東京ローカル・ホンクの木下弦二さんから初めて電話をもらったのは もう二年ほどまえの夏だったろうか その時にどういう会話をしたのかは忘れてしまったが 僕たちのバンドを知って欲しい 聞いてみて欲しいという彼の気持ちだけはまっすぐに伝わってきた これも何かの縁(えにし)かと思いその後の僕は彼らのライヴに幾度となく足を運び またこれからも もっとライヴに行ってみようという思いは募るばかりだ 東京ローカル・ホンクの良さをどう表現すればいいのかはよく解らないのだが 今日もまた僕と同じように東京の空を眺め 同じような街並を歩き 戸惑いながらも呼吸をしていることは間違いなかった そんな風に自分の側にいるという親しみを持てるバンドに出会ったことに奇跡にも近いような感慨を抱いた まるで広告代理店が書いたような気取った歌詞や 見せかけのポーズや虚勢 あるいは英雄的な態度に終始しがちな日本の音楽シーンのなかで 彼らはいつもの商店街を行き交う人々を観察し 各駅停車の窓から流れる雲を追いかけたりしていた 彼らの織りなすサウンドスケープもまた大向こうを張るのではなく 微妙な感情や陰影そして日向の匂いをデリケートに運び込んできた ときには伊豆半島まで遠出したり草の燃える匂いを嗅ぎながら 結論を急がない心のありようみたいなものは形になりにくい でも僕は東京ローカル・ホンクの答えとか結論を求めない音楽のあり方に惹かれ続けている そうまるで池に投げられた小石のように (小尾隆 2009年6月23日:記)

2008/2/15

放蕩息子と父そして母  

新桜台〜小手指〜虎ノ門と珍しく電車に乗った一日でした
まずは実家のある所沢で母親と昼飯を
こうしてしみじみと母とごはんを食べるのもなかなか味わい深いものです

入院用に必要な荷物をもって一路 虎ノ門へ
ただし肝心の父親はCT検診中で会えずじまい
しょうがないから看護婦に伝言をお願いし 荷物を置き
病院を後にしたのでした

思えば私も若い頃は
父への反発ばかりをしていたと思います
戦後かなり苦労したらしい父と母は
息子だけにはそういう思いをさせまいと
いい学校に いい会社へ という教育方針を打ち立て
当時のベッドタウンの先駆であった所沢の団地に
居を定めました
まあ それが戦後一般の ”家族の肖像” だったのです

それから私は多くのありきたりな反抗期を経て
煩悶と逡巡を重ね 今へと至っているわけですが
サラリーという組織を辞めてしまった息子には
自分と同じ血を感じたのでしょうか
とくに文句を言うことなく受け入れてくれました

これもまた戦後の群像のひとつ
もうひとつ新しい世代には また新しい物語が
あるのかもしれません

というわけで
退院の暁に 私の新しい本を渡せれば
この放蕩息子のことを
少しは認めてくれるのかもしれません











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