東京ローカル・ホンクの木下弦二さんから初めて電話をもらったのは もう二年ほどまえの夏だったろうか その時にどういう会話をしたのかは忘れてしまったが 僕たちのバンドを知って欲しい 聞いてみて欲しいという彼の気持ちだけはまっすぐに伝わってきた これも何かの縁(えにし)かと思いその後の僕は彼らのライヴに幾度となく足を運び またこれからも もっとライヴに行ってみようという思いは募るばかりだ 東京ローカル・ホンクの良さをどう表現すればいいのかはよく解らないのだが 今日もまた僕と同じように東京の空を眺め 同じような街並を歩き 戸惑いながらも呼吸をしていることは間違いなかった そんな風に自分の側にいるという親しみを持てるバンドに出会ったことに奇跡にも近いような感慨を抱いた まるで広告代理店が書いたような気取った歌詞や 見せかけのポーズや虚勢 あるいは英雄的な態度に終始しがちな日本の音楽シーンのなかで 彼らはいつもの商店街を行き交う人々を観察し 各駅停車の窓から流れる雲を追いかけたりしていた 彼らの織りなすサウンドスケープもまた大向こうを張るのではなく 微妙な感情や陰影そして日向の匂いをデリケートに運び込んできた ときには伊豆半島まで遠出したり草の燃える匂いを嗅ぎながら 結論を急がない心のありようみたいなものは形になりにくい でも僕は東京ローカル・ホンクの答えとか結論を求めない音楽のあり方に惹かれ続けている そうまるで池に投げられた小石のように (小尾隆 2009年6月23日:記)

2007/11/15

言葉の彼方にあるもの  

路傍の石さんがコメント欄に寄せてくださったように
言葉がないがしろにされているような昨今を
僕もまた 心配している

たとえば
新しいシンガー ソングライターを紹介する記事でも
”この人は何を歌っているんだろう” という
肝心の歌詞について触れられていなかったり
blogでも 書き手の視点がまったく感じ取れなかったり
そんなことを 僕もまた思う

そのことを考え始めると 深い井戸に落ちていく
自分が今している仕事に 果てしない徒労感を覚えたりもする

そのことのグチは もうやめよう

ひとつ言えることは
寒い場所には 寂しく貧しい言葉しか交わされない
ところが
温かい場所には 夢見るような言葉たちが連なり
溢れ出していく

むろん誰の心にも
天使もいれば 悪魔もどこかにタチ悪く居座ってもいるだろう
むろん 僕自身のなかにもだ
一般論は止めよう
作家のノーマン メイラーもまた
”引き分け”を激しく嫌った人だった

問題は そういうエクスキューズの彼方に
何を思い 何を見据えているかだと思う
僕は 出来ることならば もうこれからは
言い訳や迂回をしない人生を送っていきたい

実話をひとつ
ある母親が娘から聞いた話が ひとつ
僕はそのまた聞きっていうわけ

小学校の給食時間に 囲む椅子から仲間外れにされた女の子の物語
その子に その娘は以前こう語りかけた

「こっちに来てもいいよ」

仲間外れの女の子の気持ちは動かない
ちっとも動かない

彼女の娘は ある日 突然気がつく
無意識のなかで あるいは芽生え始めた思いのなかで
娘はその子に こう語りかけた

「こっちに来なよ」

言うまでもなく
「こっちに来てもいいよ」と
「こっちに来なよ」との間には
まったく異なる響きがある
たぶん違う光景が ぐいぐいと広がっていく

「こっちに来なよ」

なんて素晴らしい言葉なんだろう



















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