)

その主人公が友達の付き合いかなんかで
あまり気乗りしないライヴに行き
そこでの彼の心模様の移り変わりが
秀逸なのだ

時間稼ぎの前座なのだろう 
いかにも”私はそこら辺の女とは違います”症候群の
女性シンガーソングライターがギターで弾き語る
主人公は思う「けっ、」
僕にも解る 本人はジョニ ミッチェル気取りの、、、

ところがだ
その女性がピーターフランプトンの
「Baby , I Love Your Way」を歌い出す
彼の代表的ラヴ ソングだ
見た目より ずっと澄んだ声で
思っていたより ずっと気持ちを込めて

それを客席で聞いていた主人公は
不覚にも思わず涙を浮かべてしまう
「こんなに陳腐なバラードが こんなにいい曲だったなんて」

時と場所の違いによって
心映えの違う日によって
晴れか 雨かによって
歌はまったく違う表情を見せる
それも 不意打ちのように

「僕はきみの道を愛している」
「私はあなたの辿ってきた道のりを愛している」
逡巡しながら成長した男女であれば
そのくらいの深みをリリックに感じ取れるはずだ
そう まるで夜道を照らし出すような

ちなみに この曲をヒップホップレゲエに仕切り直した
ビッグ マウンテンのヴァージョンが 僕はとくに好きだ
94年に発売されたその12インチ シングルは
今も 僕のレゲエ棚のなかにある宝物だ

「Baby, I Love Your Way」









2007/11/12

person to person,clother to the flame  

旧知のブンちゃん(文屋章さん)から
メールが届き「こんな人がいるよ」と
紹介されたのが 以下のblog
ありがとね、ブンちゃん

way to go →http://d.hatena.ne.jp/bannai45/


私が高校生の時 彼はまだ生まれていなかった
そんな彼が 私の文やブンちゃんの文を読んでくれているという幸せ
しかも彼は 音楽に対して同じような感じ方をしているような気がする
(彼のスティーヴ フォバートに触れた日記が私は好きだ)

何も年齢だけの驚きではない
私の編集担当くん(正確にはバリバリの編集長)は 何と私が二十歳くらいのとき
この世に生を授かっているし(笑)
こういうことは仕事上でちっとも珍しいことではない

ただ思うのは
「うえ〜 あっという間に49歳になってしまったよお〜」
という実感であり 読者に対する責任のようなものだ

もう少し具体的に書けば
駆け出しの頃は 自分が書いた原稿のことは
全部 覚えていた
それだけが拠り所みたいなものだった

しかし 今では さすがに忘れてしまったライナーや記事が
少なくない
そういう原稿に限って「何々を書いていましたね」と
ときどき言われたりするのだ

それでも悪い気はしない
それどころか
温かい気持ちになれる

僕が忘れてしまったことが
彼や彼女たちのなかで生きているのだから




2007/11/12

第23回  Rock N Roll

☆キャット スティーヴンス「もしも僕が笑ったら」

これもまた人生の局面を写し取ったような歌

「もしも僕があなたと出会わなかったとしたら
 きっと平穏な時間を過ごせただろうに」

そんなフレーズ 「もしも」という仮定が胸を打つ

もともとキャットの歌には反語的なものが少なくなく
「ムーンシャドウ」にも こういうのがある
「僕の足がなければ 歩むことを止めたのに」

詩人の歌に曲を付けた「雨に濡れた朝」などより
ずっと人間臭いキャットがそこにはいる

「もしも僕があなたと出会わなければ
僕はあなたに出会う以前の人生をやりくりしていたはずなのに」

”もしも” という勇気の前で
僕もあなたも
ただ立ち尽くして

2007/11/12

第22回  Rock N Roll

☆よしだたくろう/どうしてこんなに悲しいんだろう☆

たくろうさんも「聖」と「俗」を往来するような人物で
そこが圧倒的に魅力的だ
体調不良ばかりが伝わり心配な昨今だが
この人こそ 僕にとってのボブ ディランである

この曲も彼の心情の自己告白といった感じ

「これが自由というものかしら 自由になると寂しいのかい?」
「やっと一人になれたからって 涙が出たんじゃ困るのさ」

己のことに立ち返ってみて 歌詞を改変してみると

「やっとサラリーマンを辞めたのに 自由になると心が細いのかな?」
「やっとフリーになれたからって 涙が出たんじゃ困るのさ」 

かつて「イメージの詩」で
「自然に帰れって言うのは なんて不自然なんだろう」と
物事の核心に触れた彼のことである
結論は「やっぱり僕はみんなのなかで生きるのさ」
そこには都市と田舎とのアンビヴァラントな関係も
透けて見えるような気がする

僕は再就職する気はさらさらないのだが
平日に急ぎの原稿がまったくない時など
やはり思案してしまうことは ある
半世紀近くもサラリーに漬かっていた後遺症は少なくない

今日は50代のheと 20代のsheが
僕の仕事のために家を訪れた
(ちなみに僕の奥さんは里帰り)
そのあと
無理を言って 彼の車でデニーズに行った

いつも昼間は誰とも喋らない僕が
こうして車に乗り ファミレスに向かうこと自体が
新鮮だ
三人でテーブルを囲む

本当は空腹ではなかったのに
悪いなあと 思いつつも
何でもない会話自体が  自分という棘を抜いていく









teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ